山と道・野の花のこと

揺れずに咲く花がどこにあるだろうか
この世のどんなに美しい花も揺れながら咲くのだ
<ト・ジョンファン>

野口五郎岳・黒岳(水晶岳)@昭和3X年の旅

2021-01-14 | 昭和時代の記録
烏帽子小屋から野口五郎岳までは
歩いて3時間30分ほど。
日本百名山ではありませんが
目の前に広がる山々は
すべてを写真に残しておきたいと
思えるほどの絶景です。
パノラマに加工するのも
楽しい作業でした。

南にはこれからの道
鷲羽岳から槍ヶ岳に至る

西には
黒岳から赤牛岳に続く読売新道。

その上に浮かぶような
薬師岳の雄姿
北には
三ツ岳からの今までに歩いた道

その後、水晶小屋まで3時間、
どの登山口から登っても
丸2日かかります。
最後の秘境にふさわしい風景に
疲れも吹き飛ぶでしょう。
黒岳に向かう途中で
鷲羽岳

黒岳からのパノラマ

左に鷲羽岳
その奥に槍ヶ岳。
見渡して撮った写真の枚数が
喜びの大きさを表しています。
パノラマ写真に加工することに慣れてきて
明るさを調整するまでの余裕ができました。
遠景が霞んでどこか
よくわからないけれど
この辺りで撮ったケルン。

人物の写真がまったくありません。
秘境を満喫‼
つづく

烏帽子岳・三ツ岳@昭和3X年の旅

2021-01-06 | 昭和時代の記録
ブナ立尾根を登った後
烏帽子小屋からの行動が
どうだったのか?
ここからは想像して進めます。

黒岳(水晶岳)への道のりの
最初のピークである三ツ岳を望み

進むのは逆方向の烏帽子岳へ。
まだ裏銀座という愛称もない
殆ど歩く人もいない山奥に
誰が積上げたのか・ケルン

(人によって組み立てられた積み石)
前烏帽子岳を超えると現れる
天を衝く烏帽子岳。

頂上付近の岩塊

(写真の裏にメモあり)
これから始まる縦走の
進む先を眺め

三ツ岳(左側)と野口五郎岳(右側)の
堂々とした山容。
烏帽子小屋に戻る途中で振り返り
見納めの烏帽子岳

奥には立山が控える。
三ツ岳に向かう途中で振り返り

剣岳を真ん中にして
遠くに霞む後立山
左前方には
槍ヶ岳が見えてきました

右前方には
ミニ双耳峰のような
黒岳(水晶岳)

そして
ネットで検索しても
どうしてもわからない場所…
形からして三ツ岳か?

(現在のルートは巻き道になっていて
この撮影地点を通らないのか?)
構成は想像を含み
実際と異なる部分があるかもしれません。
ご了承ください。
つづく

東信電気鉄道の線路・烏帽子小屋@昭和3X年の旅

2021-01-04 | 昭和時代の記録
昭和時代の未整理の
北アルプスの写真・ネガの中で
かなり珍しいと思われる
裏銀座コースに
手を付けることにしました。
日付の記載がなかったのですが
他のシリーズと同じころのものとして
昭和30年代とさせていただきます。
枚数が多く大変そうなので
後回しにしていましたが
つないでできるパノラマ写真が多く
雪形がパズルを解くカギになりました。
私自身は登ったことがなく
燕岳などから遠くに眺めたことのある
あこがれの山塊です。
線路を歩く登山者で始まります。

<ウィキペディアより>
東信電気株式会社(東京電力の前身の一つ)によって
ダム建設の専用鉄道として開発された。
東信電気鉄道は
信濃大町駅から笹平まで12kmが電気鉄道。
笹平から七倉までは貨車を馬にひかせる馬力
七倉からコジ沢までは牛にひかせる牛力
という・のどかな運用で
市街地では住民を、奥地では登山者を
便乗させていた。
運航ダイヤなしで、
単線上で列車同士が鉢合わせすることもあったという。
1969年(昭和44年)の台風による水害で
軌道が流出し、廃線となった。

その後は川に沿って
レールがないだけの線路のような道を
歩いていきます。


尾根まではずいぶん上るようです。

北アルプス3大急登の
ブナ立尾根です。
途中の写真は1枚しかなくて

展望は開けなかったのかもしれません。
ということで
烏帽子小屋に到着です。

つづく

みくりが池・弥陀ヶ原ホテル@昭和33年8月の旅

2020-12-25 | 昭和時代の記録
6年前のみくりが池は、残念ながら
ガスで
奥にある紅葉の山が見えていません。

一時的に見える紅葉は一層美しい。

昭和33年にさかのぼり
雷鳥沢キャンプ場の近くにある
雷鳥荘

6年前の雷鳥荘
だいぶあか抜けしています。

みくりが池


本格的な登山に
子供を連れていくのは、まだ
珍しかったことでしょう。
お父さんの荷物が重そうです。
背景の山の形からして
立山高原ホテルの辺りだと思います。

今のホテルに
この建物の面影はないので
まったく関係がない建物かも?
手前に大勢の団体がいます。
服装が統一されているので
学校の行事かもしれません。
弥陀ヶ原ホテル

昭和31年開業なので
真新しい時期です。

写真は
他のネガが張り付いてしまったようで
御見苦しくなっております。
旗があがっているところが
昭和を感じます。祝祭日には
どの家も国旗を掲げていました。

デッキから大勢の人が
景色を眺めています。
ホテルの玄関

2枚の写真の張り合わせです。
右側の石柱に
弥陀ヶ原ホテルとありました。
現在の弥陀ヶ原ホテルは
当時の面影がそのまま残っています。

今年と来年(2020-2021年)は
新型コロナの影響で
閉館しているそうです。
できるだけ早く
元の生活に戻ってほしいものです。
以上で
昭和33年の旅のアルバムを
閉じることにいたします。
end

剣岳@昭和33年8月の旅

2020-12-20 | 昭和時代の記録
今までに見ることができた剣岳を3景
ご紹介します。
その1
白馬岳より剣沢と剣岳

その2
薬師岳より別山乗越の上に剣岳

その3
唐松岳より剣岳

遠くから見ても岩の殿堂:剣岳
雑誌に剣沢キャンプ場からの
剣岳の写真があったので

昭和33年にさかのぼり
ピッケルと一服剣・前剣

前剣の手前で
昭和時代も大渋滞


周辺の様子


剣沢とその奥に、立山。

前剣から撮った写真だと思われます。
今では危険個所には必ず
くさりが設置されていますが
恐ろしい絶壁

残念ながら
剣岳山頂らしき写真は
見当たりませんでした。
帰路につづく

剣御前小舎・剣沢キャンプ場@昭和33年8月の旅

2020-12-15 | 昭和時代の記録
6年前の別山はガスで何も見えず

大きな三脚を立てた人に声をかけると
私とほぼ同じルートで周ったので
剣は撮れていないとのこと。
朝は晴れていたので油断して
遠回りしてしまったのか?
せっかくのカメラと三脚が泣いている。
少し待ってみたが
ガスは全く移動する気配がなく
あきらめて先に進みました。
30分ほどで別山乗越まで下りると

ガスの中から剣御前小屋が現れ
一息つきました。

ほっこりとした手書きの看板

みんな同じ方向でいいのか?
と突っ込まれそう・・・
位置関係が分かりやすい地図

6年前は日帰りのため
雷鳥沢を経由して室堂に戻りました。
ここから
昭和33年にさかのぼり
剣御前小舎です。

奥が別山方向でしょうか?
城の石垣みたいな土台の構造が
今と昔であまり変わりませんね。
建物はずいぶん大きくなりましたけど。
剣沢キャンプ場

重そうなテントです。きっと、
一番の力持ちが運搬担当ですね。

キャンプの様子だけでは
この場所のすごいところが
伝わってきませんね。
周りの風景です。

この円周のような黒い土手は
現在もそのままあるようです。


キャンプ場から見上げる
剣岳

このアングルも人気のようで
たくさんの人が
画像をアップロードしているので
すぐにわかりました。
そして
剣岳に向かって進み
振り返った写真をパノラマにして

剣沢×剣岳は、どちらからでも
絵になります。
部分を拡大して
剣沢の中央に剣沢小屋

右端に、剣山荘

どちらも
ミニチュアハウスみたいに
シンプルにできています。
つづく

室堂平⇒立山@昭和33年8月の旅

2020-12-10 | 昭和時代の記録
久しぶりに
昔の写真整理を始めました。
今回は、立山方面になります。
私自身は6年前に登っていますが
昔の写真はネガ・写真ともに
撮った順番が分からないので
判別できないものがたくさんありました。
おおよそ、私が登ったルートに沿って
ご紹介いたします。
旅の始まりは
立山室堂山荘からです。

室堂山荘のサイトに
歴史を紹介したページがあり
昭和40年の建物の写真がほぼ同じ形状でした。

(6年前の様子)

8月なのに雪が多いですね。

雲で全体が見えないのですが
奥の山は雄山だと思います。

一の越へ向う途中で
振り返って・奥大日岳

(6年前の様子)

ナナカマドの紅葉が
ちょうどのタイミングでした。
一の越から雄山への急登にて
見下ろした一の越山荘


ぼんやりしてますが
入口の上に大きな漢字で
一の越山荘
と書かれています。
(6年前の様子)

立山・雄山山頂

(6年前の様子)

変わりありません。
場所を特定することができませんが
雰囲気から
雄山の近くではないかと思います。

大汝山・富士の折立に向かう途中?

別山付近から
雄山・大汝山・富士の折立

(6年前は雲が出て写真は撮れず)

つづく

穂高岳のネガもう1本発見☆昭和35年8月の旅

2020-08-17 | 昭和時代の記録

新型コロナウィルスが治まらず

県外への遠征は感染リスクが高く

まだ山旅は自粛して

写真の整理を始めたら

穂高岳と書かれたブローニーのネガを

もう1本見つけたので

写真を4枚、追加で掲載します。

このネガで一番大変なのは

表か裏かの判断がむずかしいこと。

行ったことがない場所は

ネガが裏返っていても違和感がないので

ネットで確認するのですが

なかなか同じ構図に出会えません。

雪渓を登る登山者の遠景①

2人組も見えますが

5~8人くらいのパーティーが多いようです。

雪渓を登る登山者の遠景②

思い思いのピークを目指し

広い雪渓に列をなして進んでいく

遠くから眺めても

登山者の高ぶる気持ちは見えません。

前穂から望む

ザイテングラートと槍ヶ岳

山は遠くにあれば

今と変わらぬ姿です。

ただ、8月にしては

今より雪が多いかもしれません。

吊尾根

左に見える耳のようなピークのひとつは

ジャンダルムでしょうか?

end


西穂山荘~西穂独標@昭和37年7月の旅

2020-08-07 | 昭和時代の記録

西穂山荘までの写真はありません。

昭和33年11月と

ほぼ同じルートではないかと

思われます。

夏山として追体験をしたかった

のではないかと想像しました。

西穂山荘?

人物は切り絵になってもらいました。

布団を干すほどの

いい天気に恵まれたようです。

左下の看板の字は

つぶれて読めませんでした。

西穂山荘という根拠の看板ですが

西穂山荘と西穂高岳の間は

標準時間で3時間ほどかかりますので

これは西穂独標に向かう途中にあった

標柱かもしれません。

花は咲いていませんが

コバイケイソウの大群落です。

何枚かの写真があり

所々で人々が腰を下ろして

休んでいました。

焼岳方向を見下ろす。

疑似パノラマで

西穂丸山を見上げて

西穂独標・ピラミッドピークなどに

展望台でみとれる人々

最後は

西穂独標から見た

穂高岳の全貌。

左端に何人かの登山者が見えます。

荒々しくも神々しい稜線は

今も変わらぬあこがれの山です。

end


大正池~明神橋@昭和37年7月の旅

2020-08-05 | 昭和時代の記録

新型コロナウィルスの第2波が

全国に広まり、なかなか

山に出かける勇気がありません。

昭和の旅のつづきをご覧ください。

このブローニーのカメラは

単焦点レンズですので

画角が限定されます。

気が利いている

パノラマ用の取り方をしたネガが

いくつかありましたので

前回の補足として

今ではそんなに難しくない

2連の写真をパノラマにして

いくつか紹介します。

穂高岳の形状から

大正池付近での撮影ではないかと

思われます。

登場人物にはサングラスを

かけてもらいました。

岸辺に、木船がありますが

何のために使っていたのか

調べてもわかりませんでした。

写真左下の建物の屋根は

徳沢園のものに似ていますが

山の形から

現在のバスターミナル付近だと

思います。

明神橋と明神岳。

西穂山荘につづく