毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

北横岳

2017年03月23日 18時02分24秒 | 観光
 今シーズンはあちこち雪山を歩き、楽しく冬を過ごしました。そんな雪山シーズンも勤務の関係でこれが最後になりそうな北横岳。行程はらくちんですが、八ヶ岳の美しさを浴びに行きたかったのです。
 茅野で電車を降りてそこからバスで北八ヶ岳ロープウェイへ。そこから一気に標高2237mまで運んでくれます。超らくちん。


 ロープウェイを降りて、アイゼンをはきます。今回初めておろしたモンベルのアルパインクルーザー3000とグリベルの12本爪アイゼン。まさか登山靴に5万も払う日が来るとは思ってもみませんでした。思えば初めてロードバイクを買ったときも同じようなことを思っていたっけ。


 もうとにかく風が強い。そういうわけでこうした美しい風紋ができるのだけれど、それがもろに身体に打ち付けてくるのだから、なんともはや。まあ、そういうのが楽しいんだけれども。


 元犬なので雪と海が好き。どれだけ年を重ねても、雪があるだけで庭駆け回るだけの体力と幼さは消えない。死ぬときは雪の上で死にたい(嘘です。布団の上で死にたいです。あ、しかもあまり苦しまずに)。


 今晩お世話になる北横岳ヒュッテ。夕飯は馬肉のすき焼きでした。うまい! こんな山の上でこんなごちそう食べられるだなんて感激でありました。
 食事のあと、外に出て音楽を聴きました。降り積もった雪がまわりの音を吸収して、星の明滅さえ聞こえるかのような沈黙の中、寒さに震えながらも聴いたシェーンベルクの弦楽六重奏「浄められた夜」はなんというか、ただ音楽を聴くという体験ではなく、肉体をそこに運んでこない限り味わえない、ある意味一回性の経験でした。一回性の経験が死に至るわれわれの生を豊かにしてくれるように最近強く思うようになりました。かけがえのない経験をこれからいくつ積み重ねていけるだろう。真っ暗な冬の夜空の下でそんなことを考えていました。



 翌朝、山頂でのご来光を見るために日の出前に出発します。この時間からもう山小屋は始動していました。この仕事をやり続けている人にほんと敬意を表します。今回もお世話になりました。


 夜明け前の北横岳山頂。ここで日の出を待ちます。足は万全でしたが、手が寒い…… 樹林帯を抜けると風が容赦なく吹き付けます。指が取れそうな寒さ。


 そして日の出。


 眼下に雲海が広がります。ここに来ないと見られない風景。こういう風景に身体が囲まれることがなんだかものすごく大事な気がするんです。


 強風で木もこんなふう。美しさと厳しさを存分に味あわせてくれた冬の北八ヶ岳。何かに迷ったらまた訪れたい場所になりました。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

夜の高尾山

2017年03月01日 22時53分05秒 | 観光
 高尾山に登ってきました。え? なにをいまさら高尾山? そうなんです、なにをいまさら高尾山なんです。
 きっかけは去年行った甲武信ヶ岳。甲州、武州、信州にまたがり、笛吹川、荒川、千曲川の源流となる威風堂々たる山。とくちゃん新道を登り甲武信小屋で一泊。夜中トイレに起きたついでに外に出て感じる山の夜の深くも豊かな闇。それは普段街で暮らすぼくには到底手に入れることのできない暗さでした。その一方でこの暗さは根源的な恐怖とも一体で、魅惑と恐怖とがないまぜになった不思議な感情が足元からせり上がってくる気がしたのです。文明とそれ以外とが背中を接している場所。それが山小屋の外で感じた山の中の暗闇でした。
 いきなり初めての甲武信ヶ岳でその闇を探索するのもためらわれ(なにしろ時間は午前2時くらいだったし)、いつか手近な夜の山へ行こうとその時考えたのでした。
 それで高尾山に登ってきました。夕方高尾山口を出発し、日没と同時くらいに山頂着。こんな時間にほかに人なんかいないだろうと思ったら、豈図らんや、お鍋を囲む人、日没の写真を撮りに来た人、別段何をしにというわけでもないけれどぶらぶらいる人など、結構な人がいたのに驚きでした。


 山頂で迎えた日没時の美しさはなんとも言えません。この時間に山頂にいるという経験があまりないので(いや、初めてかも)、ほんと新鮮でした。


 そして太陽は完全に沈み、夜がやってきます(ジェットストリーム風に言うと「夜がそのとばりを下ろす時」。あ、今の人は昔FM東京でやっていたジェットストリームという番組そのものを知らないか)。見下ろす夜景はジェットストリーム(だから知らないって)。


 完全な夜の中、山をおります。身体全身の知覚レヴェルが少し上向きになるような気がします。ああ、これはいろいろとリフレッシュできる。そんな風に思いました。暗闇の中、足元を照らすヘッドランプの灯りで山をおりるとき、街で暮らしているときとは別の知覚が生れ、別の時間が身体の中を流れていきます。それによっていつもの日常が刷新され、リフレッシュできた感じに満たされるのです。
 危なくない程度に夜の山をたしなむのも、ときに行き詰まる日常の更新にいいかもしれませんよ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

暗渠フィールドワーク

2017年02月28日 22時42分02秒 | 観光
 2月26日(日)の夜、渋谷カルチャーカルチャーで「地図ナイト」が開かれました。
 で、その地図ナイト開催前の日中、暗渠の神本田さん、境界協会の小林さんによる暗渠フィールドワークに参加してきました。超楽しい。ずっと同じ教室だったけど、あまり口をきいたことがなかった三田用水がなんだか急に気になり始めて、もしかして、これは恋? 駒場東大前から渋谷まで、あちこち回っておよそ10kmの街歩きを楽しんできました。


 ケルネル田んぼ。駒場東大にこんなところがあるとは! 明治初期のお雇い外国人ケルネルが実習用に使っていた田んぼが今でもこうして残ってると。谷戸地形がこれまた素敵。ちなみにこの田圃は筑駒の生徒さんが育て、入学式などに赤飯として食べるそうです(偏差値高そうな米だねえ)。


 まるでアイドルがそこにいるかのようにカメラ片手に殺到する人たち。でも時間が制約されてるアイドルではなく、常にそこにある暗渠なのでおとなしく順番に写真を撮ります。


 撮った写真がこれ。なにが面白いのかわからないかもしれませんが、この暗渠ぶりは素敵です。


 この一部違う舗装の下に三田用水が流れています。玉川用水から取水した江戸時代の水系なのですが、その痕跡が平成の今でもこうして残っています。ここに夢中になってしまうんですよ。空間を歩くことによって、時間を遡っていくことができる。遠くに行くのも楽しいけれど、近くを深く歩くのも超楽しいんです。


 三田用水が流れているところの尾根感が素敵。山を登っていても尾根にとっついたあとの尾根歩きの楽しいこと。三田用水、今まであまり知り合うことなかったけれど、ちょっといい感じじゃん。


 三田用水の上の土地部分は売却されたので、その上に家が建ちました。そんなわけでこの辺には三田用水の水流幅の家が建ち並んでたりします。


 この日の終点近く。こちらは渋谷川水系。もうじき宇田川と渋谷川が合流するところです。ここで解散、さあ、このあと渋谷カルチャーカルチャーで「地図ナイト」が始まります。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

祝! Jリーグ開幕

2017年02月27日 22時28分40秒 | 
 いやあ、いよいよ開幕しましたね、Jリーグ。今シーズンももちろんこのブログは横浜F・マリノス推しで進んで参りますが、その大事な開幕戦に行ってまいりました。


 なんとこの開幕日に合わせて通りの名称変更がなされる、と。旧レンガ通りがその名も「F・マリノス通り」へと変更になりました。ありがとう、横浜市港北区。敵のチームもこの通りを通って日産スタジアムへ。


 街も全体的にマリノス色。
 試合は前半に先制したものの、後半、あっという間に逆転されて1-2。ああ、いつもの悪いパターンだと思ってたら、最後まであきらめなかった選手たちが残り10分切ったところで追いつき、そしてアディショナルタイムに入って逆転! こんな展開になるとは思いもよらない喜び。


 試合終了のホイッスルが鳴った瞬間。


 もちろん喜びは選手だけじゃなく、われわれにも等しく訪れた瞬間。


 あ、あと、マスコットたちにも!

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

お誕生日おめでとう 国立新美術館

2017年02月26日 16時59分38秒 | 観光


 もう過ぎてしまいましたが、先月1月は国立新美術館が10周年を迎えた「国立新美術館 開館10周年記念ウィーク」。ちょうど「19th DOMANI・明日展」を見に行っていたので、10周年記念の展示も見ることができました。カラフルな数字が整列している様は圧巻でした。
 もう10年も経ったと少しびっくりですが、まあ、そんな風におじさんも10年という馬齢を重ねてきたわけで、なんともはや。


 外に出ると樹木が草間彌生ラッピングに。
 これからもたびたび訪れるであろう国立新美術館の祝祭的な雰囲気にすっかり楽しくなったひとときでありました。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

弥彦山

2017年02月23日 13時55分44秒 | 観光
 新潟に着いたその日の天気は「暴風雪」。東京ではあまり耳慣れない言葉ですが、まあ、結構大変な天候であります。雪が風に舞うとか、そんな生易しいものではありません。まずこちらの雪はほぼ氷です。道に落ちているのも細かな粒になった氷。それがビュウっという風に乗ってこちらの身体に向かってぶつかってきます。ビュウっ、バチバチバチ。顔や手など出ている部分に当たるとこれがまた痛いのなんの。ビュウっ、バチバチバチ、いたたたた。だいたい、これの繰り返し。ビュウっ、バチバチバチ、いたたたた。人間よくしたもので、繰り返していくうちにだんだん面白くなってくる。ビュウっ、バチバチバチ、いたたたた。ビュウっ、バチバチバチ、いたたたた。ビュウっ、バチバチバチ、いたたたた。何やってんだ? 父も母も真冬の新潟でこんなことを面白がるようにぼくを慈しみ育てたわけではあるまいに。申し訳ない。


 荒れ狂う日本海。本気出すと怖い。

 暴風雪予報だったのでその日は市内で安居ゆかりの地を歩いたり、県立万代美術館で鴻池朋子「皮と針と糸」、新潟市マンガ・アニメ情報館で「江口寿史 KING OF POP」を堪能。弥彦は翌日の天候回復予報に賭けたのでありました。
 そして翌日。変わらぬ暴風雪予報。嘘つき…… 思わずうつむいてつぶやいてしまう。しかし今日帰る身としてはうつむいてばかりもいられません。吹雪の中ホテルをあとにし、一路弥彦へ。


 さすが天下の弥彦神社。JRの案内にも鳥居マークが。


普段なら参拝者で賑わうであろう弥彦神社もこの日ばかりは閑散としています。歯を食いしばってお参りして、本殿奥に見える弥彦山を目指します。


 登山道はだいたいこんな感じ。それでもちゃんと装備していたのとこんな天候なのに登る人がいるのか踏み跡もしっかりあって楽ちん。現地の人々は登山靴なんてはかずにゴム長で登っていました(あとで聞いたらこのあたりではスパイク付きのゴム長が大変ポピュラーなんだとのこと。さすが日本屈指の豪雪地帯)。


  ビュウっ、バチバチバチ、いたたたたの繰り返しがすっかり面白くなってしまったので、この状況をより面白く味わうために売ってたアイスを食べます。いいえ、やけくそではありません。違うんです。もうこうなっちゃったら、アイス食べるとかの方が断然面白いんです。たとえ味がなんだかほとんどわからないような状況であったとしても。


 山頂の御神廟(奥宮)に到着。ここで奇蹟が起こります。なんと到着と同時に吹雪がやみ、空が明るくなってくるではありませんか。その途端、ああ、自分はきっと山で死ぬ運命なんだなって思いました。谷川岳に登ったときの晴天、そしてこの弥彦山、山はどんどんその姿でぼくを魅了していきます。こうして人は深みにはまるのです。そして自分はどっちかというと喜んで深みに陥っていく性格。行き着く先が容易に想像できました。


 御神廟から眺めた日本海。美しい。この海が見られるなら、山登りは全然苦ではありません。ああ、またしても甘い山の罠。


 関東の人間からすると不思議な感覚になる海沿いの登山道。巨大すぎる関東平野のせいでこうした景色に出会うことがあまりないのです。

 そんなわけで暴風雪で一時は遭難も危ぶまれた新潟弥彦山でしたが、登ってみたらこれは大変楽しい山で、景色も最高、神社も立派。行ったかいのある旅になりました。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

鴻池朋子「皮と針と糸と」

2017年02月12日 22時34分42秒 | 出会ったものたち


 去年横浜で開催された鴻池朋子「根源的暴力」。非常に大きなインパクトを与えてもらいました。そして今回、新潟県立万代島美術館で開かれている「皮と針と糸と」に滑り込みで入場できました。相変わらず私たちの根源的な部分に掴みかかるような作品たち。
 デカルトの命題にもはや立脚できない私たちは私たちの主体を担保するものを模索する。たとえば皮膚によって内と外を隔てられたかに見える肉体にその役割を担わせようとする試みはどこまで有用だろうか。私の身体は果たして私という存在の基盤になりうるのだろうか。むしろ、肉体は「私」が最初に出会う自然的存在であり、最初に出会う他者であると言ってもいいのではないか。一時期ぼくは必要以上に山を縦走したり、自転車で山を登ったりしていたことがあった。そんな時にぼくの身体がぼくのまったく予想しない振る舞いを見せるその様が面白くてならなかったからだ。自分の身体だと思っていたものが、実は自分のまったく思うとおりにならない肉体だということが不思議でそして興味深く面白かった。
 あるいはまた、この身体の中には本当にぼくだけが存在しているのだろうか。身体の中に身体化された他者や歴史、自分のものではない記憶や他者の欲望が内包されているのではないだろうか。
 であるならば、屹立した自己同一性など実は存在せず、曖昧な主体と曖昧な肉体が存在しているだけなのではないか。そして、実はその曖昧さこそ、人間の多種多様な文化を生み出す多種多様な想像力の源泉なのではないだろうか。曖昧な「私」は常に他者の存在によって変わり続ける。小さな死を経て、新しい自分が誕生する。他者の肉体との接触によって私たちは小さな死を経験する。もちろん、その他者が人間であるとは限らない。民話的世界において動物と人間は常に入れ替わることの可能な対称的な存在であった。その世界において私たちはある時には動物を食べ、ある時には人間に変身した動物と交わった。他者の肉体を食べること、交わることによって、曖昧な主体である私たちは小さな死を経験する。
 さまざまな存在が入り混じり、そして変容していく様は圧巻の一言。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

アピチャッポン・ウィーラセタクン「亡霊たち」 東京都写真美術館

2017年01月12日 23時21分10秒 | 出会ったものたち
 去年、瑞牆山に登った帰り、バスの中でランダムにiPhoneが選曲したのが三宅純の「veins」という曲で、点在する街の光が車窓を後方に滑りながら明滅している中、その音楽はなんだか幻想的である一方、ある種の感興を催させた。バスは繋がった夜の中をどこまでも音楽と光を携えて走っていく。静かな夜の暗さに包まれて、このままバスがずっと走り続けていたらどれだけ素敵だろう。
 東京の夜とは違う、点在する光。その時ぼくは都会の夜ではなく、光がほとんどない、ないしはまばらな光が点在しているだけの寂しい夜がまとっている生々しい匂いに強くひかれる自分を発見した。都会とは違う。それでいて完全な闇とも違う。ぼくの乗るバスはそのちょうど真ん中くらいの光と闇の中を進んでいく。それはぼくをすごく興奮させたし、多幸感さえもたらした。
 アピチャッポン・ウィーラセタクンの描く夜を見ていて、ぼくはそんな瑞牆山の帰りを思い出した。知らない街に灯るまばらな光。そこには人工と自然の境界があった。未知の街と未知の人々と未知の地理があった。そこにはだからぼくの知らない異界と境界があった。「ナブア森のティーン」はまるで東松照明の写真のようにぼくの心を打った。異界からのぞくその存在は折口信夫の言うマレビトであり、まさに境界上に存在していた。
 その境界の不気味であると同時に魅惑的な佇まいはぼくたちの根源的な感情と結びついているような気がする。
 かつて映画「ブンミおじさんの森」でぼくたちを熱狂させたアピチャッポン・ウィーラセタクンの作品とまた出会えて、言葉にする以前にその世界に浸ってる。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

2017年の鍋焼きうどん

2017年01月09日 17時16分48秒 | 観光
 大倉尾根はおおむね営業しているものの、鍋割山荘は休業。計画の大要そのものの危機です。鍋割山荘がないならよそで鍋焼きうどんを食べればいいじゃないの。心の中のスモール・マリ・アントワネットがささやきます。そうだ、鍋割山荘の有無にかかわらず、とにかくおれは明日、丹沢で鍋焼きうどんを食べる。それが2017年への挨拶だ。頭が煮えていたのか、よくわからない理屈で勝手に高揚して再び床につきました。
 翌朝早く新宿から小田急線に乗り渋沢へ。
 初日の出は渋沢駅のコンコースで眺めました。


 鍋割山荘をはなから諦めたぶんだけよけいな欲が発生してきました。鍋割山、塔ノ岳は登ったことのある山だけれど、塔ノ岳の奥の丹沢山はまだ未踏。標準コースタイムで積算すると大倉バス停8時出発で丹沢山までピストンで行って帰って戻りは午後6時。この時期の午後6時は完全夜。あまり山の中を歩きたい時間ではありません。それで今まで未踏だったのですが、こないだ谷川岳登って、雪山でも標準タイムよりだいぶ早く登れる自信がつきました。こういう時期が一番危なかったりするんだけれども。
 とりあえず塔ノ岳登ってみて、そのタイムが早いようなら未踏の丹沢山を目指してみようかな、と。
 この日はいい天気。北を見れば富士山(裾野までばっちり)から北アルプスまで見渡せ、南を見れば江ノ島や大島まで直下に眺めることができました。



 バカ尾根を延々登り、そろそろいい加減飽きたところで塔ノ岳到着。標準コースタイムより1時間半ほど縮めての到着です。


 これに気をよくし、丹沢山を目指すことにします。でも、今回の大きな目的の一つ、鍋焼きうどんを食べねばなりません。それを忘れては、なんのために山に登ったのか、そもそもの意義すら問われかねません。コンビニで買ってきた冷凍の鍋焼きうどんをバーナーにかけて加熱、あっという間に冷めていくうどんと本気の競争を繰り広げつつ食します。


 塔ノ岳からはアイゼンをつけて歩行するのですが、これがまあ超快晴で、雪は溶けるし、道はぬかるし、木道はむき出しになるし、とてつもなく歩きにくい。サクサクと雪の上をアイゼンで進んでいくあの気持ちのいい感触はほとんど味わうことができません。
 こういう木道をアイゼンつけて下るのはなかなか面倒くさい。


 そして初めての丹沢山。


 もと来た道を引き返し、大倉バス停には結局標準タイムを2時間半近く縮めてのfinish。1月1日の登りぞめには上出来の満足で下山。バス停で飲んだ缶ビールが全身を巡ったときの快感については言うまでもないことでしょう。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ようこそ、2017年!

2017年01月02日 22時08分39秒 | 観光
 ある目的がかなえられないことがわかったときに、それをすっぱり諦められる人間がいる一方、同じ方向で次善の満足を得ようとあがく人間がいる。などというような二項対立的な物言いはなんだか偉そうだから、それほど大したこと言っていなくてもなんだか正しいっぽいから便利かもしれない。
 それはそうと、その2つの選択肢で人を分類するならば、ぼくは断然後者にあたる。
 年も押し詰まった12月31日。のんべんだらりと2016年のくたびれた後ろ髪を眺めながら、仮想こたつの中で仮想猫などを愛でつつ酒を飲んでいると、2017年の目標だの問うべき姿勢だのはずっと後ろに退き、浮かんでくるのは明日なに食べようかなどという浅はかなよしなしごとばかり。
 寒さをバックに食べ物を考えるとだいたい鍋に行き当たるのだけれど、谷川岳で後悔した記憶もまだあたりに濃厚に漂い、そんな状況下ぼくの脳が次善の満足として叩き出したのが鍋焼きうどんだった。浅はかにして中途半端、それが俺流。今年の総括とか来年の展望とかそんなものは狼に食われてしまえばいい、とにかくおれは明日、劇的な形で鍋焼きうどんが食べたいのだ。ぱっぱとi386並の優れたぼくの頭脳はその手段を叩き出し、出た答えが早朝小田急線で新松田まで行き、そこから鍋割山に登って鍋割山荘で名物の鍋焼きうどんを食べる。「ごちそうさまでした」とどんぶりを返すや、天狗のように尾根を飛び歩き、塔ノ岳で不敵に微笑み、大倉尾根を経て小田急渋沢へ帰るという鉄壁な登山ルートだった。鍋焼きうどんを食べたいという欲望と登りぞめの2つを備えたハイブリッドプラン、さすがi386、32bit演算だってちゃっちゃっとこなします。
 おやすみなさい、2016年、きみはなかなか素敵な年だった、いつかまた出会いたいくらいだ。一陽来復を恵方に貼り付け、床につきます。おとなしく眠るぼくのまわりをいつしか2017年がやさしく包んでささやきます。「起きなさい、あきらよ、起きなさい、いいですか?」なんだか声が聞こえたような気がしますが、面倒くさいのでそのまま眠っています。「だから起きなさい、起きろって言ってんだよ」眠い目をこするぼくに2017年はこう忠告します。「年末年始は店やってかどうかちゃんと確認しなきゃだめだろ?」

 次回、鍋割山荘は年末年始がお休みだったの巻、どうぞよろしく。え? そもそもの鍋焼きうどんは?
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

天皇杯準々決勝 横浜Fマリノスvsガンバ大阪

2016年12月26日 16時13分06秒 | 
 リーグ戦はあまりいいところがなかったわが横浜Fマリノスでありますが、天皇杯は順調に勝ち上がり、12月24日準々決勝戦が日産スタジアムで行われました。


 菊名からスタジアムまでの道、くっきりと姿を現した富士山がなんとなく勝利を予感させます。


 今シーズンで退団が決まっている小林祐三とひと試合でも多く時間を過ごすためには勝つしかありません。年を越して元日の決勝戦まで一緒に戦っていきたいものです。

ガンバ側
マリノス側
 ガンバ側ゴール裏にはヤンキー臭がたちこめ、わがゴール裏はどこの国だよと思う人もいるかもしれないカラフルなトロコロールが翻っておりました。


 試合は2対1で勝利、勝利の傘回しが起こります。次は29日準決勝、鹿島アントラーズとの対戦です(残念ながら大阪へは行けません)。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

谷川岳三昧

2016年12月21日 12時51分48秒 | 観光
 一人旅が好きです。いえ、決して一緒に行ってくれるような友だちがいないとかそういうことではなく、いや、ただ単に一人旅が好きなんです、だから、ほんとですって、違います、え? やだなあ、違いますよ、ええ、泣いてなんかいませんよ。
 そんなわけで冬の一泊旅行は一人で雪三昧。先週土合に行って、あ、ここ泊まれるじゃんと見つけた天神ロッジに一泊して、初日はのんびり(前日が忘年会だったので)、ワカンをはいて一ノ倉沢を見に行き、2日目に谷川岳に登るという、たぶんもう雪が嫌いになっちゃうんじゃないかというくらい雪まみれの2日間。いいえ、ごめんなさい、雪は嫌いになりません。

 
 2週続けて土合駅。なんだか奥深い色彩が舞台美術を感じさせる様相です。

 
 天神平ロープウェイ駅に着いたのがもう昼過ぎ。ラーメン食べたり、ビール飲んだり、初日はのんびりスタート。ワカンを履いて一ノ倉沢目指します。この日は吹雪。風と雪が容赦なく叩きつけてきます。

 
 吹雪にけむる一ノ倉沢。幻想的でまさに魔の山という印象です。魔の山の最大の特徴は魅惑的ということでしょう。ただ怖いだけならば人は近づきません。危険と同等以上の魅惑に人は惹きつけられるのです。
  一ノ倉沢に着くまで聞こえる音といえば風の音と自分の踏みしめる足音だけ。自然の音と自分の音。ほかの音が消え、そこには自然と人間の際のような境界が立ち現れます。熊すら現れない死の森の中にただ一人いることの感覚は都会にいては味わうことのできないものです。
 ふとかつて似たような感覚を覚えたことを思い出しました。あれは10年以上前、伊勢へ旅した際に訪れた月出露頭でのことでした。まあ、10年たってもおんなじようなことしているんだと我ながら持続する志。

 
 翌朝は快晴。宿のスタッフが初めてここに来た年は、12月から2月まで1日も晴れ間を見たことがなかったというほど、冬の快晴は珍しい。なんてラッキー。谷川岳に登る者、ロープウェイ駅付近で雪崩遭難時のビーコン操作を練習する者、滑落した際の姿勢や動きを練習する者、スキーヤー、ボーダー、いろんな人々が天神平に集います。そんな中粛々と天神尾根を進みます。ところが右足にすでに靴ずれが。ほんの小さな傷ですが、これが曲者の痛さ。一足ごとに顔をしかめながら登っていきます。

 
 肩の小屋付近のケルン道標。時折吹き付ける風に痛めつけられながらもここまで来れば頂上はもうすぐ。

 
 強い風が積雪に風紋を形作ります。これはこれで美しい景色なのですが、この風を受ける人間には厳しいものがあります。

 
 そしていよいよ頂上。足の痛みは続いていたのですが、気持ちが違います。一応ラーメンを作れるよう道具は揃えてきたのですが、寒くてお湯を沸かす気にすらならず下山します。止まって調理などは厳しいのでやはりおにぎりなどの行動食がほしいところでした。反省。

 
 途中まで降りて振り返ると今登った谷川岳が見えました。ああ、あそこのてっぺんに立ったんだなと思うと感慨無量でした。しかもこんな晴天に恵まれて、なんという幸せ! そんな雪まみれの2日間でしたが、帰りの電車で雪山の新しい道具を検索したりして、雪に飽きるどころかますますはまっていく始末。次はもうたぶん今年の登り納め。さて、どこに登ろうか、わくわくしながら計画中です。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

フランス2

2016年12月17日 20時32分39秒 | らくがき


 先日、フランス2夜8時のニュースを見ていて感心したことが2つ。一つはギリシアの年金問題で、緊縮財政中のギリシアが低所得者に一時給付金を出すという報道。これに対して「ギリシアはサンタクロースの役割をするのでしょうが、他のEU諸国は鞭打ち爺さんの役割を果たすことになるでしょう」と。気前のいいギリシアとそれを懲らしめるEU諸国ということを言い表しているんだけれど、これは、戦後サンタクロースがクリスマスに台頭する以前は冬至という光が最も弱まる時期には異界から異神が立ち現れて秩序を混乱させ、そして冬至から光が徐々に強まるにつれ消えていくというヨーロッパの古い伝承に基づいていて、その中の鞭打ち爺さんは、子どもたちにプレゼントをあげるなどもってのほか、子どもたちを貪り食らうサトゥルヌス神が原型(ゴヤにすばらしい作品がありましたね)という恐ろしい異神。しかしその中にアンビバレントな存在として子どもを守る部分がセットとしてあって、それが…… という話は興味のある方はレヴィ=ストロース「火あぶりにされたサンタクロース」を是非。そうした古い伝承が比喩として現在でも通用することに感心したのでありました。
 もう一つはラスコー4完成のニュース。ラスコー洞窟の完全な複製洞窟がいよいよ完成と(いま日本に来ているのは巡回型のラスコー3)。これが日本のニュース番組だったらヘルメット被った女子アナがラスコー4の中で、解説役の中高年の男性から説明を受けて、感心してびっくりするという地獄絵図が展開されそうなのに、ナレーションで淡々と、しかし、なかなか深い内容の解説をしていて大変感心したものでありました。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

寒いところでごちそうお鍋

2016年12月12日 12時55分16秒 | 食べ物
 12月ももう2週目。冬が深まって参りました。冬といえばお鍋の季節。仲間や家族、あるいは一人でも熱々のお鍋がおいしい季節です。
 でも、なぜ冬に鍋なんだろう。たぶん、外の寒さに対比して鍋のあったかさがよりおいしさを加えてくれるからかもしれません。であるならば、寒ければ寒いほど鍋はおいしいのではないか。
 そんな素朴で小さな疑問からこの旅は始まったのでありました。そう、「寒いところで鍋を食べたらおいしいんじゃないか」という仮説を実証するための大人の社会実験。雪の中で鍋を食べに行こう。
 早起きして、上野東京ラインで高崎に向かいます。快晴の高崎、雪一つありません。もしかしたらこの実験は失敗なのではないか、多少の危惧を胸に水上行きの上越線に乗り換えます。しばらく走っても雪はありません。後閑を過ぎたあたりから景色は一変、一面の雪景色が広がっています。よしよし、こうこなくちゃ。水上で長岡行きの電車に乗り換えて土合に向かいます。

 土合駅の下り線ホーム。486段の階段を上り、地上に出るまで10分くらいかかるといわれる通称「日本一のモグラ駅」。登山は駅から始まっていると言っても過言ではありません。



 確かに多少の雪は期待していたものの、明らかにオーバーワーク。行くも地獄、引くも地獄の鍋行脚が続きます。「これがホントの氷結」、ただこれをやりたいがために三脚に缶チューハイを持参したものの、思ったほど面白くなくてがっかり。それにしても状況的には鍋をやりに行くというより遭難していると言った方が的確もしれない、外は吹雪。気温は零下。しんしんと降り積もる雪が足あとを消していきます。行方不明なんて言葉も浮かびます。今1番近い状況は映画「八甲田山死の彷徨」で高倉健ではなく北大路欣也の方が率いる部隊、あれに近いかもしれません。雪が吹き込んでくるので目をあけているのも辛い…… 鍋担いで、おれ、なにやってんだろう。人生の根本的な疑問すら浮かんできました。思えば小学校5年をピークにおれの人生は負け続けだったかもしれない。かつて切った没落の約束手形の回収に残りの人生すべてを費やしているんじゃないか、降り積もる雪の中で静かに絶望が心を染めていきます。



 それでも鍋をやるんだよ。鍋をやるためにここに来たんだ。あたりを踏み固め、整地します。リュックから鍋やバーナーを取り出そうとする気持ちと、決してこの手袋を脱ぐものか、脱いだら凍えてしまうという切実な現実が火花を散らします。泣く思いで手袋をはずし、かじかみ震える手で用具を取り出します。冷たくて触るのもためらわれるほど凍てついた鍋が容赦なく手のひらから人間の暖かみを奪い去っていきます。ようやくすべての用具や鍋の具材を取り出したところでぼくの気力は底を尽きます。「天はわれを見放した……」心が振り絞る静かな慟哭の声を聞きながら撤収を決意します。



 駅へ向かう後ろ姿もどこか悲しげです。



 土合から水上へ、そして水上から朝と逆に上り電車で高崎方面へ向かいます。敗北感と挫折感がやすりがけした心はざらつき、悲しみが群馬全体を覆い尽くすようでした。そんな時、闇を払う光の一閃が脳内を貫きます。そうだ、新前橋なら利根川に近いから利根川の河原で鍋をやればいいんじゃないか。雪こそ降ってはいませんが、そこは前橋、寒さは東京の比ではありません。寒い中鶏鍋を作ります。上州名物からっ風が北から吹きすさぶ中、はふはふ言いながら熱いお鍋を食べます。鶏肉が、鶏団子が泣きたくなるくらいおいしい。寒い中で食べるお鍋、おいしいと同時に、生命をつなぐ糧という感じ。


 今回の教訓は、何事もやり過ぎはよくない、中庸こそが人生を楽しむのに一番の近道だということで、凍えたり、泣きそうになったりした割には、得たものが案外普通のことで、まあでも、そういう普通のことこそがかけがえのないものなんだよ、と薄っぺらな曲の歌詞みたいな着地点に行き着いてしまって、まだまだ修行が足りないな、と自分への反省ひとしきりの週末でありました。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

子の権現~竹寺

2016年12月05日 14時49分35秒 | 観光
先日山で転んで大腿部を強打(これについてはまた後日)、痛さのあまり歩き方がしばらくおかしいままでした。そうだ、足が良くなるように足にご利益があるといわれる子の権現(「ねのごんげん」と読みます)に参ろう、そしてついでと言っちゃなんだけれども、インフルエンザも流行りつつあるので、疫病予防の神様牛頭天王を祀る竹寺まで足を伸ばそう、そんな神仏頼りの巡礼行脚。冬もすぐそこ。西武池袋線西吾野駅からえっちらおっちら子の権現を目指します。
 

 その前の週、2週続けて2000m以上の山に登っていたので、今日は軽い寺巡り、そんな週末もよいではないか、と思って臨んだら、あにはからんや、いつもと同じような山道。まあ、軽いお散歩で済む話じゃないってことは薄々わかっておりましたの、わたくし。それでもなんだか楽しい道。古い信仰の道がもってる雰囲気がたまらなくいいんんです。


 子の権現到着。仁王様がにらみをきかせる中入っていきlます。
「早く足が治りますように、これからも山に登れますように」切実な思いでお参りします。


 足にご利益があるお寺ならでは、鉄のわらじが奉納されていたりします。


 絵馬すらわらじ。もはや絵でも馬でもありません。


 子の権現を出て見晴らしの良いところで食事の準備。ちょうどその日トレランの大会が開かれていて、通るランナー、通るランナーにいじられます。食事をしながら100人ほどの人間にいじられるという人生において貴重な体験をしたランチでした。ところでランチにも関わらず、じゃがりこが置いてあるのに疑問をいだいた方もおられるかもしれません。実はじゃがりこにお湯を注いでマッシュポテト状にしたものを入れるとたいへんコクのあるおいしいシチュウができあがるんです。


 これがそのシチュウ。ワインとシチュウ、それにこの日はチキンのトマト煮、餃子の皮を使ったピザで優雅な山ランチ。


 竹寺到着。以前竹寺に関してこのブログに書いたことがありました。「竹寺 東西の来訪神」 いや、あれからもう6年経ってるんですね。やれやれ年をとりました。やってることはあまり変わらないのに………
 帰りは名栗まで歩いて温泉に浸かって一日の疲れを癒やします。古径を経ての神仏散歩。たまにはこんなのんびりした休日もいいもんです。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加