世界標準としての基本の技の三つ目は入身投げです。これも本当は一教と同じように相半身片手取りから入るのが良いのですが、片手取りとは異なる間合い感覚を体得するために、ここでは正面打ちを採用します。
これについても、これまで述べてきたことに尽きますが、あらためて重要と思われることを取りまとめご参考に供することにします。
まず、体捌きとしての≪入身≫と技としての≪入身投げ≫を区別しておく必要があります。入身投げは、相手との共有空間を形成する要素のうち奥行を意識する技法として採用していますが、同じく基本の技たる一教や四方投げがタテあるいはヨコの崩しを表す技法であるのに対し、入身投げは特に崩しを意識したものではありません。
そもそも入身それ自体は崩しのための技法ではなく、間合いの形成に直結する体捌きです。ですからそれは合気道のあらゆる技に組み込まれており、入身投げは入身を表現する技の代表ではありますが、あくまでもその中の一つでしかないのです。実際に入身投げをかける場合は崩しを施しますが、その方向は上であったり下であったり前であったり後ろであったりと、状況によって変化し一定していません(このことは後述します)。
ただ、奥行を意識するのには、やはり入身投げがもっとも理解しやすいと思われるので、一教、四方投げとともに3次元空間を表現する技法としての役割を担ってもらうことにします(ちなみに、故黒岩洋志雄先生が奥行を表す技法として二教を挙げておられたことは既述の通りです)。
さて、正面打ち入身投げにおいても、何を措いても重要なのは足の運びですが、その合理性を説明するためには手の働きから入らざるを得ません。右相半身正面打ち入身投げの場合、受けの打ちこんできた右前腕と自分の右前腕を合わせますが、ここでもやはり取りは受けの手または腕を押し返すのではなく、その上に乗るように操作します。つまり、受けの切り下ろしに合わせて、こちらは肘をしぼり掌を上に向けて受けの前腕の上に接します。そのためには、取りは前に出ている足(右足)を肘の絞りに合わせ、踵を若干左に寄せます。これが一歩目です。そうすることによって受けの攻撃線の外に体をずらすことができます。このとき大きく前に踏み出すと腕と腕、あるいは肩と肩がぶつかり、それを避けるために自分が外にふくらむか相手を押しのけるような動きになり好ましくありません。これが入身投げの出来不出来の半分くらいを決めます。
そして二歩目(左足)ですが、ここでも手の動きは重要です。右手は受けの右手との接点に残し、左手を大きく前に振り出します。それに合わせて左足を大きく踏み込み、ほとんど受けの真後ろ(これが重要)くらいまで体を移動します。そうして、取りは左手で受けの首筋を捕り、それと自分の右肩口を接するようにすると、受けの体軸が右斜め後ろに傾きます。これが入身投げの崩しです。あとは取りが上腕で受けの顎をすり上げるだけです。ここで転換をいれれば入身投げの裏(普通はこれですね)となります。
さて、世界標準としての動きを説明しましたが、一般的には打ち込んできた受けを前のめりにさせ、振り回した後に後ろに倒すというやり方が多いように見受けられます。この、前方に崩す方法が可能なのは正面打ちの場合だけで、他の攻め(片手取りとか両手取りとか肩取りとか)の場合は、そのままでは受けが前掛かりになっていませんから前下方に崩れる必然性がありません。さらに言えば、正面打ちで空振り(カタではそのように誘導しています)をしたくらいで前のめりになるような人を攻撃者として想定していることが稽古として合理的であるかどうかにも疑問が残ります。したがって、あまり前下方への崩しにこだわる必要はないと思います。
実際のところ、先に述べた入身投げにおける崩しからさらに腰を落とせば、受けは前のめりではなく背中側つまり右足の外側に崩れ落ちますから、前のめりとはまったく異なります。前のめりにさせて首や襟を掴んでの振り回しでは、受けは簡単に逃げることができます。そのような動きはあくまでも見ばえを優先させた演武用と考えるべきです。
ただし、受けの掴みや打ちこみを後上方に押し込んでから前下方に崩すなどの操作は、反射による体移動の変化の方向を読み取るための鍛錬法としては意味があると思います。ですから、そのような意味づけをしっかり認識した上で、状況に応じて崩しの方向を変えることは稽古のバリエーションとしてはアリでしょう。
なお、崩しのバリエーションはむしろ体格差を埋めるためにこそ必要で、低身長の人が背の高い人を崩そうとすれば標準的方法では若干無理が生じる場合があります。その場合は上述のように前後に揺さぶるほか、ここでは詳しく述べませんが、実戦的には右手で腰を押し出したり足で膝裏を蹴ったりということが考えられます。ご参考まで。
相手が攻め込んきたら、本能は退くことを選択します。それに逆らって出て行くことは勇気のいることです。しかしそうすることのほうが生存確率が高ければそうせざるを得ません。ただしこれは修練を積んだ人間だからできる武技の最高到達点です。
合気道はそれを日々の稽古の積み重ねによってしっかり身に付けることができるように組み立てられています。いや、むしろ合気道の稽古は、技法上は入身を体得するためのものだと言っても良いかもしれません(すべての技に入身が組み込まれているのですから)。そのような意義を理解して稽古に臨み、是非この高度な技法をそれぞれの方がわがものとしていただきたいと思います。