奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その227)

2017-04-08 08:29:19 | 奈良・不比等
慶派の仏師・快慶(かいけい)の特別展「快慶~日本人を魅了した仏のかたち(平成29年4月8日~6月4日)」が奈良国立博物館にて開催される。運慶とともに鎌倉時代初頭の仏教美術作品にその名(快慶)を残しており知らない人はいないだろう。しかしながらその代表作を実際に見た人は少ないと思われる。-------
運慶は康慶の子であり、慶派を継承する立場の実弟子であったのに対して、快慶は康慶の弟子の中でも際立つ資質を持っていたと考えられる。運慶が作風に拘(こだわ)りを持っていたように感じるのに対して、快慶の方は親方の受けた仕事を淡々とこなしてゆく力量を持っていたようだ。従って、快慶と運慶とどちらの作品が好きかと問われれば賛否が分かれるだろうと思われるが、彫像・造像の実力は拮抗(きっこう)していたに違いない。拘りを優先して納期を逸してはダメだから快慶はそのような時には、冒険をせずに師匠の康慶の作風を踏襲して無難に仕事をこなしていたかのように見受けられる。どの作品も運慶を超えるものは見当たらないが、その点が快慶の奥床しい心映えを示しているのだろう。運慶の円成寺蔵の大日如来坐像を一度観れば、興福寺の阿修羅像と同じでその魅力に抗し難いもの感じてしまうが、快慶の作品ではそこまでの途轍(とてつ)もない魅力を感じることは余り無いのかも知れない。それでも勿論、鎌倉時代初頭の仏像彫刻の美術史的価値は圧倒的に高く快慶・運慶を超える仏師は以後登場せず、日本の仏像作品は江戸に至るまで低下の一途をたどる。-------
白鳳時代のスポンサーは大和朝廷だったし、奈良時代は仏教国家であったのだし、平安時代になっても少なくとも貴族が仏師のスポンサーでした。鎌倉時代は幕府と新興武士階級、しかしながら時代が下がるとスポンサーの財力が国家規模ではなくて小振りになって仕舞い、スケールの小さい所謂(いわゆる)職人しか育たない日本になってしまい、芸術家肌の仏師はその存在を許されなくなる。


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