中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
最初に左下の“カテゴリー”を選んで,クリックして下さい.

急いでギヤーチェンジだ!

2020年12月01日 03時13分07秒 | 閑話休題:日々雑感

   急いでギヤーチェンジだ!
      残された人生の制度設計
      2020年12月1日(火)

 だだ今の時間、3時13分。
 目が覚めてしまったので、無理せず、そのまま起床してしまいました。でも、これから、6時頃になったら、また眠くなり、1~2時間、追い寝をするかもしれません。そこはなるようになれで逆らいません。
 もし、2~3年前の水曜日か土曜日の3時13分なら、
 ”これから塔ノ岳に登るぞ・・・!”
と気合いを入れて、登山準備をしていたでしょう。
 実は、今年のコロナ騒動前までは毎週土曜日には、雨でなければ塔ノ岳に行くと決めていたので、大船から小田原の回数券をいつも買い足していました。ところがコロナ騒動が始まってからは、3密を避けるために、塔ノ岳詣でを中止してしまいました。そして、先々月ぐらいから、そろそろ塔ノ岳に復帰しました。
 ”当面の3~4回は山頂までは行かずに、茅場平ぐらいでやめておこう・・・。年末までには塔ノ岳山頂まで登るぞ・・・”
と意気込んでいました。
 ところが登山復帰後、2~3週目に差し掛かった頃、残念なことに膵臓の先端に時限爆弾があることが分かってしまいました。当然、医師からは、体力を消耗する登山は差し控えて、体力を温存するようにとのご託宣がありました。そして、この日を境目に私の人生行路の羅針盤は、大きく変動してしまいました。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 時限爆弾が見つかってから、身辺が急に慌ただしくなりました。
 まずは、11月11日(水)から14日(土)まで、横浜市大付属病院に検査入院しました。そして、胃から時限爆弾まで針を差し込んで、患部の細胞を取り出すというのが手術の内容でした。
 その手術の影響もあって、その後1週間、午後から37度台の微熱が出る毎日が続きました。微熱がある状態では何の処置もできないということで、11月29日から解熱剤の服用が始まりました。平素、元気に過ごしていた私は、高血圧の薬以外の薬などほとんど飲んだことがないこともあって、この解熱剤は劇的に効いたようで、服用し始めたらすぐに食欲が回復し、検査入院中に2kgほど落ちた体重も元にもどりました。この調子だと近々化学療法が開始されそうです。
 仮に今回の時限爆弾がなかったとしても、私は88歳の高齢者、突然何があってもおかしくない年齢に達しています。そんなことを自覚してから、そろそろ私の日常の過ごし方を見直して、ギヤーチェンジをしなければ駄目だなと悟りました。
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 このような次第から、このブログ投稿も見直しました。
 これまでは、原則として、毎日、早朝の2時間をブログ記事作成と投稿に費やしてきました。もちろん主目的は「ぼけ防止」です。
 でも、この期(ご)に及んで「ぼけ防止」は無意味になりましたので、この2時間は別のことに費やすことにしました。そんなわけで、毎回、アクセス頂いています読者の皆様には申し訳ありませんが、これからは週に1~2度程度の投稿でご容赦いただけますようお願いした次第です。
 今私が一番力を入れているのは、今年春入学した京都の某芸術系大学大学院の通信教育です。この3月に卒業した同大学学部の続きです。ですので88歳ながら、私は今大学院修士課程(通信教育)に在学中ということになります。
 もちろん、同期の学生の中では私が最高年齢です。首尾良く修士(芸術学)を取得できるのは再来年春になります。それまで、私の寿命が持つかどうかは、神仏のみが知ることです(多分無理でしょう)。私の寿命がどの程度あるかなど、私が考えても仕方がないこと、神仏にお任せです。ただ、だめなら、
 ”はい、それまでよ”
というだけだと悟っています。
 その間、もちろん鎌倉散策や近隣の里山登り、小旅行ぐらいはいつも通り行いますので、そんな折の記事は、息抜きをかねて当ブログに投稿するつもりでおります。
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 以上のような次第で、投稿回数も量もこれまでよりグッと減りますが、どうぞ従来通りお付き合い頂ければ大変嬉しく思います。
 今回はこの辺でおしまいに致します。
 どうも有り難うございました。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。