自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆天皇のお気持ち

2016年08月09日 | ⇒ニュース走査
「憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました」

昨日(8日)テレビで放送された天皇のお言葉(ビデオメッセージ)にじっと聞き入った。なるほど、天皇はこう考えておられたのだ、ということを知った思いがした。とくに、天皇が国民との関係や距離をどう考え、自らの象徴天皇の役割を担ってこられたのか、改めて感じ入った。

  一つだけ、聞き慣れないお言葉があった。「天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ヶ月にわたって続き・・・」。「殯(もがり)」とは。調べてみると、人の死後に本格的に埋葬するまで、遺体を棺(ひつぎ)に納めて安置し、近親者が儀礼を尽くして幽魂を慰める習俗のことを指す。その目的は死者のよみがえり、あるいは死者の魂を呼び戻すことにあるという。

  これに似た葬送を実際に聞いた。これまで何度か訪ねたことがある、フィリピンのイフガオでの葬送の方法だ。死者を布でくるんで白骨化するまで自宅に置く。家族は死者を身近に置くことで、亡き人をしのぶ。その後、家族で洗骨の儀式を営み、埋葬する。2000年も前からこの地で田んぼを耕すイフガオ族の伝統的な葬儀だったが、さすがに現代では敬遠され、すぐ埋葬するのだという。

  イフガオでの話を聞いていたので、天皇が述べられた「重い殯」の意味合いを察した。2ヵ月続く皇室の伝統的な葬送「殯」は、心に重いのだろう。メディアでは「生前退位」を天皇が示唆されたと報じているが、あえて「重い殯」とお言葉にすることで、こうした皇室の伝統的な葬送の在り様も含めて見直したい、とのお気持ちを述べられたのではないだろうか。

⇒9日(火)夜・金沢の天気  はれ
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