国宝松本城をバックに記念写真。(旅行1日目)
週末、小・中学校のクラスの幼なじみたち有志17人(男9人、女8人)が集まって長野方面に1泊2日の旅行に行って来た。
この旅行、平成8年に始まって、今回で3回目になる。
諏訪大社下社にて(左、旅行1日目)、断崖絶壁に建てられた布引観音(右、旅行2日目)。
我が幼なじみたちは、昭和17年、18年生まれだから今年は「古稀」である。
この記念すべき年に、まさにタイムリーな企画であった。
心配された天候も何とか2日間もって、紅葉の信濃路の旅をみんなでエンジョイして来た。
富岡製糸場、世界遺産へ推薦が決定となり、多くの観光客がお訪れていた(旅行2日目)。
出かける前、いそいそと準備している小生を見て、いつものようにかみさんに
「この間クラス会があったと思ったら、今度は旅行、仲がいいわね」
と揶揄されたが、確かに我が幼なじみたちの会の活動は活発かつ多彩である。
なぜこれほど活動的になれるのか。
この種の集まりがうまくいくかどうかは一に「幹事役」に人を得ているかどうかにかかっている。
そして、うまくいっている会には必ず名幹事がいるものだ。
この名幹事、長く勤めるといつの間にか「余人をもって代えがたい人」、「永久幹事」などと呼ばれることに。
こうなると会の運営は、まさにこの種の幹事に『おんぶにだっこ』である。
従って、この「永久幹事」がいる限り、会の運営は安泰であるが、逆に言えば、その存在が大きければ大きいほど、もしもの時は会の消長をも左右しかねない懸念があるとも言える。
我々幼なじみの会(同窓会)もこれまでこの幹事役に人を得て、人に羨まれるほど活発に活動して来ることができた。
特に、現幹事の皆さん方は長い間にわたる献身的な努力で多くのイベントを企画し、みんなに喜ばれ、それこそ最早「余人をもって代えがたい存在」と思われて来た。
その幹事の一人Kくんから、旅行の帰りのバスの車中で現幹事の「勇退」を切り出されたのには、それこそ「永久幹事」として、これからも会を牽引して行ってくれるものとばかり思っていたので、ショックであった。
慰留にこれ務めたのだが、どうも辞意は固いようで、名ばかりであるが今年から会の長を仰せつかった身としては、来年の集まりで今後のことをどうするか、みんなに計らなければならないか、と思っている次第である。
現幹事の存在が大きいだけに、会も始まって以来の「大きな曲がり角に差し掛かっている」との思いを深くした次第である。