島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

不可能を不可能と言えない「除染」事業(7)

2013-04-27 06:15:12 | 原子力発電所
 すっかり更新を怠っていた。

 除染がいかに困難であり、途方もないものであるかはチェルノブイリ大事故後のソ連当局やその後のウクライナ当局の対応の杜撰さ超不徹底ぶりでも知ることができる。
 むろん、事故後にソ連もウクライナも除染を全くやっていないわけではないが、事故後もしばらく稼働させていた事故炉以外の原子炉で働く技師や作業員たちのための除染、例えば出入りする車両などの除染が大半で、広大な農地や樹林、原野などはほとんど除染はされずにほったらかしのようである。
 事故原発のの近くには原発城下町とも言うべきプリピャチという都市があって、住民はすべて外部へ避難して今ではまったくのゴーストタウンであるが、旧プリピャチ市の除染もほとんどやられていない。というのも市民の帰還が計画されていないからである。
 また、農民たちの中には高齢者を中心に元の村に戻った者も居るどころか、全く外部へ避難しないで居残ったままの者もかなりの数だが、彼らの日常生活や安全な農作業のために当局がきめの細かい除染や放射線量の計測をやってくれていたかというと、決してそうではないようなのだ。ましてや耕す者も居ない広大な元の農地や樹林、原野などまで除染作業員が入ることはほとんどなかったと考えるのが妥当であろう。
 ただし、それらの農地や樹林、原野のほとんどがほぼ真っ平らな平地であり、福島原発周辺のように起伏の激しい複雑な地形ではないにもかかわらずである。
 ◆写真はまたまた旧プリピャチ市と向こうに見えるチェルノブイリ原発。見渡す限りの平地であることがわかる。

不可能を不可能と言えない「除染」事業(6)

2013-04-03 23:41:11 | 原子力発電所
 原発事故の双璧といえばチェルノブイリと福島第一であろう。
 その福島では「除染」という言葉が溢れ返っているが、チェルノブイリではどうだったのか。むろんチェルノブイリでも除染作業は行われた。だが、同じチェルノブイリでも事故を免れた原子炉はまもなく再稼働させており、そのための技術者と作業員の放射線防護が主眼の除染であるため、避難住民の帰還が主目的の除染ではないために、さほど大規模なものではなく、むしろ不徹底なものであったと言える。
 だから事故から二十数年後の現在でも立入禁止地区の解除はされず、やはり放射線量はかなり高いままのようである。
 そして福島とチェルノブイリの大きな違いはやはり何といっても共産党独裁国家と民主主義国家との違いによるものから来ており、住民の帰還要望を尊重する気持ちを政府がどれだけ持ち合わせているかで、除染事業への熱の入れ方に違いが出てくる。
 
  ⇒ 続く

 写真は廃墟と化したプリピャチ市と遠くに(近くに?!)望めるチェルノブイリ原発
     次回もチェルノブイリ関係にします。