ボブ・ディランのモトカノ(スーズ・ロトロ)の書いた本が届きました(2008.5.23)

2008-05-23 17:35:20 | Weblog

*スーズの書いた本<A freewheelin' time>(2008)

もちろんスーズ・ロトロ、本人が送ってくれたわけではありません。
Amazon から届いたのです。なんと昨(2007)年5月頃に、近日発売・予約受付中の表示を見つけて、その時すぐに頼んだのです。それが、もう忘れていた頃、この間4月中旬に届いたのです。超最近の本です。

スーズ・ロトロ(Suze Rotolo)は、誰でも知っているボブ・ディランの“昔の女”です。“・・・の女”って、品のない書き方です。恋人、愛人・・・女友だち・・と、考えたのですが、書きようがないのです。カノジョという日本語がいいかもしれません、つまり最近の日本語では、モトカノです。

*昔のレコード(The Freewhelin')のあの写真とは少し違う写真です。

スーズ・ロトロの名前は、ともかく、ボブ・ディランのLPに載っている女性です。
<プロテスト・シンガーの旗手、世の中の不条理を力強く歌い上げ、反抗するディランがこのざまはなんだ!><今は、愛だの恋だの言っている時じゃあない!>
その頃、日本の青っぽい、社会評論風なレコード評や同人雑誌なんかでの学生のディラン論の中に、こんな議論があったのです。
このレコードは、米国で1962年発売です。日本盤が、このジャケットで売り出されたのは、ずっと後、60年代終わりになっていたでしょう。

私は、そんな時代から、その後、山のように売られている<ディランの解説本や攻略本>をほとんどを買ってきました。だからスーズ・ロトロのことはよく知っています。

スーズ・ロトロは、ディランがニューヨークに出てきて、すぐに知り合った女性です。ディラン20歳、スーズ17歳といった感じから始まり、2,3年続きます。都会にでてきたばかりのディランに、都会っ娘スーズという感じでしょうか。
ディランは、フォークシンガーとして、広く知られるように大発展していきます。

そうして、二人は離れていきます。わかりやすい図式でいえば、スーズが<ふった>のです。ふったのは、スーズです。

そのスーズ、60歳ほどになっているでしょう、が、ディランの一緒の写真を表紙に使って<60年代のグリニッチ・ビレッジの思い出、“フリーホイーリンの頃”>なんてタイトルで本を書いたのです。

野次馬の私は、絶対に買いますね。拾い読みですが、おおむね読みました。

ディランは、プロテスト・フォーク・シンガーといっても、いっときのことです。1961年~1963年頃で、激しく社会問題を歌っています。これは、その時代の空気もあったでしょうが、この本を読みながら、明確に、スーズ・ロトロの影響だと確信を強めました。あるいは、スーズと一緒にいた町の影響です。
スーズ・ロトロは、CORE(人種平等会議)の事務所で働いていました。

この頃、ディランは、黒人差別問題の歌を何曲も、公民権運動の集会で歌っています。殺された黒人活動家の歌を作っています。
その頃、若いフォーク・シンガーは、歌をつくり、ブロードサイドというミニコミに発表し、みんなで、集会で歌っていたのです。
つまり20歳そこそこのォーク・シンガーもまた、公民権運動の大きな力になっていたのです。若者が、社会を考えていた時代だったのです。

*左;スーズの本から。右;ブローサイド誌リプリント版(70年中ごろに、東京で買いました)

ディランがブロードサイドに発表した歌の中から、この本“フリーホイーリンの頃”には、Train a-travelin’とMaster of war(戦争の親玉)が載っています。
イラストは、スーズ・ロトロの作品(絵)です。なかなか過激です。

*よく見るとちょっと過激なスーズのイラスト。

ディランは、1963年後半から、急速にプロテストソングを歌うことをやめます。
評論家風にいえば、より深い人間の愛、深い心の内面をテーマにしていくことに変わっていくのです。スーズ・ロトロが急速にディランから離れていく時期のことです。ようするに、未練たっぷりな歌、女々しい愛の歌といってもいいでしょう。

青臭いディラン論風、文学論になりそうなので、この辺にします。なにせ大昔の話です。今、なんの意味もありません。
スーズのこの本を訳そうかなとも思います。でも、翻訳本が出るかもしれません。その時代の新聞記事がそのままスクラップされていて、私には、けっこう楽しめました。

   【おまけ】

*右;翻訳本フォークシティ(1990年発行)、左;原書Bring it all back home(1986年発行)
*スーズの描いたグリニッチ・ビレッジ案内図(上の写真の本に掲載)

* 今でもです。ディラン新譜のCDも、ディラン解説本も、それに、さいさい出る“ディランを特集”した雑誌も必ず買います。ディランなんてほとんど聞かなくなった頃に買った本“フォーク・シティ”があります。その中に、グリニッチ・ビレッジの案内マップがあって、それを描いたのがスーズ・ロトロでした。久しぶりに、その名前に出会ったのです。そのマップをコピーして、ニューヨーク出張に行ったこともありました。

* グリニッチ・ビレッジ、ブリッカーストリートを歩く、ディランとスーズの仲のよさそうな写真、本の表紙は、レコードと同じと思っていましたが、よく見ると違います。その時に撮られた一連の写真があるのです。雑誌の特集などに、たくさん出てきます。

*右;海賊盤Freewheelin' Outtake

* この右の写真もその時の一枚です。非公式=海賊盤=ブートレッグCDのジャケット写真です。左の写真は、フリーホイーリン(公式盤)のCDです。その時の録音で、ボツになって使われなかった(アウトテーク=outtake)曲ばかりを集めてCDを作って、<秘かに>売り出されているのです。関係者がその録音を持ち出したのでしょうね。

*ディランの海賊盤は、日本でも70年代後半から、その頃はLPですが、少しずつ出ていて、見つけて買うのが楽しみでした。今では、山のように売っています。私も、ディランの海賊盤をかなり持っています。60,70年代の音源はすべて持っていると言ってもいいでしょう。だからそれを、新しい視点で編集して、新しい海賊盤CD(CDR)で作ることは、今の時代なら、私にさえ簡単にできます。


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2 コメント

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感想 (Koichi Yamamuro)
2011-12-10 09:42:09
すばらしいコレクションですね。
今現在「ポピュラーの歴史」という書き物をしており、その中のBallad について、参考までに読ませていただきました。
また時間がある時にゆっくりコメントしたいと思います。
(元大阪芸術大学教授、作編曲家)
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ありがとうございました。 (f(yamaguchiさんへ))
2011-12-11 06:26:59
読んでいただきありがとうございました。
あの頃、夢中だったか?ディランを聞き、まねして歌った時代がありました。オオサカでした。
いつまでもひきずっていて、いる感じです。
ただ、あの頃、アメリカの動きと日本には、5,6年の時差があったように思えます。
スーズは、スージーが正しいでしょうね。ただ、その頃、ワタシがスーズと読んでいたのです。本だけの世界だったわけで、発音なんて聞いたことがなかったのです。だからワタシには、スーズです。
そのいつの間にか、たまったディランをどうダンシャリしようかと思案中です。
(f)

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