合気道ひとりごと

合気道に関するあれこれを勝手に書き連ねています。
ご覧になってのご意見をお待ちしています。

273≫ あらためて黒岩合気道 その7

2015-08-20 17:18:42 | 日記
 今回のテーマは【あらためて黒岩合気道】シリーズの最後として、〔間をうめる〕ということと〔押す動き〕のふたつです。

 まずは〔間をうめる〕から。

 ここでいう『間:ま』とは一義的には自分と相手との間にできる空間のことですが、時間の間(タイミング)でもあります。しかしまあ、とりあえず空間に限定して話を進めます(タイミングをはずしたらどんな技も意味をなさないという前提です)。

 さて、合気道における掛かり技法(片手取りだとか肩取りだとかその他もろもろ)は、少なくとも稽古においては自分と相手との間合いを決定づける働きをします。つまり、始動時における近距離(肩取り)、中距離(片手取り)、遠距離(正面打ち)をそれぞれ表現しています。そのいずれにおいても大なり小なり相手とのあいだに空間が生まれます。合気道の技はこの空間を自分の体でうめていくことで有効な働きをします。

 たとえば、正面打ち一教は受けの腕をすり上げて上段で崩すことが極めに至る手段ですが、それだけでは技法の実体を説明したことにはなりません。実行手段としては、自分と相手の腕が上段で接している下に山形の空間があるので、そこに自分の体を進めて、体で空間をうめていくことが肝要です。相手との間が離れたままで腕力だけでねじ伏せるような動きは武道、武術ではありません。

 そのような理屈は、四方投げでも腰投げでもなんでも一緒です。相手との間をうめないと技にならないことは柔道も同じで、たとえば相手が背負い投げにきたとき、こちらは投げる側の後腰を手で押し出し、相手の背中と自分の腹との間に空間をつくれば投げはくいません。柔道家はそれを克服するために数知れないほどの打ち込みの稽古を重ねるわけですが。

 かいつまんで言うと、間をうめるということは相手と密着するということです。合気道の技のほとんどは手を使って行いますが、手は体のなかで最も器用な部位なので、どうしても手(腕力)に頼ってしまいがちです。できるだけ腕力を使わない、あるいは有効に(少ない力で)使うためにはできるだけ手が体から離れないほうがいいわけです(テコや歯車など初級物理学でわかること)。それが間をうめて体を密着させる理由です。

 次に〔押す動き〕です。

 極論ですが、合気道には引く動きはない、みんな押す動き、というふうにご理解ください。

 引くことのデメリットは大きくふたつです。

 その一、引くよりも押すほうが力が出る(伝わる)ことは体験的におわかりではないでしょうか。変な例えですが、前輪駆動車と後輪駆動車ではどちらが踏ん張りが効くか、かつてのラリーでリアエンジン、リアドライブのポルシェが圧倒的に強かったことが証明しています。荷車を引くより押すほうが重いものを移動しやすいということです。

 その二、引く動きによって、せっかくつくった程良い間合いが広がってしまい、自分の勢力圏からはずれてしまいます。その結果、相手の反撃をくいやすくなります(合気道の稽古では相手は反撃してきませんから気づきにくいのです)。
 
 横面打ちや逆半身片手取り四方投げ表の序盤の動き(一般的には斜め後方に回る)を例にとれば、前足を引き後方に回しつつ掴まれたほうの手を引き寄せる動きをする方がいますが、この下がり方が単純だと受けは片手と両足が自由ですからいろんな第二撃が可能です。

 ですから、間合いを広げるのではなく、逆に、詰めるように動くのが合理的です。そのためには前足を引くのではなく、後ろ足が出るようにするのです。そうするとちょうど相手のふところに入り込むようなかたちになり、そのことによって受けの手を押し出すことが可能になります。手は引くのではなく押すのです。一教の裏も、受けの腕を引き回すのではなく、相手に密着し受けの肘を押し出すようにして回し落としていきます。

 今回の二つのテーマは、実はどちらも同じことを言っています。それは、自分と相手がつくる距離(間合い)を、動きの中でどんどん詰めていくということです。このことを黒岩洋志雄先生は『相手に打たれるくらいのところまで入っていかないと、こちらも打てないんですよ』とおっしゃっていました。これが武道、武術の実像です。

272≫ あらためて黒岩合気道 その6

2015-08-08 15:51:00 | 日記
 今回のテーマは『主と従』で、合気道における合理的な手足遣いとはどういうものかということです。

 これは実に単純なことで、右手が主要な働きをするときは左手が補助的に働き、その主従が左右交代しながら連続して働くと理想的な動きになるということです。

 足についてもやはり主と従があり、左右交互に働くという原則が導かれます。

 以上を念頭において、例をあげながら手足の動きを見てみましょう。

 さて、まずは手についてです。これは初心者に多いのですが、力んでしまうのは仕方ないとして、両手をいっしょに遣おうとするのはよろしくありません。たとえば、一教の場合、取りは両手を(同時ではなく)同等に遣おうとして相手の手首と肘に無用な圧力をかけてしまう結果、受けは崩れず、ただ押し返されるだけ、ということがありませんか。これはどちらの手も主であろうとする非合理的遣い方によります。

 もっと精細に例示しましょう。仮に、右の相半身片手取りに応じた場合、まず触れている右手が働き、上方向に崩しをかけていきます。左手はそれに追随して力を出します。そのようにして受けの腕を十分に突き上げ上段の崩しをかけたら、次は右手は舵取りの役目に徹し、左手が出力の主役となって切り落としをします。

 以上のことを車に置き換えて説明すると、振りかぶるときは右手が舵取りも出力も担当する前輪駆動車(左手が全く働かないということではありません)、切り下げるときは右手は舵取り専門で力を発揮するのは左手の後輪駆動車という風に言えるのではないかと思います(あまり上手な例えではありませんね)。

 このとき、主従の切り替えということがわからず両手を同時かつ同等に遣い、受けの腕をこねくり回すようにして下に落とそうとする人がいます。そうすると取りの力は受けの腕にしか伝わらず、崩し(重心の崩れ)につながらないということになりがちです(しかたがないから受けは勝手に崩れたように振舞う)。

 次に足ですが、前述のように主と従が交互に切り替わって働くのですから、原則として同じ足が連続で動くということはないということになります。

 そのようなことを特に気にせず、技の種類によっては無意識で同じ足を連続して動かす人は結構多いのではないでしょうか。たとえば、横面打ち四方投げなどのとき、受けの攻め込みを受け流して後ろに回しこんだ足が、次に続く技の入りの局面で(軸足が変わらないまま)続けて出てくるのをよく見かけますが、それはあまりお勧めできません。合気道は全身を合理的に使うようにできているのですから、片方の足だけを頻繁に使うというのは原則から外れますし、その間動かさないほうの足は居着きに陥っていますから相手の攻撃の標的になってしまいます(もちろん合気道の稽古ではありえませんが、実戦では?)。

 このように、合気道においては左右の手足を主従交互に使うことによって技の完成度が高まります。もちろんこれはあくまでも原則ですから、例外もあり得ます。その場合、なぜこれは例外的に動くのかということを考えることも上達につながります。

 また、左右交互に主従となるということをわかっていると、ある瞬間に使っていないほうの手や足が次の瞬間には動きの主役となるので、そのための準備をしておかなければならないことに気づきます。これも初心者に多いのですが、たとえば片手取りのとき、使ってないほうの手がただダラリと下がっている人を見かけます。これでは理にかなった動きにはなりません。

 くどくど書いてしまいましたが、要するに左右の手足をどちらかに偏ることなくかわりばんこに使いましょうということです。案外こんな単純なところに達人への門が開いているのかもしれませんよ。