山と道・野の花のこと

揺れずに咲く花がどこにあるだろうか
この世のどんなに美しい花も揺れながら咲くのだ
<ト・ジョンファン>

谷川岳⇒茂倉岳⇒蓬ヒュッテ@昭和29年7月の旅

2023-01-18 | 昭和時代の記録
谷川岳のオキの耳から先に進むと
めっきり人が少なくなる
それは、今も昔も変わらないようです。

一ノ倉岳は
一ノ倉沢の絶壁とは無縁の
小高い丘で
登山者ものんびりと
くつろいでいます。
13年前の一ノ倉岳と茂倉岳

一ノ倉沢の真上の真ん中に
「のぞき」という標識がありました。
それも今と昔で
変わらないのかもしれません。

13年前の「のぞき」から
ここで来た道を引き返しました。


振り返った谷川岳です。
どのあたりから撮影したのか
1年前の武能岳が晴れていれば
ヒントになったのでしょうが。
確認するには
新潟百名山でもある
茂倉岳や一ノ倉岳を歩いてみる
しかありませんね。
茂倉岳の山頂です。

人の書いた文字が当たり前の時代で
当時の山頂の名前は
どの山も達筆だと思います。
最近の山頂では
パソコンの書いた字しか
見られなくなり
味気ない気がします。
この先の風景は

武能岳から蓬峠・七ツ小屋山
その奥に、大源太山や巻機山が
見えます。

ゆったりとした山並みと
白黒写真のため
雲の影が印象深く
濃く写っています。
写真中央の黒い四角が
蓬ヒュッテです。

現在の蓬ヒュッテは

同じ場所に建っていますが
豪雪に強い構造に
改善されているのでしょう。

下る登山者を
コバイケイソウが
見送っています。

この後の山行の写真はありません。
湯檜曽川へ下りて
土合駅に戻ったと思われます。
駅のホームから
電車の屋根越しの樹木と

鉄橋を渡る
長い貨物列車の写真が
残っていました。

ほとんどの道路は砂利道でしたので
昭和29年の物流は
国鉄貨物が大動脈でした。
リンゴやミカンが木箱で運ばれ
それをソリにして遊んだ
そんな時代でした。
end

ガレ沢(廃道)⇒西黒尾根⇒谷川岳@昭和29年7月の旅

2023-01-14 | 昭和時代の記録
谷川岳は13年前に
天候が悪く2回も登ったのですが
ロープウェイを利用し
天神尾根を行く最短コースでした。
その昭和35年12月ロープウェイ開業の6年前に
当時のメインだった
ガレ沢ルートを登った写真の
整理ができたので
少しお付き合いください。

国鉄の土合駅から歩いて20分ほどにある
現在の谷川岳ロープウェイ乗り場付近から

西黒沢に入りガレ沢を上り

憬雪小屋跡(西黒尾根ガレ沢の頭)に
合流する。

7月だというのに雪が多いことに
驚きます。


西黒尾根の背景に見えるのは
大烏帽子山です。
その先は
ラクダの背と呼ばれる岩場です。

今はクサリなどで整備され
登りやすくなっているところも
戦後間もないこのころは
危険で怖い上りだったのでしょう。
谷川岳肩の小屋を見下ろして

写真の奥は、今と変わらない
オジカ沢の頭・川棚の頭です。
肩の小屋は昭和26年に建替えられて
このころは新築に近いはずです。
その小屋の隣には
新しい建物を増築している様子が
写っていました。


 13年前のほぼ同じアンクルの
写真です。

トマの耳を超えて
谷川岳山頂のオキの耳から
トマの耳を振り返ります。

13年前の様子です。

昔も今も登山者に人気の山に
変わりはありません。
つづく

唐松小屋の鐘・祖母谷温泉の水蒸気・トロッコ@昭和32年の旅

2021-02-27 | 昭和時代の記録
唐松岳の肩にある唐松小屋

現在は、唐松岳頂上山荘という。
建物も変わってしまいましたが、
入口の鐘は同じものような気がします。

花の写真が2点あり
ハクサンイチゲ

ミヤマキンポウゲ

白黒だと花よりも
葉の形に注意が向くようです。
山の形に特徴はあるが、
案内板が反対向きで
現在のところ、特定不能です。

水量が多く流れの速い沢

祖母谷温泉の水蒸気(?)

黒部渓谷のトロッコ電車の終着駅「欅平」から
40分の場所にある温泉。
江戸時代よりごく一部の人々が湯に浸かりにきていたほど
祖母谷温泉の歴史は古い。
現在の小屋が建てられたのは1967年のこと。
(PEAKS山小屋完全ガイドより)
1967年は昭和42年ですから
この旅の10年後ということになります。
このころはまだ、温泉のある山小屋
ということでしょうか?
今ではこのつり橋もないと思います。
黒部渓谷鉄道
1937年(昭和12年):発電所建設のため宇奈月-欅平間開通
1953年(昭和28年):黒部鉄道として営業運転を開始
(宇奈月駅2階に歴史コーナーあり)

車両は今と変わりなし。
*
昭和32年の旅をお楽しみいただけましたか?
また、どこかでお会いいたしましょう。
end

天狗の大下り・唐松岳@昭和32年の旅

2021-02-24 | 昭和時代の記録
白馬三山を南に向かうと
最初は穏やかな道


大勢の登山者が歩いています。

振り返ると白馬岳の頂上。

名残惜しく、何枚も写真に納めます。

やがて
天狗の大下りと呼ばれる
長い下り坂となり

下りきったところから見上げて

その後は
不帰の嶮(かえらずのけん)と呼ばれる
日本三大キレットとなる。

左から・Ⅰ峰・Ⅱ峰北峰・南峰・
Ⅲ峰は雲に隠れる
今と違い
シャッターを押せば写るカメラではないため
核心部の写真はありませんでした。
唐松岳より
不帰の嶮を振り返る

南には五竜岳

剣・立山が少し近づいて見えます。

つづく

白馬大雪渓・白馬岳の日の出@昭和32年の旅

2021-02-13 | 昭和時代の記録
私が白馬岳に登ったのは
4年前の秋のことでした。
蓮華温泉から日帰りで往復し
白馬大雪渓は上から眺めただけです。

写真は小蓮華山付近からのもので
左下に小さく白馬尻小屋が見えます。
昭和32年8月と記入のあるネガと
ベタ焼き(コンタクトプリント)があり、今回は
比較的楽な写真整理になりました。
当時の登山情報は今と比べれば
限られたものだったと思いますが
今でも、ごく一部の上級者のみが歩く
当時は整備も半端な危険ルートを
冒険する登山が多いことに驚かされます。
白馬大雪渓の入り口
手書きの白馬尻小屋という看板

昭和医大学研という旗
森永キャラメルの広告
北斗の拳のような漫画
雑多なアイテムから漂う昭和の香り
毎年作り直しているような
手づくり感いっぱいの橋

長袖を腕まくりした登山者たち

木綿の服が定番で
風が通らないから暑いのでしょう。
ランニング姿で休んでいる人もいます。
雪解け水の量も多い

雪渓の上は涼しいけれど
傾斜がきつくなれば
荷物が重く感じます。

この写真はA4くらいに拡大したものも
残っていました。
雪渓を登り終えてホッとして
休憩している登山者

杓子岳方向の稜線

不思議な模様の登山道が見えます。
古い写真を整理していて初めて見た
日の出の写真

朝日に照らされる登山者と
剣・立山

白馬岳山頂からの写真
4年前の同じアングルで

村営白馬岳頂上宿舎と
テント2張

現在はこの写真右下がテント場です。
白馬岳山頂からは陰になって見えません。

白馬鑓ヶ岳に向かう登山者たち


つづく

槍ヶ岳⇒上高地@昭和3X年の旅

2021-01-31 | 昭和時代の記録
北アルプスの裏銀座の縦走を
槍ヶ岳登頂で締めくくった後は
いくつかの撮影スポットで
記録を残しながら
上高地へ下っています。
殺生ヒュッテ付近からの
見事な三角形の槍ヶ岳

ザックの重みに耐え
槍ヶ岳に向かう登山者

天狗原分岐

槍ヶ岳の撮影スポット:天狗池を分ける
横尾山荘

重そうな入口の引き戸
懐かしい電話の看板
梓川に沿って下る

テント場

徳沢園

泊ったことがあるのか
通過するたびに写真あり。
焼岳を背景に河童橋

今も変わらぬ人気スポット
梓川と穂高岳

焼岳の噴火でできた大正池

水面に立つ枯れ木は
噴火から長い時間が経過し
今では見られなくなってしましました。
*
裏銀座縦走の旅に
最後までお付き合いいただき
ありがとうございました。
楽しい旅になりました。
end

西鎌尾根と槍ヶ岳@昭和3X年の旅

2021-01-28 | 昭和時代の記録
双六小屋を後にして
槍ヶ岳の西鎌尾根登山中の写真は
多くありませんでした。
休憩が少なかったのだと思います。
ハクサンイチゲと槍ヶ岳

貴重な花の写真
白黒写真ではモチベーションが
上がらないからしかたないでしょう。
硫黄の頭

休憩するのにちょうどいい場所のようです。
硫黄の頭・槍ヶ岳と休憩する登山者
昭和40年以降の登山ブームの前触れが
程よい山の賑わいです。
槍の穂先に取り付き

小槍を通過
小槍を見下ろす

残念ながら
山頂の様子を撮った写真は
ありませんでした。
当時は鉄はしごもなくて一方通行のため
山頂でゆっくりすることは
できなかったようです。
ここまでの裏銀座の縦走路を見渡して
三ツ岳~鷲羽岳

鷲羽岳~西鎌尾根

360度の絶景の中で
後ちょっとで行けそうに近い
穂高岳

今回のルートから外れて残念な
笠ヶ岳

日付の入った記録がないので
何日かけて歩いたのかわかりませんが
写真の整理だけでも
ずいぶん時間がかかりました。

下山路につづく
 

三俣蓮華岳・双六岳・双六小屋@昭和3X年の旅

2021-01-24 | 昭和時代の記録
深田久弥さんの
日本百名山より
初め鷲羽岳とは今の三ツ俣蓮華岳を指していた。
そこは三国の御境目であったから、名前の存したのは当然だろう。
ところが文政の頃の記録に、この鷲羽岳の東北方にある顕著な一峰に
東鷲羽岳の名が現れた。現在の鷲羽岳はその東鷲羽岳である。
3つの都道府県を分ける地点を三国境といい、
日本百名山の山頂では
雲取山・甲武信ヶ岳が該当します。
三俣蓮華岳は現在も3県の境にあり
長野県・富山県・岐阜県を分けています。

三俣蓮華岳より北(富山県方向)には
写真右の祖父岳とその左に雲ノ平

南には三俣蓮華岳より13m背の高い丸山

丸山から双六岳は長野と岐阜の県境です。
南東には北アルプスの灯台
槍ヶ岳

ケルン

丸山より6m高い双六岳へ
進んで振り返ると

左の丸山・奥に黒岳・右に鷲羽岳の
美しいトライアングル。
進行方向が東に変わり
登山者がネットでよく紹介している
この辺りでは珍しい平坦な道と槍ヶ岳

ハイキングみたいな登山道

樅沢岳との鞍部にある双六小屋から
双六池越しの笠ヶ岳

テントが3張と10名ほどのパーティーが
写っています。
少しアップにした
弓折岳・抜戸岳・笠ヶ岳

このシリーズ唯一の山小屋の写真
樅沢岳方向に進み、見下ろす双六小屋

テント場の近くからの写真が多い
気がしますので、この旅は
テント泊による縦走だと推測します。
つづく

祖父岳・雲ノ平@昭和3X年の旅

2021-01-21 | 昭和時代の記録
写真の袋の順番では
鷲羽岳の後が雲ノ平になります。

どのルートを通ったのかは
定かではありませんが
祖父岳からのパノラマ写真が
野口五郎岳に続き
たくさんありました。
映画館のスクリーンのように
視界いっぱいに広がる緑の山並みは
写真で伝えることができるのかは別として
そこにいることの幸せを
その枚数で測ることができます。
水晶岳からワリモ北分岐まで

左奥は赤牛岳・剣岳・立山だと思われます。
ワリモ北分岐からワリモ岳・鷲羽岳・槍ヶ岳

槍ヶ岳に向かう道・笠ヶ岳

何を眺め、語らうのか
帽子が似合うふたり

登山ブームもあって
山小屋が建てられ
秘境雲ノ平は登山者の姿が
多く撮影されています。
黒部五郎岳を象徴するカールが
見えてきました。

コバイケイソウも咲いています。

草の生えていない平らな場所
テント場に向いているが
現在のテント場は
祖父岳のふもとの傾斜地にあり
同じ場所かはわかりません。

それはともかく
黒部五郎岳から太郎平・薬師岳への長い稜線が
雲ノ平を秘境にしているもう一つの壁です。
以下
日本百名山に雲ノ平と記載のある部分から
抜粋して<>で掲載しました。
薬師岳

<全く呆れるくらい巨大な壁が眼路の正面を扼している>
扼(やく)するとは、要所を占める・強く押さえる
黒部五郎岳の上に笠ヶ岳

<中村さんは黒部五郎岳のカールが描きたくて、
ここからわざわざ雲ノ平まで写生に通っている…>

雲ノ平に遊ぶ人々

黒岳(水晶岳)の下に張られたテント

<どっしりとした重厚感をもって迫ってくる>
絶好のスポットだけれど
現在のテント場と同じ場所かは不明です。
つづく

ワリモ岳・鷲羽岳・三俣山荘付近@昭和3X年の旅

2021-01-18 | 昭和時代の記録
これは?と思う小説を
図書館で予約して読むことが
雪の新潟では特に、冬の楽しみであります。
昨年夏に予約した本を
ようやく手にすることができました。
線は、僕を描く
砥上裕將さんの書いた小説で
魅力的な登場人物が
生き生きと描かれていて
あっという間に読み終えてしまいました。
ここのところ
色のない写真の整理が続き
水墨画の世界と気持ちが同調する環境が
整っていたのかもしれません。
山での時間は限定されるので
感動の写真を撮るための
最高の時間を待ち続けるには
万全の準備と少しの幸運が必要です。
移り変わる自然と向かい合い
感動を見落とさないセンサーを
磨き続けたいものです。
黒岳(水晶岳)から1時間半で
ワリモ岳です。

板状節理が発達した安山岩が特徴的。
安山岩とは
マグマが地表付近で急速に冷えた火成岩である

ワリモ岳からの鷲羽岳
羽を広げた鷲を<横>から眺めている。

鷲羽岳山頂からの鷲羽池

深田久弥さんの日本百名山によれば
この火口湖は昔「竜池」と呼ばれ
山の名前もそこから
竜池ヶ岳だったそうです。
鷲羽岳と同じ袋に入っていた
斜面の写真


特徴のある山がないと
場所の特定は困難です。

三俣山荘付近からの槍ヶ岳

つづく