“怒りのぶどう”の1930年代不況と危機が、今またやってきたのかも(2008.2.9)

2008-02-09 22:45:04 | Weblog

*岩波文庫 2007年10月16日発行 第35刷

昨夜は、後輩の飲み会に誘われて東京に出かけました。電車通勤時代の気分になったので、一冊読む本が必要でした。飲み会ですから手ぶらが条件です。ならば文庫本です。都合よく、春日部市立図書館から“怒りのぶどう(上・中・下)”を借りていたのです。

私は、文庫本をほとんど買いません。本なら“ちゃんとした”ハードカバーだなんて、気持ちがあるのです。この間、図書館で新着コーナーをチェックした時に、普通は手を出さない文庫本、スタインベックの“怒りのぶどう”を見つけ、借りていたのです。
若い頃に読んでいますが、表紙カバーが気に入ったから手を出したのです。

1930年代のアメリカ。そこから世界大恐慌になっていきます。大不況です。それに加えて、アメリカ・中西部(砂嵐地帯<ダスト・ボール>)が砂あらしに見舞われます。農地は全滅します。オクラホマ州の農民は悲惨のどん底になります。
この砂嵐は、日本では実感がわきません。竜巻もそうです。“オズの魔法使い”で、ドロシーが飛んでいくのも竜巻です。アメリカ中西部の竜巻は、日本の感覚とは全く違う凄さのようです。

それで、オクラホマの農民(オーキー)は、一斉に、ぼろグルマで、新しい天地、安住の地、夢のカリフォルニアを目指します。苦しい旅です。しかし夢のカリフォルニアは、天国ではなかったのです。カリフォルニアの農民との葛藤、大農園主との争い。“怒りのぶどう”は、そういうお話なのです。

1940年にジョン・フォード監督で映画にもなりました。 この“怒りのぶどう”は、1939年発表された時には、アメリカ中で非難、論争になったのです。あまりに社会の恥部を暴露しているとかで、禁書、焚書(焼却処分)扱いされたようなのです。後にノーベル文学賞をもらうジョン・スタインベックの文学なのです。私らが、民主主義の手本の国と習ったアメリカの国のことなのです。

1960年代に私は、まず映画を見ました。オクラホマ州から、ルート66(国道66号線)をおんぼろグルマで一家のカリフォルニアをめざす苦難の旅を見ました。その時からルート66を走ってみたいと思っていたのです。

1978年初めてアメリカ貧乏旅行した時に、グレイハウンド(バス)で走りました。今でもレンタカーでも走りたいと思っています。

だから、文庫本の表紙が、ルート66を含む苦難の旅の地図だったから、手をだしたのです。

 *左;角川文庫 1972年4月30日発行 第7版

その昔、私が読んだ文庫本の“上巻”だけ(!)がありました。昭和47年(1972)に買っています。出版社も、訳者も違います。表紙カバーの絵が全然違います。それは、貧しさから苦難の旅に出る農民の苦悩が直接感じられる表紙だったのです。
この方が原作の趣旨にふさわしいに違いありません。しかし今また、こんな暗い表紙なら私は、手を出さなかったでしょう。今の時代には売れないでしょう。

アメリカ、地図、青春、冒険・思索の放浪・旅。アメリカの文学、映画に良く出てくる世界です。
ほんとうは“怒りのぶどう”の旅は、全く違う旅なのです。

今、社会は、アメリカに端を発して世界不況に突入しているように感じられます。
“怒りのぶどう”の時代と同じかもしれません。
ほんの4,5日前、NHKが午後7時30分の番組“クローズアップ現代”で、ポーランド国民がどんどんイギリスに働きに流れて行く話がありました。“怒りのぶどう”と同じように感じました。
アメリカ国内での話から、世界中に移動する話に変わっていますが、貧しい国から夢のような国への旅です。しかし、そこは、決して天国ではないのです。

スタインベックは書いています。<カリフォルニアに大量の果実や穀物が実っています。そこには、飢えた人々が多くいるのです。しかし、それら果実や穀物が収穫されず、むざむざと腐れ果てている。農園主が収穫しないのです。>

  【おまけ】

*ウディ・ガスリーの伝記映画がありました。邦題は、“わが心のふるさと”で、原題は、Bound for Glory です。

*“怒りのぶどう”の時代、オクラホマからカリフォルニアめざした多くの農民の中に、もうひとり、ウディ・ガスリーがいました。ボブ・ディランに刺激を与えた“フォークシンガー”です。ということで私は、ウディ・ガスリーのレコードを聞き、解説本、攻略本!を何冊も読んでいたのです。

*右のLPのタイトルは、Bound for Glory です。Boundの意味がよくわからなかった。今では、新幹線のアナウンスで、バウンド・フォー・大阪、とか言っています。でも、自伝や映画のタイトルの日本語訳は、うまくできませんね。<栄光への脱出>なんて意味でしょうね。

*書きだせば、いくらでも書きそうです。今日はやめます。また別の日に書きましょう。