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007 NO TIME TO DIE

2021年10月11日 23時25分01秒 | 映画
 
池袋グランドシネマサンシャインで「007 ノー・タイム・トウ・ダイ」を見てきました。なぜその映画館かというとディジタルでフル規格のIMAX上映が見られるのは、日本ではここと大阪の109シネマズ大阪エキスポシティの2館のみなので。
 今回の007新作を見て、アメリカはさまざまな問題を抱えながらも、文化においては先に進もうとしているのが如実に感じられました。1960年代から白人男性のある種こうあったらいいな的な理想像であった007(風光明媚な出張先で素敵な彼女ができて、仕事がうまくいって、最後洒落た捨て台詞で幕を閉じる)、前作『スペクター』で現役を引退した彼からその007という番号を引き継いだのは黒人女性。「ええ、単なる番号ですから」とクールに言う彼女。時代の変化を感じます。
 思えばアメリカ映画は時代の変化に伴って映画の中の価値観を変えてきたと思います。たとえばクリント・イーストウッド監督『グラン・トリノ』。あの映画で古き良きアメリカの象徴であったバカでかいアメ車を相続するのは中国系移民の男の子でした。ディズニー映画も女性の幸せが王子様と結婚することではないって方に舵を切ってきました。あるいは『トイ・ストーリー3』。アメリカのフロンティアスピリットを象徴するカウボーイと宇宙飛行士の人形を中心とするおもちゃを継承するのは黒人の女の子でした。カウボーイはまさにゴーウエスト、フロンティア精神の象徴であり、宇宙飛行士はケネディ大統領提唱のスペースフロンティアの象徴でありました。つまりアメリカの拡大のシンボル。
 しかし、無尽蔵の拡大はやがて環境その他に多大な負荷がかかることがわかります。そこで言われ始めたのがサスティナブルな成長。それまでの古き良き無尽蔵に成長するアメリカの価値観を担っていた白人男性に変わって、移民や黒人女性たちがそれらを軟着陸させる役割を担っている、007の新作にもそんな時代の変化を感じました。また、登場人物Qがゲイであったりする描写も、今までの白人男性がヘテロセクシュアルな世界の中でブイブイいわせてきた007シリーズとは一線を画しているのではないかと思いました。
 一線を画すと言えば、ネタバレになるので言えませんが最大の変化がこの映画にはあります。たとえば寅さんとかシリーズものの映画ってどこか安心していません? さざえさんとかちびまる子ちゃんとかクレヨンしんちゃんとかでも。え、嘘でしょ? と、最後は落涙でした。
 フクナガ監督のアクションシーン、とくにラスト近くでの階段でのアクションはすばらしかった。そこでライフルの銃腔みたいな建造物で振り返り、それまで使っていた自動小銃ではなく、拳銃で一発撃つところ、まるで初代から今作まで使われてきた振り返って銃を撃つオープニングシーンみたいで、ああ、これで007シリーズの円環が閉じたんだと落涙しました。
 前作『スペクター』の続きのような話なので(『シン・エヴァンゲリオン』が『序・破・Q』の続きのように)、『スペクター』未見の方はまずはそれを見てからの鑑賞がおすすめです(Amazon Primeにもあります)。
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