JKTS

被災地へ医療スタッフとして行ってきました。

短い間でしたが貴重な体験となりました。

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11、スマイル。

2011-03-23 16:48:23 | 皆様へ

携帯が圏外で使えなくて
不便なこともたくさんあったけど
そこまで行って言葉で伝えることや
話ながら背中に手をあてたりぬくもりもたくさんあった。
連絡が取れないから待ち合わせ場所に遅れないようにみんなが早めに来たりした。
ネットも繋がらないから必要な情報が入ってこないから
みんなで相談したり仲間を信じて行動した。
知りたくもない情報は入ってこないから日常を離れた気分になれた。



お金も必要なかった。
使ったのはテレフォンカードを買っただけ。
でも被災地ダイヤル回線でお金はかからなかった。

素敵なバッグもおしゃれなコートも必要ない。

あったかければなんでもいいから羽織っていた。
頭が寒かったときはハーフパンツをかぶって寝た。
私なんかより抵抗力の弱いお年寄りが寒くないようにみんなで掛け物を提供した。


自家発電が終了する夜は小さなろうそくのもと
これからを避難所のみんなと肩を寄せて話した。
瓦礫の山とぬかるんだ地面の陸地と対象的に
真っ暗な夜空に星がいつも夜になるときれいだった。人の声を聞くとほっとした。


水が出なくて資源の大切さを実感した。
髪も顔も洗うような無駄な水はない。
お風呂に入れなくて赤ちゃんのおしり拭きで全身を拭いた。
それで出たゴミは持ち帰った。




避難所や救護所や病院で奇跡の再会ができた人もたくさんいた。
そのたびに誰彼関係なく周りは拍手。まだ自分は身内に会えてない人まで他の人の再会を祝福していた。



その光景を見て家族や友達や同僚や親類や仲間の大切さを再認識した。

ちょっとだけ早く帰りたくなった。



1人でいる人に誰か必ず寄り添っていた。


私が医療物品を1人で詰めていても必ず現地の人が話し掛けてきた。

炊き出しの時間も現地の人優先だったので
見てるとお腹がすきそうだから救急車の中にいるといつもお裾分けに来てくれた自分の母親くらいの年齢の方がいた。

「○○チャンに倒れられたら
それこそ大変だから」と私の名前を覚えてくれていつも届けてくれた。




自分の明日の食事も見通しがつなかい状況なのに
申し訳ないのと感謝の気持ちでいっぱいでいつも母のことを思い出していた。




そんなときラジオから
都内で物資を取り合いしているニュースが流れていて
震災の被災地が東京だったら絶対復興はしないだろうなとぼんやり考えていた





ラジオのありがたみも知った。
日本語って本当に素敵だと思う。
スペイン語をマスターしたかったけど日本語をもっと大切にしたくなった。



ラジオからはいつも前向きな歌が流れていたし
きっとみんながリクエストしてくれたんだと思う。



アンパンマンの歌、平原綾香の歌、岡本まよの歌、
ミスチルの歌、嵐の歌、世界にひとつだけの花はほとんど毎日流れていた。



あと懐かしいところでは
「それが大事」とか「どんなときも」とか。



ラジオからドリカムの
『何度でも』が流れてきたときは患者さんを運びながら涙が止まらなかった。
すっごく勇気をもらった。友達の顔や家族の顔が無条件に浮かんできた。
医療チームも腕まくりする人が増えたから歌に後押しされていたと思う。



眠れない夜は翼の「君となら」とか「見果てぬ夢」とか「ただ・・・」を一晩中聞いていた。
勿論曲に励まされたけど、
あの楽しくて明るい空間って当たり前じゃなくて
そこまで行けることや
みんなが元気に参加出来ることって本当に恵まれた環境だったんだと思った。


あの会場にいた震災に遭った友達のこともずっと思い出していて
早く楽しい場所で笑顔で会いたいと思った。




いくら芸能人が「頑張って」とエールを送ってたとしても
なんせ電気が思うように復旧していないし
やっと見れたテレビはすべて震災情報、ラジオも震災情報、
新聞も震災情報。

エンタメ情報なんてひとつも入ることはなかった。

避難所のみんなもニュースしか見ていないし
他の避難所がうつるたびに家族や知人がいないか必死だった。






他県や外国からの
自衛隊の方々、
企業からの支援、物流の運転手さんたち、電気会社の方々、医療スタッフetc

すごくあったかかった。



まだまだ日本は捨てたものじゃないなと思う。



こんなときになかなか笑顔になれないけど
挨拶するとき、お礼をいうとき、笑顔でいるように心がけた。


心が折れることばかりの毎日だけど
避難所のみんなの心のほうがどんなに傷ついているか。

傷に薬をつけて包帯を巻くのは簡単だけど
心に包帯を巻くのは難しい。


笑顔の薬、少しでも傷が癒せるといいけど・・・






『誰かの笑顔につられるように
こっちまで笑顔がうつる魔法のように
理屈ではないところで僕ら
通じあえる力を持ってるはず


あなたは今笑っていますか
強がりじゃなく心の底から

憎しみが入る隙もないくらい
笑い声が響く世界ならいいのに』

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54 コメント

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そうなんですよね。 (あらし)
2011-03-28 00:27:40
はじめまして。
ブログ読ませていただきました。
沢山のご支援ありがとうございました。


今日、被災地にいるイトコからメールがありました。

テレビが見れないから
嵐が出てるの録画して!!

そのメールをみて安心しました。
少しは心に余裕ができたのかな?

去年、一緒にドームで嵐のコンサートを観たんです。

「本当に楽しかったぁ」と言うイトコの顔が浮かび。

「また絶対観に来るから」と岩手へ帰って行った。


ラジオから嵐の曲を聴いて、あの時のコンサートを思い出しがんばってほしい。

そして、
絶対また観に行こう!!!
と約束しました。


感謝します。 (nagumo9)
2011-03-28 10:42:37
私は東京にいる人間ですが、あなたのブログを読めてよかったです。
本当にどうもありがとう。
お疲れ様です (ocean1116)
2011-03-28 11:34:28
お疲れ様です、の一言では言い得ないご苦労だと思います。

あなたのような医療チームの方々、原発で激闘されている方々、自分も被災者でありながら他の被災者の救援活動をされている自衛隊・警察・消防関係の方々と本当に頭の下がる思いです。
同じ日本人であることを誇りに思います。

遠く九州の地からですが、心よりの感謝と応援のエールを送らせてください。
Unknown (ik)
2011-03-28 13:12:15
私は静岡に住んでいるのですが、地震の時は盛岡周辺を旅行していました。
レンタカーを借りていたため、電車やバスなどを利用しなくても13日には静岡の家に帰れました。
盛岡から南下していった車の中では「○○市は壊滅状態。○○市では死者○○人、行方不明者○○人・・・・・」という被害の状況をラジオでずっと聞いていました。しかし、ある時チャンネルを変えると元気な男性のパーソナリティの番組になり「○○市の○○公園はちょろちょろですが水が出ます!!」だったり、「○○市の○○神社では炊き出しを行っています!!」などの元気になれるような情報をたくさん与えてくれました。もちろんその中でも元気になれるような、頑張ろう!や、そばにいるよ!や、まだやれる!というメッセージの音楽が流されていて沈みかけた車内がいっきに明るくなりました。
音楽は本当に不思議な力を持っていると強く感じました。前向きな曲を聴くと本当に元気になれますよね。

家についてからも自分はこんなに贅沢な生活をしていて良いのかと思う反面、自分には何が出来るんだろう、この何気ない生活こそが本当に幸せなことなんだなと今まで気付けなかったとこに気づくことが出来ました。
今現在も被災されて苦しんでいる方々が大勢いると思います。報道規制やマスコミによって報道されない生の現状を少しでも知れてとても良かったです。ブログを書いていただき本当にありがとうございます。
被災された方々に全世界のあたたかい励ましが伝わり、明るいニュースや明るい笑顔が戻ってくる日を心から待ち望んでいます。
本当に本当にお疲れ様です!!!
Unknown (ゆき)
2011-03-28 16:36:12
東京で買占めをしている人がいるのは事実。でもそういう人ばかりでもないということをわかってほしいです。
私の近所は水のペットボトルをもちよって乳児がいるご家庭に届けたりみんなで物資を送ったり義援金集めたりしています。

>震災の被災地が東京だったら絶対復興はしないだろうなとぼんやり考えていた

この言葉をきいてずっと東京で育った私は悲しかったです。
笑顔の大切さ (Nana)
2011-03-28 21:02:39
ブログ、読ませて頂きました。
私も関東の人間ですが、
テレビやラジオで被災地の情報を見るたび、
想像を絶する苦しみの渦中にいらっしゃることが分かります。
引用されたうたは高橋優さんの「福笑い」という曲ですね。
2010年のラジオ番組の中で、1時間足らずで出来たうただそうです。
自らも秋田で被災されたそうですが、
その後、無事にお仕事に戻り、このうたを届けています。
うたにのせて笑顔の大切さを再認識しました。
届くといいな。日本中に、このうたが。

Unknown (刹那)
2011-03-28 22:00:43
僕は東京に住んでいます。自分に何が出来るかちょっと分かった気がする
ありがとうございます。


今日スーパーで小さい子を押し退け水を抱えたオバサンを見てがっくりきました。
僕も東北だからこそ早い復興を信じています。

東京だったらのくだりで賛否両論あるけど「今の」東京だったら僕も復興しないか僕の代での復興はないと思う。
東京のことはともかく
被災地のことが手に取るように伝わってきました。


漫画本買うお金を寄付しました。もちろんずっと続けていきますっ
Unknown (Unknown)
2011-03-28 22:41:17
>震災の被災地が東京だったら絶対復興はしないだろうなとぼんやり考えていた
ある意味では東京も被災地なんですよね・・・
買占めなどはメディアの影響力もあるんでしょうけど
東京もこれまでにない揺れを感じ恐怖を植え付けられた人も多いでしょう
関東大震災を経験したお年寄りの方も多くいます
東北など地方出身の方たちも多くいます
交通網や物流の麻痺
街全体がパニック状態

そして今でも続く余震による恐怖
地震酔いに悩まされてる声も多く聞きます
家族や帰る家を失い東京に一人残されてしまった方も
少なからず東京も傷を負っているのです
その中でも何か出来ることはないかと頑張ってる人も多いです
メディアを通してそう受け取られてしまうのは少し寂しいかもしれませんね・・・
ありがとう (笑顔)
2011-03-28 23:02:40
ブログ拝見しました。
報道されない被災地のリアルな状況。
そして泣く事しかできない自分。
何もかもやるせない気持ちになりました。
でも音楽の力に救われました。
『福笑い』本当に元気もらえますよね。

あなたがいつも笑えていますように
心から幸せでありますように
それだけがこの世界の全てで
どこかで同じように願う。人のすべて

あなたのように直接的に貢献は出来ないですが
自分も小さな力を最大限に活かせるようにします。

福笑いで応援動画を見つけました。
少しでも笑顔が増えますように。

http://www.youtube.com/watch?v=V36clBSzy4U

何度でも (aya)
2011-03-28 23:17:56
こみ上げてくる涙を何回拭いたら
伝えたい言葉は届くだろう

誰かや何かに怒っても出口はないなら

何度でも何度でも立ち上がり呼ぶよ
君の名前声がかれるまで
悔しくて苦しくてがんんばってもどうしようもない時も
君をおもいだすよ

10000回だめでへとへとになっても
10001回目は何かかわるかもしれない

口にするたび本当に伝えたい言葉は
ぽろぽろとこぼれて逃げて行く

悲しみに支配させてただつぶされるのなら

何度でも何度でも立ち上がり呼ぶよ
君の名前声がかれるまで
悔しくて苦しくてがんんばってもどうしようもない時も
君をおもいだすよ

10000回だめで格好わるくても
10001回目は何かかわるかもしれない

前をむいてしがみついて胸かきむしって叫べ

Wooooooooooooooooooooooo!

何度でも何度でも立ち上がり呼ぶよ
君の名前声がかれるまで
悔しくて苦しくてがんんばってもどうしようもない時も
君をおもいだすよ


この先もつまずいて、傷ついて、傷つけて終わりのないやりばのない怒りさえもどかしく抱きながら
どうしてわからないんだ?伝わらないんだ?喘ぎ嘆きながらJIBUNと戦ってみるよ

10000回だめで望みなくなっても
10001回目は来る

君を呼ぶ声チカラにしてくよ何度も
明日がその10001回目かもしれない!!!!!
おつかれさまです! (東京の人)
2011-03-28 23:40:48
貴重な体験談ありがとうございました!
まだまだ被災地の方々は不安な夜を過ごしてるのかなと思うと胸がいっぱいになります。

しかし東京だったら復興できなかっただろうな。は正直悲しいです。
都庁では毎日のように物資を被災地へ届けてほしいと言う人達で大行列になるほど…。
心無い人間ばかりではないということも分かっていただきたいです…。
日本が早く元通り元気になりますように。
ありがとう☆お疲れさま (きなこ)
2011-03-29 00:57:05
私たちにシェアしてくれてどうもありがとう。
あなたの素直でまっすぐな文章にどんどん吸い込まれたよ。東京だったら云々、なんていろいろ言われてもそれもあなたの素直な意見だし実際被災地に行った人だからこそ
東京とのギャップに気が付くんだもんね、気にしないで!

ちなみに私もドリ、今井翼くん、高橋優ファン。
あなたと趣味や感性が似ていて嬉しくなったよ。出来るなら一緒に飲みたいくらい。
あなたの心に寄り添ったり体験記に涙した私もあなたのFamilyになりたいよ。


並大抵の努力だったとおもう。ありがとう!
無名の翻訳者さんへ To Anonymous Translator-san (みやけ Miyake)
2011-03-29 05:50:21
I was absolutely amazed at your quick action. I copy-pasted your translation on Word Document and am ready to send it to friends. My only worry is copyright.
And if you need help, please contact me through twitter if you have an account.
◎tabijump (please change ◎to→@ if and when you decide to contact)

無名の翻訳者さん、素晴らしいです。ブログ主のカンゴンさん、この英訳を使う許可をいただけますか?

まだ無名さんが引き続き翻訳に取り組んでおられるようですので、今後もコメをこまめにチェックいたします。

他の英訳をお申し出になられた皆様、この英訳はネイティブあるいはかなりのバイリンガルの方がなさったと思われます。
今回の震災の現場 (てる)
2011-03-29 10:35:56
このブログを読みながら思ったのは、テレビで放映出来ない事が沢山書いてありました。
被災地の真実をもっともっと出しても良いと思います。
このブログを読みながら、胸が締め付けられました。
もし、被災地に行く機会があったら被災者の方々に伝えて欲しい。
一人じゃないよ。
risa (Unknown)
2011-03-29 10:49:55
>震災の被災地が東京だったら絶対復興はしないだろうなとぼんやり考えていた

主さんのこの言葉にまず噛み付く人がコメント欄に多い事から、私も東京だった場合復興は難しいなと同感いたしました。
ありがとう! (mayumin)
2011-03-29 15:14:05
アメリカ在住です。自衛隊員の弟達が宮城県で活動しています。

連絡のない弟達も現地でがんばってくれてといるのかなぁとこのブログに弟達の姿をだぶらせて読ませてもらいました。

あなたのように災害救援されている方々にはいくら感謝しても足りないですね。

同じ日本人である事が誇らしいです。
本当にありがとうございました!
ご苦労様でした (yusan)
2011-03-29 20:33:54
貴重で真実の情報ありがとうございました。東京に住んでいて、実感が無かった自分自身が恥ずかしいです。想像する感受性を高めないと。
Unknown (シアワセノシズク)
2011-03-29 21:11:55
“都内で物資を取り合いしているニュースが流れていて
震災の被災地が東京だったら絶対復興はしないだろうなとぼんやり考えていた”

私も同じことを思いました。もちろん一部の方々の過剰な反応なのですが…
「こんなに物を買い漁ってる人たちは自分(を含む家族)のことしか考えていないんだろうなぁ」と。
津波に飲まれてあっと言う間に全てを失ってしまう、そんな現実を何度となくTVで見せられているはずなのに...
だけど静観していた私がまもなく「牛乳買えない!おむつがなくなっちゃうかも!」と言う危機をむかえた時、ママ友が“おむつあるよ~”とか“○○スーパーで今なら牛乳あるよ!”とか情報をくれたりして。関東でも良い人・仲間はいます。繋がりが希薄な今、マスコミ情報だけに流されちゃいけないなと反省しました!

計画停電も今欲しいものが買えなくても「被災地の方々に比べたら…」と思って我慢しています。我慢?ちょっと違うかな。

前向きSongで元気になろうと思います。毎日被災地にいる母を思ってBlueだったので…
いろいろと考えるきっかけ、抜け出すきっかけを下さってありがとうございました。
本当にお疲れ様でした (まいこ)
2011-03-30 00:49:51
主さまのブログを友人づたいに聞き今日初めて拝見しました。テレビでは知り得なかった現状、想像を絶する苦しみに涙が止まりませんでした。主さまが現地で必死に頑張ってくださったことに心から感謝致します。


↓のrisaさんへ
>>主さんのこの言葉にまず噛み付く人がコメント欄に多い事から、私も東京だった場合復興は難しいなと同感いたしました。

というご意見がありましたが、すべて見返した所「噛み付いている人」は一人もいなかったように思います。私は東京の人間ではないですが、東京もかなり揺れた被災地であり、死者だって出ました。それでも大きな混乱が起こらないよう一人一人が努め、募金や節電に励んでいると聞きます。一部では買い占めなどの自己中心的な行為があるようですが、そういう人たちだけではないということも確かな事実です。
どうか感情的に煽るようなことは書き込まないでください。地域関係なしに、日本人同士思いやる心が、今こそ必要なんだと私は思います。
Unknown (Unknown)
2011-03-30 01:48:27
東北の被災地で命がけで頑張ってくださって本当に有難うございます。私は医療従事者でなく、被災され苦しんでいる方のために直接的に何もできないので、情けなさとふがいなさでいっぱいです。あなた様のお仕事と想いに涙があふれ、頭が下がるばかりでした。

でも、何もできないなりに、手元にあるだけの現金を募金し、節電し、不必要な買い占めには走らないよう、近所の皆と一丸となって余震の恐怖と戦っていました。あなた様に東京に幻滅されてしまうと、そんな自分がした精一杯の支援が無意味だったように思えて、やはり辛いのです…。
現地で必死で頑張ってこられて心身ともにお疲れでしょうこんな時に、こんなことを申し上げてしまいすみません…本当に。それでも、どうしてもわかって頂きたかったのです。東京もあれから必死で頑張っているんだということを。悪い人ばかりではないんだということを。
Unknown (避難所のおぃちゃん)
2011-03-30 02:18:14
避難所は相変わらず寒くて眠れないのでこちらにもコメントを。
看護師さんに炊き出しをお裾分けしていたおばちゃんも実は娘さんがいまだに安否不明なのです、炊き出し係のリーダー的存在ですが。


東京だったら・・・のくだりが気になってるかたがちらほらいるようですが看護師さんが疲れ果てた体でぼんやり思った程度のことだ、読み流す余裕を持っていただきたい。

Thanks a lot。 (Sandy)
2011-03-30 08:00:34
友人から教えて貰い、辿り着きました。
肉体的にも精神的にもいつも以上に大変な仕事を終えた後にもかかわらず
“被災地での現実”を記録し続けて下さったことにただただ感謝です。

記録よりも記憶が大切とかよく言うけど
記憶はシェア出来ないし
音でのコトバじゃ伝える人数に限りが出るし
やっぱり文字でのコトバじゃないと ―― 記録じゃないと

せっかくの記憶が
貴女の貴重な体験が
誰もが知れるワケじゃない現実や人々の声が

シェア出来ずに終わってしまうところだったから。




天に還るもの
生まれるもの

壊れるもの
創り出されるもの

明日もきっと今日より明るい。
私たちなら大丈夫と信じられました。
ありがとうございました。m(_ _)m
おつかれさまでした (TJ)
2011-03-30 08:14:28
ほんとうにおつかれさまでした。
テレビを見ていては到底分からなかった壮絶な現実が伝わりました。
短い間とおっしゃっていますが、通常の何十年分もの体験をされましたね。
おつらいことでしょうが、思い出せるだけすべてを記録に残されるのがよいとおもいます。
そして、自分の気持もすべて受容されるとよいとおもいます。
無名の翻訳者さんへ To Anonymous Translator-san (K.A)
2011-03-30 11:46:22
私も友人に教えてもらい、先ほど全て読み終えたところです。ずっと涙が止まらなく、自分ができることは何か、出来ることがあれば何かしたいと思いました。

そして、日本人はもちろん外国人の友人にも読んで欲しいと思っていたところ、無名の翻訳者さんが翻訳してるのを発見しました。もし許可がいただけたら私も友人に見せたいです。

続きの翻訳も楽しみにしています。

マイミクに教えました。 (通りすがり)
2011-03-30 13:34:43
ブログ主様に無断で申し訳ないですが、
マイミクにも知ってもらいたい事実だった為、
教えました。

あと、
東京だったら・・・のくだり部分について、
気にしている方がちらほら見受けられますが、

>看護師さんが疲れ果てた体でぼんやり思った程度のことだ、読み流す余裕を持っていただきたい。

「避難所のおぃちゃん」のおっしゃる通りだと思います。
希望 (やまざきえゆみ)
2011-03-31 00:13:02
お疲れ様でした。現場に居る方でなければ分からない事実をこうして、読める形にしてくださったことに、とにかく感謝申し上げます。

本当はトップかラストにコメントをと思ったのですが、受け付けないようになっていたので。
でもどうしても言いたくてこんなところに書かせていただきます。

一見平静を装っている東京も、実は狂気と表裏一体です。買占め行動などはその顕著な例です。他にもあらぬところでの夫婦喧嘩や、何も言わない子供も心の中ではとても不安がっているとか。

貴女様はきっとこれからも、そうして皆様を見守り、助けてくださるのでしょう。

だからあえて「これからもそのままの貴女様でいてください」と言わせていただきたいと存じます。
Unknown (Nullpo)
2011-03-31 04:59:41
東京の買い占め騒動は半分以上嘘です。
私は都民です、買い物自体に個数制限があり買う物自体もありません。
物資不足状態ですが、なんとか被災地のみなさんに物資を集め工場など大規模停電しガソリン不足の中でもどんどん被災地に贈っている状態です。
買い占め騒動のイメージ作戦は蓮舫・辻元などの政治ごっこなので間に受けないで欲しいです。
因みに私の近所では数制限のない物でも少しずつ棚から減っていきます。
物が無いのはガソリン不足による補充困難な事が主な要因です。
油槽所への大規模停電も過ちだと民主党政権は気づいたのと油槽所の震災ダメージ復旧も進んでいるので少しづつ改善していくと期待しています。
それと被災地手前で大量の物資が集積所で止まってると聞きます。
現地の皆さんからも行政の不手際をどんどん指摘して頂きたいです。
我々が頑張って送っても、集積所で山積では意味がありません・・・
被災地の皆さんに少しでも物資が行き渡る事を切に願っています。
はじめまして (GoT)
2011-03-31 06:54:26
友人から教えて貰いblog全て読ませて頂きました。

想像を超えていました。
読むだけで涙が出ましたが、目の前で起きていたら…と。貴女様の強さは凄いと思います。

翼ファンなのですね。「君となら」「見果てぬ夢」「ただ・・・」私も好きな曲です。
魂会場ですれ違ってたかもしれませんね。同じファンとして何だか嬉しいです。
ジャニーズ好きなのであればKinKiのFamilyも是非聞いてみて下さい。

勝手ながらmixiにてチェックさせて頂きました。

また行く機会があれば救ってあげて下さい。
私は直接救いに行く事が今は出来ないので微力ながら節電等努めたいと思います。
募金もあれば入れてますが…滝翼魂でもやるみたいですし協力して行きたいと思ってます。

またの更新を待っております。
お疲れ様…ありがとうございました。
無名の翻訳者さんへ (miomaeshima)
2011-03-31 11:20:08
私も翻訳をと始めましたが、ずっと早く進めていらっしゃる方がいらして嬉しく思いました!!!!素晴らしいです!ありがとうございます。

私も別の方がおっしゃっているように海外の友人に紹介したいと思いますが、もし可能ならば、英語の部分だけ、まとめてアップすることはできるでしょうか。(ブログ主さんに負担をかけてしまいそうで本当に申しけないですが。)そうすればURLを知らせるだけで、ものすごくたくさんの人の目に触れられると思います。

今は世界の多くの注目が東北に集まっています。でも、事態が長期化するうちに、世界の人々は「普通の生活」に戻ります。それとともに、東北への関心も閉ざされていくでしょう。その前に、できるだけたくさんの人の頭の中にこの事実を入れておかないといけないと思います。
東京勤め (yoshida)
2011-03-31 11:33:14
じっくり読ませていただきました。ニュースでは感じられない現場の空気に少しだけでも触れられた気がします……。 
こちらは非現実世界です。東京では会社が始まり、綺麗な格好をして、バラエティ番組もはじまり、日常が少しずつ少しずつそっと戻ってきている気が致します。
今起こっていることは絶対に忘れてはならないことだと思います。
被災地の方が受けられた思い、今も頑張って、踏ん張って、立ち上がろうとなんとか生活していること、僕は僕の出来ることを探して、そして忘れないでいようと思います。今を大切にしたいと思います。
すでにまとめてくださった方が… (miomaeshima)
2011-03-31 12:13:48
英文をすでにまとめ始めてくださった方がおいででした。感謝いたします。
ありがとうございました (幸子)
2011-03-31 21:32:13
はじめまして、友人からこちらのブログを教えてもらい、お伺いいたしました。

まず、「泣いてはいけない」の事。
被災地へ行って、大変な人のお役に立ちたいなどと甘い考えを持っていた自分を恥じ入るばかりでした。
そして、瑠奈チャン、怒られても、泣いてよかったと思いますよ。
「おねえちゃん」が同じ様に泣いてくれたから、瑠奈チャンは、頑張ろうと思えたのかもしれませんから。

私は千葉県住まいですが、東北のあまりの被害の大きさに、県内や茨城県の被災地が後回しにされている事に、とても憤りを感じておりました。
その被災地の方々も、私が想像するより、本当にずっともっと、大変で悔しくて、悲しくて怖い思いをされていたのだと思うと、なんと表現して良いのか分かりません。

「福笑い」は、私も、地震のあった日からずっと聞いていました。
先週辺りから、しおりさんの「smile」という曲を口ずさんでいます。

「君の笑顔が 本当に 好きなんだ
 君の笑顔は みんなを 幸せにする
 だから 笑っていて この青い空の下で
 
 君よ 強くなれ」

今はまだまだ、笑顔なんて見せられる状況ではないかもしれません。
でも、被災地で赤ちゃんが生まれた時の様に、本当にほんの少しの間でも、避難されてる皆さんに笑顔が戻ればと、そう思います。


本当に、大変な経験、ブログ主さんも、同じ様に悲しい怖い辛い思いをなさったのに、皆に見える形にして下さって、ありがとうございました。
私も、私に出来る限りの事を、して行こうと思います。
看護師さんなら教えて下さい (鬱病の関東人)
2011-04-01 02:17:09
>震災の被災地が東京だったら絶対復興はしないだろうなとぼんやり考えていた

そうですね。
埼玉でスーパーの店員をしています。
そもそも入荷自体が無いですね。

東京の人間は人殺しだと福島出身のブロガーさんが言っていました。

私はこの先いい事も明るい事も何もありません。
1人でないのは他の方々で、私は1人です。
人間の意日は平等とおっしゃいますが、私の命には価値がないようですし、東京なら復興しないのならきっと東京の人の命も東北の人と平等ではないとお考えなのでしょう。

私の命が誰か1人にあげられるならどんなにいいか。
私は病気ですし献血も門前払いですが生きているので命は持っています。
どうしたら価値ある人に譲れるか教えてもらえたら今すぐ這って行きます。
Unknown (東京の人間ですが)
2011-04-01 05:47:14
>鬱病の関東人さん
その命がけの気持ちで働いたお金を募金すればいいんじゃないですか?
鬱なら専門の所へどうぞ。

やたら東京~のくだりにばかり拘る人が出てますが、こんな時にこんな所でまでそんなに慰めてほしいんでしょうか。
生きるのに精一杯、帰る所もない、明日どうなるか分からない。そんな人達がぎりぎりで生活する避難所で昼夜問わず働く(働いていた)人へ、お金を出せば物が買える、家もある、多少停電したところで電気もつくし水もある、車だって電車だって動いていて行こうと思えばどこへでも行ける所から、ちょっと悪く言われたと思ったらああだこうだ訂正を求めてみたり「悲しい…」だの傷ついたアピールしてみたり「東京も被災地なのに…」だの言ってみたり、正気を疑います。

そりゃ地元が意に副わない言われ方すれば悲しい気持ちはわかりますよ。私も東京で生まれ育った人間ですから。けど今この場面でそんなもんが何だと言うんでしょうか。そんなやっすい自己憐憫やら弁護やらは求められてないんです。
まあどうせ「私はそんなつもりで言ってません」ってなもんでしょうけど、そんなこと問題じゃないんですよ。求められてないそれだけです。
そんなことも分からずどこでもここでも平気で引っ掻き回すから「東京の人間は…」とか言われるんですよ。そりゃそうなりますよ、ずっと首都圏の「便利さ」のために地方を犠牲にしてきた上にここへ来てまだこれなんだから、そりゃ復興しそうにないわと思いますよ。
貴方も私も復興の邪魔です。求められてないんです。大人しくお家へ帰りましょう。

管理人さんへ。我慢できずこんなコメントになってしまいすみません。よければ削除してください。
Unknown (ひで)
2011-04-01 10:38:18
先ほどわずかですが募金してきました。こちらを読むまではやはり対岸の火事のように思え募金するなんて考えもしなかった。同じ日本なのに。
でもルナちゃんやまだ避難所にいる皆のことが心に残っていて募金するきっかけになりました。これからも続けます。


ちなみに僕もコメントの避難所のおいちゃんさんと全く同じ意見で東京だったらのくだりは断言してるわけでなくぼんやり思ったことだし読み流す余裕を持って欲しいっす。僕も東京人ですが他の人のコメントを見るまで全然気にならなかったし。そういう点でも心に余裕がなくちゃ人と協力は出来ないっすよ。



東北、バックアップします!
11) Smile (anonymous translator (English))
2011-04-01 11:34:38
DISCLAIMER FROM THE TRANSLATOR: While I do speak English, I know nothing about medicine. These are rough translations made through tears. Please take all medical details with a grain of salt. This translation has not been proofread and may be revised on a later date.

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Our cell phones had no reception and there have been many situations where being unable to use them proved inconvenient, but there was a certain warmth there, too―going where someone else is to communicate with them, or having a hand on someone's back while talking to them. We couldn't contact each other, so everyone was arriving early at meeting places to make sure they don't run late. We had no Internet, either, and we were cut off from necessary information, so we discussed things amongst ourselves and believed each other in putting anything into action. Unwanted information wasn't coming in, either, so I felt as though I had left my daily life completely.


We didn't need money here. The only time I used it is when I bought a prepaid card for phone calls, but the pay phones in the affected areas could be used free of charge.

Fabulous purses and stylish coats are not needed here.

We wear anything so long as it's warm. When I slept at night, I wore shorts over my head if it felt too cold. We all gave our covers to the elderly, who have much lower resistance than someone like me.

At night, when the power generator shuts down, we all gathered around a small candle and talked about what will happen from now on. In contrast to the mountains of rubble and muddy ground on the land, the stars were always shining beautifully against the black sky every night. It was reassuring to hear the voices of others.

The lack of water taught me just how important our resources are. There is no water that can be spared for something as trivial as washing our hair or faces. I couldn't take any baths so I wiped down my entire body with baby wipes, and took all my garbage with me when I left.


There were many people who were able to experience miraculous reunions in evacuation sites, first-aid stations, and hospitals. No matter who it was, everyone around them would break into applause. Even those who still hadn't been able to meet their families were celebrating the reunions of others.

Watching these scenes, I was reminded of the importance of our families, our friends, our colleagues, our relatives, our fellows of all kinds. It made me wish that I could go home just a tiny bit sooner.


There was always someone there for those who were on their own.

Even when I was just packing medical supplies by myself, someone from the area would always talk to me.

Locals were to be given priority for the meals being served, too, and there was an older woman about the same age as my own mother who always came to see me in the ambulance, where I would wait my turn because watching everyone get their food will probably make me hungry, to give me part of her share.

She called me by my name, and came to share her food with me every time, saying,
"We'll really be in trouble if you collapse!"

This, in a situation where there is no promise of her own meal tomorrow. I felt terribly apologetic and extremely grateful at the same time, and she would always make me think of my own mother.


And then I heard on the radio that people are fighting over supplies in the metropolitan area, and it made me wonder whether restoration would ever have been possible if this devastating crisis had hit Tokyo instead.


I have also come to truly appreciate the radio. Japanese is really such a wonderful language. I wanted to learn Spanish before, but now I want to give the Japanese language more of my attention.

There were always encouraging songs on the air, probably requested by everyone out there.

The Anpanman theme song, songs by Ayaka Hirahara, songs by Mayo Okamoto, songs by the band Mr. Children, songs by the group Arashi, and "Sekai ni hitotsu dake no hana [A Flower Unlike Any Other in the World]" by SMAP were on the air almost every day.

Songs like "Sorega daiji" by Daiji MAN Brothers Band and "Donna toki mo" by Noriyuki Makihara brought back memories.

When "Nando demo" by Dreams Come True was on the air, I couldn't stop crying even as I was transporting patients. It gave me so much courage. The faces of my friends and family came to mind on their own. More people in the medical team were rolling up their sleeves, and I think they were encouraged by the song, too.

When I couldn't sl
[continued] (anonymous translator (English))
2011-04-01 11:35:34
When I couldn't sleep, I spent all night listening to songs like "Kimi to nara" and "Mihatenu yume" and "Tada…" by Tsubasa Imai. The songs encouraged me, but they also made me think about how that fun and cheerful space shouldn't be taken for granted, and that we were fortunate to be in a situation where everyone was doing well and could come and see the show.

The entire time, I was also thinking of my friends who were also at that show who are in the areas affected by this catastrophe, and hoped that we can see each other again in a happy place full of smiles.


No matter how many celebrities may be sending out messages for people to hang in there, electricity still hasn't been restored entirely, and when we finally had access to television, there was nothing but earthquake disaster information being broadcasted. The same can be said for the radio and newspapers.

No information about the entertainment world reached us at all.

Everyone at the evacuation site was watching nothing but the news, too, and every time another evacuation site was on the screen, they were desperately looking for their families and acquaintances.


From other prefectures and even from other countries, help came in the form of the self defense forces, support from corporations, drivers who were transporting goods, people from the electricity company, medical staff, etc.

It was all so warm-hearted. Japan isn't half bad just yet.

It's really hard to smile at a time like this, but I did my best to smile when I greeted or thanked people.

Every day is full of heart-breaking things, but to think of how broken-hearted everyone at the evacuation sites are feeling. It's easy to put medicine and a bandage on a physical wound, but it's hard to dress the wounds of someone's heart.

I can only hope that smiling will have at least some slight effect on that wound.


"To feel a smile's attraction / its magical effect on me
It needs no explanation that / we have the power to communicate

Are you smiling now? Not shallow, but from deep inside?

If only we could fill the world / with a laugh that left no room for hate"

―"Fukuwarai" by Yu Takahashi
[English translation from http://www.takahashiyu.com ]
BECKより (まつーら)
2011-04-01 20:03:05
「絶望した事がなければ
 本当に大事なことはわからない」

貴女は、本当に大事なことが何なのか
分かる人なのだと思います。


僕はまだまだ勉強の身ですが・・・
Unknown (けん)
2011-04-02 03:56:21
(東京の人間ですが) さんのおっしゃるとおりだと思います。ありがとう。
文章の言葉の一端をつかまえて過敏に反応して挙句の果てには「東京も被災地」だ…とは、愕然とするばかりです。あなたがいま傷つきましたと表明して見せることとか、本当にどうだっていいなと思います。
想像力がないのかな‥。

看護婦さん、こんなネガティブなことを書いてごめんなさい。

僕は東京に住みながら、看護婦さんの文章を読ませていただき、おこがましいけれど少しだけ、被災地の悲惨でとてつもなく悲しい状況や、それでも生きようと必死になる人たちの姿を知ることが出来た。本当に感謝しています。

僕たちは想像力を働かせて(といってもたかが知れているんだけれど)、
東京に住む僕らもそれぞれに大変だけど、本当に今一番大変な人たちのために自分が何が出来るか考えるべきだと思う。

自分の無力さばかりが見えてくるような毎日だけれど、
僕は僕にできることをちゃんとやります。
募金して、献血して、節電します。

看護婦さん本当にありがとうございます。

ルナちゃんと被災地の皆さんのこれからの日々に良いことがたくさんありますように。


東京の人間ですがさんへ (鬱病の関東人)
2011-04-02 06:51:59
これが人間です。
大勢の人が亡くなれば「忘れてはいけない」、でも、今日も昨日も11日も、震災のなかった地域で誰かが一人、犯罪の被害に遭って、または餓えて亡くなったかも知れない。いじめられた子が、鬱病のサラリーマンが首を吊ったかもしれない。
その人達は死んでいい人ですか?その人達は自業自得ですか?誰がその人達を助けたでしょう。命の重さは同じ?
違いますよね。

>その命がけの気持ちで働いたお金を募金すればいいんじゃないですか?
鬱なら専門の所へどうぞ。

鬱病の他に喘息と狭心症を患っていますが、命がけで働いています。なぜなら、母子家庭ですので子供たちを養うためです。
そのお金をあなたが募金しろというのなら全額募金してもいいです。子供の高校進学費用にするつもりで貯金している主夫からの慰謝料もあります。本当に
>その命がけの気持ちで働いたお金を募金すればいいんじゃないですか?
と思うのなら、見に来ますのでもう一度言って下さい。
必ずそうします。私達は、もういいので。

毎日風呂に入れない、布団で寝られないのは私達には当たり前の日常です。

>鬱なら専門の所へどうぞ。
それは既に通院しています。10年目になります。

首都圏在住の人の一体何割が、首都圏出身者なのかも不思議なところです。
訂正 (鬱病の関東人)
2011-04-02 07:01:47
すみません、字を間違えてしまいました。
主夫ではなく、元夫です。

東京の人間ですがさんへ返事を求めましたが、それもやはりもういいです。
答えは決まり切っています(同意されている型も読んでいる方も、当のブロガーさんはもちろんそうでしょう)。
沢山はありませんが、全額募金します。

さようなら。
被災者です (そらのあお)
2011-04-02 08:00:41
こんにちは。
まず、書き込みは2回目です。
1回目はブログ主さんに記事にしていただきまして
ありがとうと書き込みました。

また書き込もうと思ったのは、なんというか1つだけ。

被災者は誰も東京は贅沢だ、とか
被災者がどこよりも一番大変だ、とか
被災者が世界で一番不幸だ、とか
そんなことは思ってないのですよ。

ただ東京とか元気なところにお住まいの人が
日々ボランティアや募金等に参加していただき
本当に頭の下がる思いでおります。

私もも家も親と祖父母を流されました。
火葬場待ちでとりあえず土葬しました。
本当にその日暮しで避難所ですごしています。
仕事をするにも会社すらなく何も無いのです。
震災から3週間経ちますが、まだ実感ないのです。

それでも、やはり元気な所にお住まいの方は
元気で日々を過ごしてほしいのです。
全額寄付しろ、とか
東京なんて復興するな、とか
そんな事思ってません。

今生きてる方が、元気で居てくれる事が
どれだけすばらしい事か。
ただいつも通りの日常を過ごしてくれる事が
どれだけ大切な事か。

そしてそれがどれだけ被災地の元気に繋がることか。

それだけです。

上手く文字にならなくて申し訳ありません。
ありがとう (西村)
2011-04-02 08:05:46
自分にも出来ることを被災地のみんなと頑張ります!

1日10円でも年間や長いスパンで考えたらきっと何か役に立てるかも。


まずは行動してみます。
きっかけをありがとうございます。
Unknown (まりも)
2011-04-02 08:17:04
昨日はこちらのBlogをみたあと都内の陸前高田のアンテナショップに行きました。
これも支援の一部だ!と確信しました。お店の雰囲気も数々の商品も気に入ったしこちらのBlogを見て私も勝手ながら陸前高田の皆さんを家族のように思うようになり、またお店に何度も行くことに決めました。



また粘着しそうだからさらっと書きますが自分の不幸を振りかざすことでこのBlogを荒らさないでください。
糸井さんもおっしゃっていたけど一般人のかたのBlogです。
もう一度 (避難所のおぃちゃん)
2011-04-02 08:22:46

先日もここのコメントに残しましたがもう一度。


看護師さんが疲れ果てた体でぼんやり思ったことなんだから読み流す余裕を持っていただきたい。



「私だって疲れてます」とか反論はここでは無しにしましょう。



避難所は今日は天気はいいけど気温が低いです。
穏やかな日差しのもとみんなでこれからを話し合っています。
ありがとうございました。 (ゆうたんまま)
2011-04-02 09:43:20
とあるブログで紹介されていて飛んできました。

関西在住です。

ここ一年ほど新聞を取っていないのと、普段テレビはあまり見ないので、よくわからないのですが、震災が起きて1週間するとテレビ番組が平常のものになってきた印象がありました。
阪神の震災より相当ひどいはず、多くの大変な思いをしている人がいるはずなのに、何もなかったかのように戻っていく事に違和感があり、どこかおかしい、というのが私個人の正直な感想でした。

こちらで、リアルな状況を伝えていただいて、やっぱり。という思いと自分自身の想像力の足りないことを感じました。
そして、たくさんの無名の方々の極限ともいえるがんばりに頭が下がる思いです。

何度も涙して怒られた、とありましたが、リーダー看護師さんとブログ主さん、どちらも間違いではないと私は思いました。
プロとしては涙は見せてはいけないが、思わず、涙することでつらい気持ちに寄り添っている、それによって癒される方だっていると思います。

ルナちゃんは息子と年齢が同じで、亡くなったお母さんの無念やルナちゃんのさびしさを思うと涙が出ました。

与えられた今日に感謝し、東北の方々の事を忘れず自分のできることを少しでもしていきたいと思います。

ありがとうございました。
明日 (ヒゲ美人)
2011-04-03 10:53:33
現地での真実を書いてくださって、本当にありがとうございました。

関西在住の私は…あの日以来…当たり前の日常の中で…今の自分に何ができるんだろう…って
もどかしさや虚しさを感じていました

でも、あなたのblogに出会えて

自分のたとえほんの少しの行動でも
誰かの明日に繋がっていくんだっ!って光りを
あなたの言葉から、たくさんたくさん見つけさせてもらえました☆


これからも、患者さん(不安な方々)の心に包帯を巻いてゆける看護師でいて下さいね☆
あなたなら…それが出来るって思います☆
鬱病の関東人さん (たまたまの通りすがりですが)
2011-04-03 18:31:35
無理をしないでください。
あなたは自分を大切にしていいはずです。

看護婦さんも記録のなかで「命の重さもみんな同じ。」と思ったって書いています。

あなたがどこに住んでいたって、今苦しい思いをしているのなら、その「苦しい」という気持ちは被災している人と変わりないと思います。

私は今回の震災に対して募金することはできるけど、あなたに対して直接募金することはできません。
だからあなたは自分の命をつなぐお金を自分のために使ってください。
Unknown (shin)
2011-04-04 12:55:01
「継続は力なり」改めて思いました。ありがとうございました。
日々感謝して・・・。 (ゆう)
2011-04-05 00:25:22
ここに、コメントして良いものなのか悩みましたが、コメントさせて頂きますね。

以前からあなた様のブログが好きで、良く読まさせて頂いておりました。でも昨年、ある時からぱったり更新がなくなり寂しい気持ちでいました。でも、いつかまた再開してくれるのではないかと、毎日ブログをチェックしていました。

そして被災地で活動していたあなた様の記録がアップされていて・・・。

言葉、無くしました。

あなた様は本当にがんばり屋で、バイタリティーに溢れ、思いやりがあって、でも、これと決めたら最後まで突き進むパワーの持ち主だと以前ブログから感じられて、このようなお仕事に付き、このように活動されていた事に頭が下がります。

あなた様のブログでいつも元気を頂いていたから、そのご性格で被災地の方々に、また行かれる事があったら元気を与えてあげて下さい。

私ももう一度、人生を見つめ直し、出来る事を、今以上に自分には今、何が出来るかを探してみようと思います。

節水、節電、募金しか、今の私には出来ていませんが、節電が、被災地の方々のお役に立てていた事が、本当に嬉しく思いました。

3.11。私も決してこの日を忘れません。

そして時間はかかるかも知れませんが、いつか東北が復興したら、必ず、必ず旅行しに行きます。そして沢山お金を使いたいと思います。

それから一言。あなた様が眠れない夜に一晩中聞いていた曲。
私もその曲で辛い事、悲しい事を何度も乗り越えて来ました。


精神的にも肉体的にも大変な時に、この様な記録を残し、教えて頂いた事に感謝致します。

本当に、本当にお疲れ様でした。そして、本当にありがとうございました。

長々とすみません。
ありがとうございます (たむ)
2011-05-12 22:58:46
3月下旬にこのブログに遭遇しました。私は高橋優さんのファンです。このブログの記事全て読ませて頂き感動しました。優さんの『福笑い』のこの歌詞の部分…も私の好きな部分です。どれだけ、音楽が人々に勇気をもたらすか…優さんの音楽にここでお会いできて嬉しかったです。私のブログでもご紹介させて下さい。貴重な体験談ありがとうございます。
ドイツ語圏より (Unknown)
2011-05-24 21:20:00
11. Lächeln

Unsere Handys hatten keinen Empfang und es gab einige Situationen, in denen das echt unpraktisch war, aber es war auch schön, direkt zu den Leuten zu gehen, um sich mit ihnen unterhalten zu können, oder beim Gespräch die Hand des Anderen auf den Schultern zu spüren.
Da wir uns gegenseitig nicht kontaktieren konnten, trafen wir alle immer viel früher bei den Treffpunkten ein, um auch ja nicht zu spät zu kommen.
Zudem hatten wir kein Internet und erhielten so auch die für uns nötigen Informationen nicht, weshalb wir uns untereinander besprachen und uns bei der Arbeit einfach gegenseitig vertrauten.
Wir erhielten somit auch keine anderen Informationen, weshalb ich das Gefühl hatte, meinen normalen Alltag völlig hinter mir gelassen zu haben.

Geld brauchten wir auch keines. Einmal habe ich Geld verwendet, als ich mir eine Telefonkarte gekauft habe, aber die öffentlichen Telefone im Katastrophengebiet konnten gratis verwendet werden.

Auch schöne Handtaschen und stylische Mäntel braucht man hier nicht.

Man trägt alles, solange es einen warm hält.
Wenn mir nachts kalt war, habe ich mit einer kurzen Hose auf dem Kopf geschlafen.
Damit sie nicht so frieren, haben alle von uns ihre Decken den älteren Menschen gegeben, schließlich besitzen sie nicht mehr so viel Widerstandskraft wie wir.

Nachts, wenn die Notstromversorgung abgeschaltet wurde, kuschelten wir uns alle um eine kleine Kerze herum zusammen und sprachen darüber, wie es weitergehen würde.
Um uns herum waren nur Schuttberge und schlammiger Boden, im herben Gegensatz dazu funkelten die Sterne am pechschwarzen Nachthimmel jede Nacht in all ihrer Pracht.
Es war beruhigend, die Stimmen anderer Menschen zu hören.

Wir hatten nur wenig Wasser zur Verfügung und ich bekam unmittelbar zu spüren, wie wichtig unsere Ressourcen sind.
Wir hatten kein Wasser übrig, das wir für so unbedeutende Sachen wie Haare oder Gesicht waschen verwenden konnten.
Ich konnte nicht baden, also „wusch“ ich meinen ganzen Körper mit feuchten Baby-Tüchern. Und als wir nach Tokio fuhren, nahm ich meinen gesamten Müll mit zurück.

Oft gab es in den Evakuierungszentren, den Rettungsstationen und den Krankenhäusern wunderbare Wiedersehen.
In solchen Augenblicken klatschten alle Leute in der Umgebung, auch wenn sie die Personen gar nicht kannten. Sogar diejenigen, die selbst noch darauf warteten, ihre Lieben wieder in die Arme schließen zu können, freuten sich darüber, dass Andere sich wiedersahen.

Diese Szenen riefen mir ins Gedächtnis, wie wichtig unsere Familien, unsere Freunde, unsere Kollegen, Verwandten und Bekannten sind.

Und sie weckten in mir den Wunsch, ein klitzekleines bisschen früher nach Hause zu können.

Man war niemals allein, es kam immer jemand her.

Wenn ich z.B. alleine Arzneiwaren einpackte, wurde ich immer von den Bewohnern der Katastrophenregion angesprochen.

Da die Lebensmittel aus der Notküche an die Katastrophenopfer verteilt wurden, wartete ich zu dieser Zeit immer im Krankenwagen, um das Essen nicht zu sehen, denn sonst hätte ich großen Hunger bekommen.
Es gab eine Dame, die mich während der Essenszeit im Krankenwagen besuchte und ihr Essen mit mir teilte. Sie war ungefähr gleich alt wie meine Mutter.
Sie kannte mittlerweile meinen Namen und brachte mir immer etwas zu essen. Sie sagte zu mir: Bitte, essen Sie das. Sie dürfen nicht krank werden. Wir brauchen Sie!“
Obwohl die Dame nicht einmal wusste, ob sie am nächsten Tag genug Essen bekommen würde, gab sie mir immer einen Teil ihres Essens. Sie tat mir zwar leid, aber ich war ihr auch sehr dankbar. Sie erinnerte mich an meine Mutter.
ドイツ語圏より (Unknown)
2011-05-24 21:20:45
Im Radio wurde von Hamsterkäufen in Tokio berichtet.
Dabei kam ich unwillkürlich auf den Gedanken, dass Tokio wohl nie wieder aufgebaut werden könnte, würde es von dieser Katastrophe heimgesucht.

Ich war zum ersten Mal dafür dankbar, dass es das Radio gab.
Durch das Radio ist mir aufgefallen, dass Japanisch eigentlich eine wunderschöne Sprache ist.
Eigentlich wollte ich einmal Spanisch lernen, aber jetzt möchte ich mich lieber mehr mit Japanisch beschäftigen.

Im Radio hörte man außerdem immer Lieder, die eine positive Stimmung verbreiten. Ich nehme an, dass sich die Zuhörer, die nicht direkt von der Katastrophe betroffen waren, diese Musik gewünscht haben.

Fast jeden Tag spielten sie das Anpanman-Lied, außerdem Lieder von beliebten Musikern wie Ayaka Hirahara, Mayo Okamoto, „Mr. Children“ oder „Arashi“, aber auch der Schlager „Sekai ni hitotsudake no hana (Die einzige Blume auf der Welt)“ der Boyband SMAP war fast jeden Tag zu hören.

Es wurden auch einige Lieder gespielt, die vor einigen Jahren die Nr. 1 der Hitparade waren.

Als ich einen Patienten begleitete, hörte ich ein Lied der Band „DREAMS COME TRUE“ im Radio und konnte nicht aufhören zu weinen. Das Lied machte mir Mut. Ich erinnerte mich spontan an meine Familie und meine Freunde. Ich sah auch viele Kollegen, die die Ärmel aufkrempelten, so als hätte auch sie die Musik zu neuen Taten ermutigt.

Wenn ich nicht einschlafen konnte, hörte ich die ganze Nacht meine Lieblingslieder.
Sie machten mir natürlich Mut, aber gleichzeitig wurde mir bewusst, dass jene unbeschwerten und frohen Momente, die ich vor Jahren bei einer Musikveranstaltung erlebt hatte, keine Selbstverständlichkeit gewesen waren. Es war ein großes Glück gewesen, dass ich ein solches Event besuchen und mit meinen Freunden dort eine wunderschöne Zeit verbringen hatte dürfen.

Ich dachte an all diese Freunde, die damals dabei gewesen waren. Auch sie wurden von dem Erdbeben betroffen. Ich hoffte auf ein baldiges, fröhliches Wiedersehen mit ihnen.

Auch wenn Stars versuchten, die Erdbebenopfer aufzumuntern – das hatte nicht wirklich viel Sinn. Denn wir hatten ja gar nicht genügend Strom, und als wir endlich fernsehen konnten, sahen wir nur Nachrichten über die Katastrophe. Auch im Radio und in den Zeitungen wurde nur über die Katastrophe und ihre Auswirkungen berichtet, neben Informationen für die Katastrophenopfer.

Im Fernsehen wurde kein einziges Unterhaltungsprogramm ausgestrahlt.

Die Evakuierten im Notlager schauten immer nur die Nachrichten an.
Wenn die anderen Notlager im Fernsehen gezeigt wurden, versuchten sie festzustellen, ob ihre Familie oder ihre Bekannten auf dem Bildschirm zu sehen waren.


Es kamen Selbstverteidigungsstreitkräfte aus anderen Präfekturen, ausländische Katastrophenhelfer, Lkw-Fahrer, die Hilfsgüter transportierten, Mitarbeiter der Elektrizitätsfirma, medizinische Hilfsmannschaften, etc., um uns zu helfen. Wir erhielten eine Menge Hilfsgüter, die von privaten Unternehmen zur Verfügung gestellt wurden.

Die Hilfsaktion der Bürger übermittelte uns menschliche Wärme.

Japan ist doch ein wunderbares Land.

In einer Situation wie dieser war es für mich schwierig, ständig zu lächeln.
Ich versuchte es trotzdem, zumindest, jedes Mal wenn ich grüßte oder mich bei jemandem bedankte.

Ich erlebe jeden Tag Schlimmes,
doch ich glaube, die Leute in den Notquartieren sind noch ärmer dran als ich.

Eine Wunde kann behandelt werden,
aber eine verletzte Seele ist schwer zu heilen.

Ich hoffe, dass unser Lächeln wie ein Medikament wirkt und das Elend der Katastrophenopfer etwas lindert.

Yu Takahashi, ein japanischer Sänger und Songschreiber, singt:
„In uns muss eine Kraft stecken, die uns hilft, einander zu verstehen.
Dafür gibt es keine Erklärung,
das ist wie ein Zauber, ein Lächeln, das andere ansteckt.“
UGG (UGG )
2011-08-16 23:56:20
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