自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★いざ、鎌倉‐中

2016年10月02日 | ⇒トピック往来
  鎌倉市の中心と言えば、鶴岡八幡宮あたりか。駅前から参道がまっすぐ伸びる。その長さは500㍍。1180年、鎌倉入りを果たした源頼朝は、先祖が創建した由比若宮を遷座して、鶴岡八幡宮を中心とした街づくりを始めたと言われる。参道を歩く。左右に老舗の商店や銀行などが並び、頼朝がプランニングした通りに、街の中心と実感できる。

  鶴岡八幡宮の入り口の旗上弁財天社前で観光ガイド氏が面白いことを説明してくれた。「鶴岡八幡宮の境内には白ハトがいます。白ハトは樹木の上にとまり、黒いドバトは地べたにいるのです」と。観察すると樹木に白ハトが数羽とまっていた。さらにガイド氏は「八幡宮の額の八の字は、神聖な神の使いとされる二羽の白ハトをかたどっています」と。確かに、本宮手前の楼門の額の「八幡宮」の八の字はハトをシンボリックに描いたものだった。参道沿いに鳩サブレーで有名な豊島屋の本社がある。そうか、鳩サブレーの原点は鶴岡八幡宮だったのかと合点がいった。

  鶴岡八幡宮で有名な樹木と言えば大銀杏(おおいちょう)だろう。1219年、鎌倉幕府三代将軍の実朝が僧侶に暗殺された際、僧侶が潜んでいた場所が大銀杏の木陰で、後に「隠れ銀杏」と呼ばれた。そのくらいの知識はどこかで得ていた。ところが実際に訪れて驚いた。その大銀杏は2010年の強風で倒れ、現在は根元を残して切られていた。かつて根回り6.8㍍、高さ30㍍、樹齢千年と言われた八幡宮のシンボルだった。倒れた大銀杏の根元は傍に移され、銀杏の若木が元の地で植栽されていた。銀杏版の式年遷宮と考えればその意義は大きい。この若木が鶴岡八幡宮のさらなる何百年の未来と共にするのだ。

  鶴岡八幡宮から歩いて15分ほど。参道から本堂前までシロバナハギが咲く宝戒寺に赴いた。「萩の寺」として知られている。赤い彼岸花も咲いている。周囲を街を見渡すと、黄色いキンモクセイもいたるところに咲いている。鎌倉は花のにおう街なのだと感じ入った。

  鎌倉で一番の古刹、杉本寺を訪ねた。鎌倉幕府が開かれる500年近くも前の平安初期の734年に創建された。仁王門を抜けるとコケむした石階があった。すり減った石段は長い年月をかけて多くの参拝者が訪れたことを物語っているかのようだ。本堂の屋根は茅葺(かやぶき)で風情がある。訪れたとき、毎月1日の護摩供(ごまく)が営まれていた。

  土曜日ということもあり、参拝者が多く訪れていた。見渡すと、若い女性が目立つ。護摩供が終わり、女性たちは御朱印帳を購入している。「御朱印ガール」たちだ。 御朱印は、寺や神社に 参拝したあかしとしてもらう押印のこと。「鎌倉三十三観音巡り」の一番札所が杉本寺なのだ。

⇒2日(日)朝・鎌倉の天気   はれ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする