中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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早春の鎌倉:江ノ電沿線社寺史跡巡り(1)

2010年01月24日 21時32分10秒 | 鎌倉あれこれ
                      <稲村ケ崎のトンビ>

          早春の鎌倉:江ノ電沿線社寺史跡巡り(1)
            (「鎌っこ倉ぶ」第93回例会)
             2010年1月23日(土)

<散策ルート>



■鎌倉駅西口
 この所,如何にも大寒らしい寒い日が続いている.
 いきなり余談になるが,山登りを趣味としている私は月額315円也の有料天気予報サイトを頻繁に利用している.特に丹沢周辺と自宅のある鎌倉の気象には興味を持っていて,朝晩このサイトを覗きこんでいる.
 そうこうしているうちに,丹沢の塔ノ岳や鍋割山の登山口である大倉と,鎌倉との気温にかなりの特徴的な違いがあることに気がついた.毎日の最低気温を比較すると,鎌倉に比較して大倉周辺は3℃から6℃も低い.しかし,昼間の最高気温はどちらもほぼ同じか,逆に大倉周辺の方が1~2℃高いことが多い.
 今日の鎌倉は朝から寒い.したがって,今日も終日寒いような気がする.それはともかく,今日の散策ルートは,極,極,短距離である.寒いといっても大したことはないだろう.そこで私は軽装のまま出かけることにした.
 鎌倉駅西口集合時間は10時丁度である.集合時間に合わせて,9時少し前に自宅を出発する.西口には,私たちのグループと似た年恰好の人たちのグループが沢山集合している.元気な年配者が多いなとつくづく思う.
 主催者の簡単な挨拶の後,鎌倉駅10時12分発の江ノ電に乗車.10時21分に稲村ケ崎駅に到着する.すぐに歩き出す.
 

■稲村ケ崎海浜公園
 まずは稲村ケ崎へ向かう.天気が良いので,青い相模湾が眩しい.雲が掛った富士山が見えている.目の前には,まさに絵葉書のような風景が展開している.
 国道134号線を横断して,稲村ケ崎海浜公園に入る.園内には地元の高校生達のグループや観光客が沢山集まっている.
 ここは,1333年(元弘3年),新田義貞鎌倉攻めの古戦場である.公園入口に「新田義貞徒歩伝説地」と刻まれた石碑と,明治天皇歌碑が立っている.
 私たちは,暫くの間,江ノ島やその先に雲が棚引く富士山の景色を眺めている.良い眺めである.
 広場の片隅に逗子開成中学校生徒ボート遭難碑が建っている.碑の周りを数名の老人男性が掃除をしている.同校の関係者.この碑が作られてから丁度100年になるという.
 今日は丁度碑の掃除の日.あいさつ代わりに逗子開成学園校友会報『開物成務』第42号を頂戴する.
 

     

■稲村ケ崎展望台
 案内役のMさんが,
 「折角来たんだから,上まで行きましょう・・・」
と私たちを促す.私たちはMさんの後について,階段を登る.同行者の一人が,私の顔を覗き込むようにして.話しかけてくる.
 「・・FHさんには,この程度の山は何ともないでしょう・・」
 稲村ケ崎など山だと思っていない私は,意表をついた質問に対して返答に窮してしまう.
 山頂には,コッホ博士祈念碑が経っている.近くの木の梢にトンビが1羽,ジッと止まっている.時々,「ピーヒョロロ・・・」と啼いている.

■十一人塚
 11時丁度に十一人塚に到着する.
 新田義貞軍の大将大館宗氏は,幕府軍の猛攻を受けて.極楽寺口で,11人の兵とともに討死した.この大館氏と11人の兵を弔うため,ここに御堂が建てられた.
 塚跡には「大館又次郎宗氏主従十一人墓」と刻まれた石塔が建っている.


■日蓮袈裟掛松
 自動車の往来が多くて細い道を極楽寺方面に向かう.ガイドのMさんの説明によると,この道は日蓮が刑場に連行されたときに通った道だという.
 11時07分,日蓮袈裟掛松を通過する.


■針磨橋
 11時17分,針磨橋(ハリスリバシ)を通過する.この橋は別名我入道橋ともいわれ,極楽寺川に架かる見落としそうな橋である.早速,写真をデジカメに収める.
 この橋の名の由来は,その昔,この辺りに針金を磨いて針を作る老婆が住んでいたとか,我入道という僧侶がすんでいたからとも言われているようである(鎌倉商工会議所,2009,p.50).
          

■江ノ電極楽寺駅
 11時23分,江ノ電極楽寺駅に到着する.一行の誰かが,
 「うわぁ~・・・可愛い駅!」
と歓声を上げる.平素から見慣れている私は,感覚が鈍感になっている.「可愛い」と改めて言われてみると,確かに可愛い駅である.


■極楽寺
 この辺りから,急に観光客が増えだす.
 江ノ電トンネル上の道路で江ノ電を横切って,極楽寺を詣でる.境内は「写真撮影不可」なので,外から背伸びして,境内の様子を撮る.たまたまガイドのMさんの後姿が,写真に入っている.
 境内を一回りする.
 寺で配布している無料のカレンダーを1部頂戴する.
 

■熊野神社
 11時38分に極楽寺を出る.そのまま,「熊野新宮八雲神社諏訪神社」と刻まれた古い石柱が立っている三叉路を右折,枝道の奥にある熊野神社(別名;新宮社)を詣でる.谷戸の間に囲まれるように建っている立派な神社である.
 ここも昔は極楽寺の境内であり,忍性の業績を記した文章に「文永六年(1269年)に新宮を建てる」とあるとのことである(鎌倉市教育センター,2009,pp.157-158).現在の社殿は1927年(昭和2年)に再建されたもののようである.
 祭日は,八雲神社が7月第2日曜日,熊野神社と諏訪神社が9月8日.山車や神輿も出るという(同上,p.158).
 神社の境内は谷戸の奥にあるので,冷たい風も吹いてこない.境内の片隅の日向に敷物を引いて,コンビニで購入したオニギリをほお張る.近くではご夫婦で参加している方々が,手作りの弁当を広げている.何となく羨ましいような,厄介なような感想を抱く.
     



■上杉憲方墓
 12時43分,熊野神社を出発する.
 トンネル上の道路の突き当りから,狭い階段道を数十段登ると,民家の後ろに伝上杉憲方の墓がある.憲方は足利氏満から禅興寺中興の命を受けて,明月院の寺域の拡大や塔頭の増設を行って,明月院を関東十刹第1位の規模にした人物である(鎌倉商工会議所,2009,pp.96-97).
 上杉憲方の墓の隣にある五層の塔は,憲方の妻の墓だろうとのことである(鎌倉市教育センター,2009,p.155).
     

■中途半端なストレッチ
 12時40分頃,幹事から体操の音頭を取ってくれと依頼される.
 「・・体操ではありませんよ.(歩き始める前の)ストレッチですよ・・」
とお断りしてから,ウオーミングアップのストレッチを行う.内心では,
 「月に一度,それも歩き出す前ではなくて,中途半端な時間にやっても,あんまり意味ないな・・」
と思いながらも,まあやらないよりはマシかと思いなおして,頭の先から足の先までの簡略ストレッチの音頭を取る.
 「それにしても,足腰の固い人が多いな・・・」
 正直なところ,平素,お付き合いしている山の知人と比較してみると,同年齢の方々なのに,体の固さには,実に歴然とした差異があるのに驚く.
 「・・やはり,平素,山歩きをしている皆さんは違うな・・」
と感心するが,口に出しては言わない.ただ,一言,
 「毎日,ストレッチをしなければ効果ないですよ・・」
と注意を喚起する. 

 [参考文献]

鎌倉商工会議所(監);かまくら春秋社(編),2009,『改訂鎌倉観光文化検定』,かまくら春秋社
鎌倉市教育センター(編),2009,『かまくら子ども風土記』,鎌倉市教育委員会

                               (つづく)
「鎌っこ倉ぶ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a0b1b72034307084e37bec2502f90f50
「鎌っこ倉ぶ」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/130fad4df35b0c96b4603c40aa4f648c
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/7058eeddb9b2b653e92b652811ca47ca
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
(なし)


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