バス停問題が浮上
この記事はこのシリーズの第5回になるはずだが、実質的な「第4回」は姉妹ブログ「山形の過去、現在、未来」の12月25日付けの記事に書いてしまったので、このブログ「島国・・・」では第4回とした。
姉妹ブログでも述べたように、今回の車道両脇に自転車道を設置するにあたり最も苦心されたのが「バス停」の配置とバス乗降者の安全をいかに確保するかにあった。
狭い道路において歩行者、自転車、バス等の公共交通車両、一般車両のどれもが安全に通行できるようにするには「ノーベル賞」的なアタマが必要なようである。
以前の「社会実験」中の自転車道が東側にのみ「双方向」に設置されていた(前々回記事の写真参考)のに対し、現在は車道両側に一車線ずつ「片方向」に設けられたという大きな違いとなった。
以前の「双方向」は全国的自転車利用者組織によると「最悪」の形体のようである。
なぜなら、自転車同士の衝突や接触による事故の可能性が高まるからということである。
しかし、山形の場合、その「双方向」方式がとられた「理由」を推測するに、やはりバス停を設置し、バスの乗降者の安全を確保するのには好都合であったからではないかと思われるからである。
もともと、この「国道」の車道は一方通行のゆえにバスも北進の一方通行のためにバス停も西側歩道上にのみ設置されている。
だから、以前はバスの乗降者は自転車道を跨ぐことなしに直接バスに乗り込み、バスから歩道に降りることができた。
しかし、今度はどうしても自転車道を跨いでの乗降になってしまった。
それでも自転車利用者がバス乗降者の安全に充分に留意するようであれば問題はないのかもしれない。
しかし、それが百バーセントの自転車利用者がそうである保証はあるのか。
バス停にバスが停車している場合は必ず自転車を停車させるか最徐行するかが不可欠であるが、やはり“暴走自転車”は跡を絶たない怖れが充分である。
写真でも見られるように、確かにバス停前には自転車利用者にバス乗降者の安全を呼びかける立て看板があるが、速く走ることしか考えない高校生などの若者たちはどれだけこの看板を読んでくれるのかは未知数である。
この記事はこのシリーズの第5回になるはずだが、実質的な「第4回」は姉妹ブログ「山形の過去、現在、未来」の12月25日付けの記事に書いてしまったので、このブログ「島国・・・」では第4回とした。
姉妹ブログでも述べたように、今回の車道両脇に自転車道を設置するにあたり最も苦心されたのが「バス停」の配置とバス乗降者の安全をいかに確保するかにあった。
狭い道路において歩行者、自転車、バス等の公共交通車両、一般車両のどれもが安全に通行できるようにするには「ノーベル賞」的なアタマが必要なようである。
以前の「社会実験」中の自転車道が東側にのみ「双方向」に設置されていた(前々回記事の写真参考)のに対し、現在は車道両側に一車線ずつ「片方向」に設けられたという大きな違いとなった。
以前の「双方向」は全国的自転車利用者組織によると「最悪」の形体のようである。
なぜなら、自転車同士の衝突や接触による事故の可能性が高まるからということである。
しかし、山形の場合、その「双方向」方式がとられた「理由」を推測するに、やはりバス停を設置し、バスの乗降者の安全を確保するのには好都合であったからではないかと思われるからである。
もともと、この「国道」の車道は一方通行のゆえにバスも北進の一方通行のためにバス停も西側歩道上にのみ設置されている。
だから、以前はバスの乗降者は自転車道を跨ぐことなしに直接バスに乗り込み、バスから歩道に降りることができた。
しかし、今度はどうしても自転車道を跨いでの乗降になってしまった。
それでも自転車利用者がバス乗降者の安全に充分に留意するようであれば問題はないのかもしれない。
しかし、それが百バーセントの自転車利用者がそうである保証はあるのか。
バス停にバスが停車している場合は必ず自転車を停車させるか最徐行するかが不可欠であるが、やはり“暴走自転車”は跡を絶たない怖れが充分である。
写真でも見られるように、確かにバス停前には自転車利用者にバス乗降者の安全を呼びかける立て看板があるが、速く走ることしか考えない高校生などの若者たちはどれだけこの看板を読んでくれるのかは未知数である。