風月庵だより

猫関連の記事、老老介護の記事、仏教の学び等の記事

風月庵だよりそして阿弥陀堂だより

2006-02-03 19:04:10 | Weblog
2月3日(金)晴れ【風月庵だよりそして阿弥陀堂だより
今日は節分。明日は立春。
季節の移ろいは、日めくりの一枚一枚をめくるようにひそやかだが、しかし確実に訪れている。

このところ仕事も忙しく、家に帰るとパソコンを開く気力が無い日が続いてしまった。このブログのタイトルは日記ではあるが、どうも日記という名を汚しているようである。そこでタイトルを変更して『風月庵だより』(風月庵の由来については12月28日投稿記事にあります)とさせていただくことにした。
宜しくお願い致します。

『風月庵だより』と変更しようと思うと同時に、『阿弥陀堂だより』が脳裏をよぎった。2002年に公開された映画である。ご覧になった方もいらっしゃるだろうが、タイトル変更の記念にご紹介させていただきたい。

監督は小泉堯史、黒澤明監督のもとで助監督をつとめた人である。黒澤監督の遺稿脚本である『雨あがる』を仕上げた人でもある。主演は寺尾聰と樋口可南子。別格主演ともいうべきは北林谷栄である。他に小西真奈美、田村高廣、香川京子、井川比佐志、吉岡秀隆などがいる。

物語はある山村を舞台に繰り広げられる。東京から寺尾と樋口の夫婦が移り住んできたところから始まる。寺尾の役は新人賞をとるもその後なかなか次が出ない売れない作家。樋口はパニック障害を患って、仕事が続けられなくなった医者。それぞれに癒しを求めて、寺尾扮する上田孝夫の故郷にやってきたのである。

阿弥陀堂は山の中腹にポツンとあった。そこには北林谷栄扮するおうめ婆さんが住んでいた。阿弥陀堂には村の死者が祭られているのだ。おうめ婆さんはいつからだろうか、九十の歳を越えても一人でそこを守っているのである。黙々とそこで生きているのである。

おうめ婆さんだけでなく、村の人々は自らの仕事を守って黙々と生きているのである。春も夏も秋も冬も。奥信濃の美しい四季を背景に展開される人の営み。いつしか樋口扮する美智子の病もだんだんに癒されていくのであった。

「阿弥陀堂だより」は、喋ることのできない少女小百合(小西真奈美が演じている)が村の広報誌に書いているコラムの題である。そこに書かれているおうめ婆さんの言葉を抜き書きさせてもらいたい。

お盆になると無くなった人たちが阿弥陀堂にたくさんやってきます。迎え火を焚いてお迎えし、暗くなるまで話しをします。話しているうちに、自分がこの世の者なのかあの世の者なのか分からなくなります。もう少し若かった頃はこんなことはなかったです。
怖くはありません。夢のようで、このまま醒めなければいいと思ったりします。

雪が降ると山と里の境がなくなり、どこも一色になります。山の奥にある御先祖様たちの住むあの世と、里のこの世の境がなくなって、どちらがどちらだか分からなくなるのが、冬です
春、夏、秋、冬。はっきりしていた山と里の境が少しづつ消えてゆき一年がめぐります。人の一生と同じなのだとこの歳にしてしみじみと感じます。         (「阿弥陀堂だより」パンフレットより)

なおこの映画の原作は南木佳士さんの同名作品である。

「いつの間にか
遠くを見ることを
忘れていました」

パンフレットのはじめに書かれている言葉である。

観客である私のほうが、映画の進行とともに癒されていくのを感じた映画であった。そして私もおうめ婆さんのように生きたいと思ったほどであった。

「阿弥陀堂だより」には及ぶべくもないが、東京という都会の片隅で、なんとか生きている一人の尼僧の独り言を、ポツリポツリと綴っていきますのでお読みいただければ幸甚です。

なおこの映画の撮影は長野県飯山市で行われた。「阿弥陀堂だより」のパンフレットによると「美しい螢の群れが飛び交う」シーンを撮りたかったそうだが、北信州では撮れなかったようだ。そのプロダクション・ノートを読んで、私には信州の螢がすぐに思い出された。満天の星が空から降りかかっってきたかと、驚かされるほどの螢の群舞に、長野の山中で私は出会った。名古屋から埼玉まで、得度の師匠の元に行脚して帰る途中の若いときの鮮烈な思い出である。ロケハンに教えてあげたかった、と今更に思う一場面である。
いつか行脚のことも書かせてもらいたいと思っている。

*このブログをご覧下さる方で、ご自分のブログがございましたら、是非URLをお教え下さい。私も読ませていただきたいと思います。*