峠の語り屋

FLAT OUT!全開~!

長浜城

2011-05-28 11:52:28 | Weblog
琵琶湖の畔にある。
日本夕日100選でもあります。
秀吉が初めて一国一城の主となった「出世城」です。


百姓から足軽、そして関白様へ。
この長い道のりを成功者として称えたのでしょう。


長浜駅に行くと秀吉と三成の出会いの銅像があります。
有名なお茶のエピソードです。
そのおもてなしの心を見て、秀吉は自分の部下にしたという。


秀吉って人を見る目があるよナ~。


近江牛でユッケを食す。
美味い!

映画「岳」

2011-05-26 22:14:40 | Weblog
レイトショーに久しぶりに行きました。
地震があると困るので、非常口と出口の確認をして待つ。
携帯電話はOFFかマナーモードにしましょう~。
携帯の青い光りも迷惑だから見るのも辞めましょう~って映画CMがあるのに青い光りが見えた。
コールが鳴ったバカもいる。

そーいうヤツはDVDまで我慢しろよ。
マジでウザイ。
集団生活が出来ない大人っているンだよな~。


日本の登山人口1230万人。
高くそびえる山の頂には見たこともない絶景が広がっている。
その感動を求めて、毎年、多くの人が山を訪れている。
しかし、同時に遭難事故者も絶えず、その数は年間2000人と言われる。
山には喜びと共に危険も存在する。
それでも人は、今日も山の頂へと向かう。

自分の足で掴み取った美しい風景を求めて。


学生時代ワンゲルだったので見てきました。
凄い良かったです。
冬山の厳しさを教わりました。
そして、撤退する勇気!

あの強大スクリーンで、自分がストーリーだけでなく、山に溶け込んでしまった感じです。
一緒に登った気がして疲れた。
山頂の気分もおすそ分けしてもらった感じです。

標高3190M、気温マイナス25度。
山に捨ててはいけない物は何~ンだ?


それは、ゴミと命です
また、山においでよ。

☆☆☆☆☆満点です!


美しいものは、長くは続かない。
その一瞬が美しいンです。

今を生きろ!

井伊神社

2011-05-16 20:41:24 | Weblog
赤備えの武将たちの神社を制覇しました。
武田神社は勝ち運お守りを、真田神社は不落城のお守りを(徳川の大群が攻めても落ちないので受験にもいいらしい)


井伊神社は何があるのか期待していたら、何もなかった。
残念!


境内に木村重成にまつわるモノ発見!
大坂夏の陣で窮地に陥った時、もはやこれまで・・・と井伊の赤備えに突撃!
安藤というサムライに首級を獲られて討ち死に。



その時、鎧兜にお香が焚きつけてあったそうです。
決死の覚悟を武士の鏡としたのか、安藤の心を打ち、ススキで首を包んでココに持ち帰って
来たそうです。
敵ながらアッパレと賞賛したのでした。

清涼寺

2011-05-15 14:05:13 | Weblog
三成に過ぎたる物が二つあり。
島の左近に佐和山の城。

佐和山の麓にある寺です。
2代藩主の直孝が直政の墓所として創建しました。
そして井伊家代々の菩提寺となりました。

ここは島左近の屋敷跡と言われています。
でも看板とかありません。
そしたらココは拝観は行っていないようです。

確認したいので、住職らしき人がいたので聞きました。
老齢の方が近づいてきました。
「おはよう~ございます」と挨拶。


井伊直政の墓所を教わりました。
山の斜面?!
すごい所にあるな~。

そして左近のお寺にまつわる伝説を尋ねました。
お~!この建物の位置にあったのか・・・。
漫画 島左近を読んでファンになったので感慨深いです。

「清涼寺の七不思議を知りたくて群馬から来ました。
本堂左にあるタブの木が夜な夜な娘に化けるとか・・・。
他にも触れると必ず腹痛を起こす南天の木とか、白壁に浮かぶ月の影とか本で
読んだのですが、本当ですか」


その伝説は本当です。

「え?!マジですか?スゲ~
残りの伝説が知りたいので教えて下さい~」って言うと、それはチョットね・・・と言いながら
逃げました。

え?おいおい
老人に向かって、島左近みたいに「かかれ!かかれ~」と言う勢いでした。



左近の屋敷跡っていう証拠だな・・・・。
でも触って立証してみるのが次回の宿題です(笑)

信じるか信じないかはアナタ次第です。

彦根城

2011-05-14 08:04:09 | Weblog
徳川家の最強「赤備え」の総帥。
家康に厚遇されて大出世。
徳川四天王の一人でス。


彦根駅前で銅像を撮影。
井伊直政です。
関ヶ原の戦いでは東軍で抜け駆けして先陣をとった。


夜と違って賑やかな光景です。
駅から彦根城までカギ(¬)のような地形にお見事。
城下町がそのまま残ってる感じです。

国宝の天守閣。

朝一で行ったのに天守閣の入場規制に90分。
長い~!
駐車場が満車の場所が多かった謎はコレだったのね・・・。


見学したら、ひこにゃん登場!

井伊の赤備えとネコが融合?
2代目の直孝がネコと雨宿り?だったかな?そんな伝承で「ひこニャン?」

石田会館

2011-05-12 18:22:28 | Weblog
石田会館に行きました。
秀吉に勝る資質を持ちながら、「人たらし」の才だけ欠如していた三成。
島左近を家臣とするのに、自分の所領の半分を与えたという。


関ヶ原の時も左近が味方の裏切りの可能性もあるから、家康暗殺計画を企てると
「武人らしく、刀で戦いたい」と三成。
男らしい!
オレなら暗殺に賛成だよ(笑)
負けてしまったが、幕府の仕打ちは酷かったナ。


館長らしき人に、「歴史ミステリーを見ました~」とご挨拶。
石田一族を始め、三成関係のものが沢山展示してありました。(無料)
そーいえば、記帳するのを忘れた

関ヶ原の戦いのあと、幕府の仕打ちを逃れる為に墓石などを埋めて隠したようです。
地元では祟りがあるから、ココを掘るな!
石の上に上がるな!とかあったけど、昭和になって掘り起こしたら墓石が一杯でてきたとか。


それが石田神社に祀ってあります。

朱印状をもらって、我が主に平成の世も主君として仕えるので石田三成公 友の会に入会しました。

石田三成屋敷跡

2011-05-10 20:06:50 | Weblog
長浜市石田町にあります。
合併して長浜市になりました。

西軍裏総大将のスポットに行きました。
乱世を生き残った武将は、誰もが非情で残忍なコトをしている。
甘っちょろいドラマなどは、後世に名を残す前に殺されて歴史の闇に葬られている。


BUT,武将の行為を非情、残忍、冷酷と非難するのは平和ボケした現代に生きる私たちの感性でしかない。
誰もが生き残る為に必死だった戦国の世は、大自然の生存競争と同じ。
虎やライオンが、獲物に情けは掛けない。
戦国武将も同じ事。
善も悪もない。
あるのは、勝者と敗者のみ。


三成の冷酷な正義が争乱を呼んだ。
エラそうな態度が鼻につく、豊臣政権ナンバー1の嫌われ者。
近年は名誉回復がはかられ、三成の冤罪も晴れて正義の人って印象が強い。

歴史は権力者の都合やその時代の雰囲気によって常に修正される。
他人を思いやる気持ちがあれば、関ヶ原の結果は変わっていたかもしれない。


豊臣のために命がけで尽くすのは当たり前。
そんな態度では怒りを買う。
でも正論です。
従わされる者には過酷で非情なものだ。
今も昔も謝罪したら負けという頑固さは、官僚に共通した気質だな。

小谷城跡

2011-05-09 20:06:18 | Weblog
三姉妹博覧会の隣が小谷城跡歴史資料館となっているので攻撃をしてきました。
バックに見える山がコの字になっていて、山頂にお城や屋敷があったようです。


その登山ルートが大河ドラマで長政とお市様が琵琶湖を見て語っているシーンがあるのですが、
絶景とのことで訪れる人も多いです。
私たちは軟弱なので山頂までは行きませんでした。



浅井長政は恩義に殉じた近江の猛者。
義兄(信長)より、妻より、盟友を選び壮絶な最後を遂げた悲運の将に尊敬します。
信長は人の情まで読みきれていない。
損得抜きの感情だけで、長年の盟友の危機を救う。


挟み撃ちにした時、信長を京に逃がさなければ勝っていたのに・・・。
義兄だから追い詰めなかったのであろう。
非情にならない優しさが仇となり、運が逃げてしまったのかな~。

浅井三姉妹博覧会

2011-05-08 09:27:11 | Weblog
お市様~


近江弁が素敵でキュートなお市様。
言葉のイントネーションにヤラれました。
「またおいでやす~」
「姫たちのスナック」というお店があったら指名する勢いです
博覧会は3箇所あって、私はふるさと館に行きました。

関東で見るお江様って、波瀾万丈で大変だったな~って感じだけど、
関西で見ると裏切り者って見方なのかな?(謎)


江に帰るべき実家はない。
生きる場所は今、自分がいる婚家しかないのだ。
ならばここで、浅井と織田の名に恥じぬ生き方をしよう~って、お市様が身をもって示してくれた
覚悟を忘れてはならない。

戦国の世を、気高く誇りを失わずに生きた三姉妹が現代に語りかけるのものは何か?
大河ドラマを見るべし。



血筋に限らず、自分の中に誇りに思える何かを持った時、人は真に強くなれると思う。
言葉ではなく、日々の自分の生き方で示してこそ伝わることでしょう。

賤ヶ岳の戦い

2011-05-06 19:42:35 | Weblog
GWは近江の国に行きました。
関ヶ原を越えて滋賀県に入る。
琵琶湖の北エリアです。
私の家から片道450Kmです。


秀吉VS柴田勝家です。
勝家視線で見ると・・・
絶対の忠義で織田信長を支えた豪傑です。
「鬼柴田」という異名もあります。
織田軍の切込み隊長として敵は恐れた。

人情に厚く爽やかで潔い。
こーいった人物は、人の良さが命がけの戦場では仇となる。
前田利家が裏切って金沢に撤退した時に負けとなった。


勝ち組の秀吉側で武功を立てた7人を「賤ヶ岳の7本槍」と言われるようになる。


琵琶湖と余呉湖の間で合戦がありました。
山もあるので狭い場所です。


お市さまが本気でホレる理由が分る気がします。