風月庵だより

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アッシジと聖フランチェスコ

2006-01-02 12:48:24 | Weblog
2006年1月1日(日)曇り【アッシジと聖フランチェスコ】
  去年(こぞ)今年つらぬく棒のごときもの
師匠はお正月を迎える頃になると、この俳句をよく口にしていらっしゃった。正岡子規の俳句 だそうだ。
 やはり一夜あけて、おめでとう、というのが救いであろう。
 大晦日の十二時が過ぎるとすぐに、若水を汲んで、仏前にそれぞれ今年初めての淨水を供えた。
 私は今、室町時代の禅僧の語録の訳注研究ということを手がけているので、実は去年の暮れも正月も一日とて休むことなく、研究に明け暮れた。そして今年もまたそれに関わっていて何処にも出かけられない。ということはなんのドラマもなく元旦を過ごしてしまった。そこでアッシジと聖フランチェスコについて書こうかと思ったのである。
 暮れに紀伊国屋で買った塩野七生氏の本を、研究の合間に読んでいたら(実はこの合間読書が楽しみなのだ。目下の研究は一つの言葉の意味を探るのに一時間以上もかかるような退屈な作業なのだから。)「聖フランチェスコの母」という短編があった。それを読んだことと、このどんよりとした空が私にアッシジを思い出させた。 
 アッシジを私が訪ねたのは、出家後の1986年の暮れから1987年のお正月にかけてであった。二十日ほどの日程でオーストリアの友人たちが開催するセミナーに参加したのである。 
 アッシジの聖者ともいわれる聖フランチェスコは1182年に生まれ、1226年44歳でこの世を去っている。裕福な織物業者の息子として何不自由なく育ったが、かり出された戦争でその空しさを知り、これが大きな転機になったのではないかといわれているが,決定的なconversion(回心)はサン・ダミアノ教会の十字架のイエス様が語りかけたことであろう。病の人を抱きしめ、一切の冨を捨て、ただ荒布をまといロープを腰に巻いただけの姿で清貧に生きた聖者、フランチェスコ。聖者の願いは、鳥のように自由に、そして一切の欲を捨てて、人々の苦しみを分かち合い、喜びを分かち合い、神とともに、イエスとともに生きることであった。
 1972年にフランコ・ゼヒィレッリ監督によって作られた"Brother-Sun and Sister-Moon "は 聖フランチェスコと聖キアラを題材とした映画である。この映画の中で、サン・ダミアノ教会の再建を願って一つ一つ石を積み上げていくシーンは、主題歌とともに忘れがたいシーンである。
"day by day and stone by stone" このフレイズだけ覚えている。
フランチェスコは真の神の国を築くため、自らの魂を神に捧げて、祈りの一生を送ったのである。
聖フランチェスコの生き様とともにこの映画は、そのころのヒッピー時代の若者たちに訴える力が大きかったようだ。ベトナム戦争の空しさを、より鮮明に浮かび上がらせてくれた作品の一つであったろう。話しはそれるが、そのころのヒッピーの若者には理想に燃えるエネルギーがあったと思う。この頃、街を歩いていてもあの頃のエネルギーを感じないのは、私だけであろうか。

 私が泊まったホテルは、セントフランチェスコ大聖堂の近くにあるスバシオホテルだと思うが、記憶は定かではない。アッシジは城壁に囲まれた坂の街である。ローマより北にあり、イタリアの中部ウンブリア地方にある。いうまでもなく美しい街で、聖フランチェスコとともにあるような街だ。どの教会も聖フランチェスコと縁があるし、おみやげも聖フランチェスコに関するものが一杯である。鳥に餌を与える聖フランチェスコの絵柄は実に多い。聖フランチェスコなら鳥とも話しができたであろうと信じられる気がする。 この年はこの地方には珍しいそうだが、大雪が降った。お蔭でアッシジのホワイト・クリスマスを味わうことができたのだった。雪のなか、山頂にある教会(名前を失念したが)の洞窟を訪ねて祈りを捧げた。この洞窟で、聖フランチェスコは寝泊まりをし、祈りの日々を送ったのだという。岩の寝床ではさぞ体が冷えたことだろうかと、聖フランチェスコの祈りの日々の厳しさに胸を打たれたものである。聖フランチェスコは晩年目が見えなくなったというが、神の国が聖者には見えていたであろう。
 私は仏教を学ぶものであるが、聖フランチェスコのような魂を持っていたいと願っている。それにしてはぬくぬくと生きていて申し訳ない思いである。
 
 アッシジがウンブリア大地震で被害を受けたのは1997年のことである。石の街がどのような打撃をうけ、そしてどのように復興したのか 、その後を知らない。2002年に世界宗教者会議がアッシジでその後開かれたし、八年の歳月がたっているので、かなり復興はされたと思う。イタリア映画『明日、陽はふたたび』はこの地震に題材を撮った映画であるが、仮設住宅に暮らす人々の人間模樣を描き、そして地震にめげない子どもたちの生き生きとした姿をとらえていた。この監督は奇しくもフランチェスカ・アルキブシという女流監督である。イタリアではフランチェスコとかフランチェスカという名がポピュラーなのかもしれない。聖フランチェスコによって。なぜならそれはイタリア語でフランス人という意味なのだから。
 
 私のイタリア訪問は、実ははこの後、スイスにある女子刑務所を訪ねる目的があった。それについてはまたいつか書きたいと思う。

 この一年世界が平和に向かって動いてくれますように。
 そして皆様の日々が平和でありますように。