縁側でちょっと一杯

縁側でのんびりとくつろぐ贅沢な時間。
一杯遣りながらの“お題”は、    
経済、環境、旅、グルメ、そして芸術。

そうだ、『ダイヤモンド・クラブ』、行こう

2009-02-28 16:24:55 | 芸術をひとかけら
 ステージの合間にこれを書いている。ここは四谷3丁目、『ダイヤモンド・クラブ』。

 風俗とかの怪しげな店ではない、念のため。オーナーが宝石商のため(だったため?)付いた名前である。ジャズのライブをやっている店だ。

 曙橋に住んでいた頃、近所だったので毎週のように来た。仕事帰りに寄って、バーボン(正確にはテネシー・ウイスキー)を飲みながらジャズを聞く。嫌なことを忘れさせてくれる、至福のときだった。
 この店には4、5年通っただろうか。それが、お世話になっていたマスターが辞め店の雰囲気ががらりと変わってしまい、僕は行くのを止めてしまった。もう15年くらい前の話である。

 ところが、昨年、マスターが、宮本さんというが、『ダイヤモンド・クラブ』に復帰された。内装も当時のものに戻った。グランドピアノの周りの椅子が少し低くなったほか、ほぼ昔通りである。大きく変わったのは、宮本さんも僕も年を取ったということ。が、こればかりはどうしようもない。月島からは遠いのでなかなか行けないが、2、3か月に一度はお邪魔している。

 店の説明が長くなったが、本論に戻ろう。
 今、2回目のステージが終わったところである。ヴォーカルは萱原恵衣(かやはらけい)さん、ピアノは槙田友紀さん。僕は二人とも初めてだったが、お二人とも若くて、楽しい方たちである。もっとも“若い”といっても、ジャズをやる人としては、という意味なので、後で話が違うじゃないか、と怒らないで欲しい。

 それはさておき、なぜステージの合間にこれを書き始めたかというと、萱原さんが“My Favorite Things” を歌ったからである。ミュージカル“Sound of Music”の中の曲である。今ではJR東海のCM「そうだ、京都、行こう」の曲と言った方がわかるだろうか。ジャズではコルトレーンが採り上げているが、ジャズというよりポップスの曲といったイメージである。ジャズをあまり知らない人にも楽しんでもらおうという彼女の配慮であろう。
 勿論、僕は彼女の配慮が嬉しかったから突然これを書き出したわけではない。手持無沙汰だった? それは若干ある。 酔っぱらっていた? 酔っぱらうには まだ1時間くらい早い。ではなぜか。

 あまりの偶然、タイミングの良さに驚いたからである。実は、昨晩、家に帰ってテレビを付けたら、映画“Sound of Music”をやっていた。まさにジュリー・アンドリュースが“My Favorite Things”を歌っている所だったのである。この曲は、ジュリー・アンドリュース演じる家庭教師マリアが、雷に怯える子供たちを元気づけようと、怖い時や悲しい時には、何か楽しいことや自分の好きなものを思い浮かべるといいのよ、と言って歌う曲である。マリアが、あと楽しいものって何があるかしら、と一瞬言葉に詰まり、枕を抱きしめたところに、ちょうど僕は帰って来たのであった。

 前にも書いたが(2006.4.14『マイ・フェイヴァリット・シングス』)、映画“Sound of Music”は僕の大のお気に入り。幸運にも映画を見られた翌日、今度は生で映画の曲を聴くことが出来た。なんて素敵な偶然。そういえば朝見た占いでは、「今日、最も運勢が良いのは“た行”の貴方です」と言っていた(注:僕の名前は“た行”)。占いもまんざら捨てたものじゃない。

 今、『ダイヤモンド・クラブ』では、ライブは主に金曜日にやっている。他の日は歌の代わりに宮本さんが楽しい話を聞かせてくれるに違いない。おまけに値段は極めてリーズナブルである。
 どこか不思議でちょっと幸せな偶然に出会えるかもしれない『ダイヤモンド・クラブ』に、皆さんも一度足を運んでみては如何だろうか。

 えっ、おまえは『ダイヤモンド・クラブ』の回し者か、って。そんなわけではないが、『ダイヤモンド・クラブ』に限らず、四谷3丁目(荒木町)界隈は今極めて寂しい。近くにあったフジテレビがお台場に、日テレが汐留へと移り、ただでさえ人通りが減ったところに、この不景気である。
 かつて花街だった荒木町の風情を消さないためにも是非皆さんご協力を。
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日曜の昼下がり、おじさんの独り言、あるいは嘆き

2009-02-22 14:05:08 | 最近思うこと
 先日、アフリカ諸国とシンガポールの発展の違いは、国としての危機感の有無に原因があるのではと書いた(2月3日『遠いアフリカ~アフリカの貧困について』)。が、どうやら危機感のないのはアフリカ諸国だけではないようだ。

 その国は独裁国家ではない。立派な(?)民主主義国家である。この3年の間、選挙の洗礼、つまり国民の支持を確認することなく総理大臣が3回変わった。最初の二人はわずか1年で総理大臣の地位を投げ出した。3人目も、やる気はあるようだが、今や風前のともし火。
 「身から出た錆」とか「口は災いの素」というが、まるでこの方の為にある言葉のよう。信念がないというか、筋が通っていないというか、言うことがコロコロ変わる。定額給付金をもらう人は“さもしい”と言ったかと思えば、皆で給付金をもらって使いましょうと言ってみたり、郵政民営化には反対だの、いや賛成だのと言ったり、枚挙にいとまがない。
 総理大臣が総理大臣なら大臣も大臣だ。財務大臣はG7後の記者会見で醜態をさらし、果ては全世界にその情けない姿が配信されてしまった。世界不況への対策を協議する中、その国の危機感のなさが浮き彫りとなった。又、総務大臣も酷い。国民の人気になる、票になるとの政治家の直感から、かんぽの宿の売却問題に噛みついた。理屈を超えたところで政治が介入するとあっては、かんぽの宿に新たな買い手はなかなか現れないだろう。その間、年間40億円とも50億円とも言われるかんぽの宿の赤字は続くわけだし、結局109億円以下の金額でしか売却できなかったとき、彼はどう責任を取るつもりなのだろう。
 そんなこんなで内閣支持率は10%そこそこまで低下し、一部では10%割れの結果も出ている。まさに末期状態である。

 かつて、この国にも大きな危機があった。欧米列強の植民地になるかもしれないという、国の存亡に係る危機である。幕末から明治維新にかけての話であるが、僕は当時の政治家は本当に立派だったと思う。彼らは、幕府のためとか藩のためといった次元ではなく、勿論、自らの私利私欲のためなどでは毛頭なく、国のために今何をすべきかを考え、行動したのであった。
 もっとも、運というか、当時の世界情勢に助けられた面も多分にある。その国が二分され、大きな内乱に発展する可能性のあった19世紀後半、欧米列強は次のような状況にあった。まず世界最強のイギリスはというと、セポイの乱(インド)や太平天国の乱(中国)を通じアジアでの植民地経営の難しさを思い知らされ、貿易で利益を得られれば十分との考えに傾きつつあった。フランスはメキシコ出兵に失敗した第二帝政末期にあり海外で積極的に動けない状態である。それは南北戦争が終わったばかりのアメリカも同じ。が、各国とも貿易による利益を享受したいので、他国に植民地化させるのは避けたいと牽制機能が働いていた。
 こうした中、江戸城無血開城をはじめ、大きな内乱となることなく、政権の移譲、政治体制の変革が、短期間のうちに成し遂げられたのであった。その国は長い間鎖国をしていたものの、オランダを通じ、当時の中国の状況など世界情勢を熟知していた。ここで世の中が乱れては欧米列強の思うつぼ、中国の二の舞になってはいけないとの強い危機感が、幕府側にも、そして朝廷・薩長側にもあったのである。

 もう一つ、その国の民度の高かったことも植民地化を防いだ理由として挙げられている。儒教の精神が行き届いており皆礼儀正しく、識字率も当時の欧米以上に高かったという。未開の国、野蛮な国といった征服対象の国ではなく、十分交渉できる国として見なされたというのである。
 この説の真偽は定かではないが、仮に正しいとしたとき、今でもそれは当てはまるだろうか。欧米から敬意をもって見られる国なのだろうか。例えば、国会中継を見てみよう。罵詈雑言が飛び交い、とても礼儀正しい、年長者を敬うとは思えないし、一国を代表する総理大臣が「みぞうゆう」の危機と言うようでは識字率の高さも怪しい。

 やれやれ。巷で“Japan passing(日本無視)”などと言われ、日本の存在感が低下する中、たとえ悪役であろうが“Japan bashing(日本叩き)”と相手にされていた頃が無性に懐かしい。
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グナル・ハインゾーン『自爆する若者たち ~ 人口学が警告する驚愕の未来』

2009-02-10 22:17:36 | 最近思うこと
 この本はおもしろい。発想というか視点が斬新である。確かに言われてみれば、「あっ、そうか。なるほど。」と思う話ではあるのだが。
 例えば、アルカイダの自爆テロは宗教的理由だとばかり思っていた。が、違う、それだけではない。この本はもう一つの大きな理由を教えてくれる。そして、それはかつてのヨーロッパの世界制覇と同じ理由だというのである。

 イスラエルが侵攻したガザ。イスラエルと、ガザを実効支配するイスラム原理主義組織ハマスとの戦いである。ガザは人口密集地であり、一般人も含め多くの人が犠牲になった。
 ところで、日本の人口増加率がこのガザ地区並みであったとしたなら、今の日本はどうなっていただろう。1950年から2008年までの間にガザの人口は24万人から150万人まで増えた。この増加率を日本に当てはめると、日本の人口は1億2,700万人ではなく5億2,000万人になる。平均年齢は44歳ではなく15歳だ。今の高齢化社会とはほど遠い状態である。
 一見、年金や医療費の問題など存在しない素晴らしい社会のようにみえるが、果たして本当にそうだろうか。この人口5億2,000万人、平均年齢15歳の意味するところは何なのだろう。

 このとき15歳未満の少年男子の人口は900万人ではなく1億3,000万人。この少年たちは2023年までに、いわゆる戦闘年齢と称される15歳から29歳に達する。この「過剰なまでに多い若者世代=ユース・バルジ」は社会全体の大きな撹乱要因であり、争いを生み、ときに戦争や殺戮に繋がると作者はいう。

 一人の父親に息子が一人か二人だとしよう。おそらく二人とも栄養も教育も充分に与えられ、そこそこの職に就くことができるだろう。しかし、これが3人息子、4人息子だとどうだろう。子供のときから互いに相争う状況に置かれ、成人して良い職にありつける保証はない。親の遺産も当てにできないかもしれない。
 この職にあぶれた者の選択肢は、国外に移住する、犯罪に走る、クーデターを起こす、内戦あるいは革命を起こす、他民族など少数派を殺害あるいは追放する、他国を侵略する、の6つだという。
 事実、16世紀以降のヨーロッパはこのすべてを行ってきた。日本同様、今は少子化に悩むヨーロッパであるが、当時のヨーロッパでは6人、7人兄弟が当たり前だったという。そして、三男坊、四男坊を中心とした軍隊が世界征服に向かって行ったのであった。

 即ち、暴力を引き起こすのは宗教でも貧困でもなく、人口爆発によって生じる若者たち=「ユース・バルジ」のエネルギーを国家が抑えられないからなのである。
 現在の世界でユース・バルジの状態にあるのは、イエメン、コンゴ、ガザ、アフガニスタンなどイスラム教の国が多い。が、イスラム教であることがテロを生みだしているのではない。キリスト教のヨーロッパがかつて力によって世界を征服したように、それは多分に国がユース・バルジのエネルギーを吸収できないからなのである。宗教の問題ではなく、国の制度(出生率?)の問題である。

 ところで、この本を読んでリヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』を思い出した。宗教は関係ない=「神は死んだ」という繋がりではない。冒頭のインパクトである。
 ご存じ『ツァラトゥストラ~』の出だしの迫力は凄まじい(注:『2001年宇宙の旅』の冒頭で使われているテーマ)。で、一方、この本も冒頭にエッセンスが集約されていて、そのインパクトは強烈だ。
 僕は一応全部読んだが、冒頭の訳者による「はしがき」と著者グナル・ハインゾーンの「日本語版に寄せて」を読めばこの本の大体のところは理解できる。お時間のない方はそこだけでも良いので、是非、この驚き、衝撃を味わって頂ければと思う。
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『英国王給仕人に乾杯』の意味は??

2009-02-06 23:18:55 | 芸術をひとかけら
 「邯鄲の夢」という故事がある。人の一生の栄枯盛衰ははかないものである、という意味だ。この『英国王給仕人に乾杯』を見て、この言葉を思い出した。

 この映画は日経の夕刊で知った。レビューで大絶賛されており、どれ、見に行ってみるか、と思ったのである。それが昨年の12月、かれこれ1ヶ月半前のこと。公開も終わりに近づいた中、漸く見に行ってきた。なんとか間に合ったという感じだ。
 当初は満員だったらしいが、さすがにこれだけ日数が経ち、かつ終わるのが夜の10時近くという平日の最終回とあって、随分空いていた。指定席だったので、窓口で「真ん中あたりで端の席で良いから隣の空いている席」とお願いしたが、そんな必要はなかった。仮に左右両隣の席を使ったとしても誰も文句を言わないような客の入りである。映画館に着いたのはギリギリ、滑り込みセーフであったが、お陰様で急いた気持ちを忘れ、ゆったりとした気分で見ることが出来た。

 さて、どんな映画かというと、時は第二次世界大戦前から1960年代前半、ドイツの保護領となり戦後社会主義となったチェコスロヴァキアが舞台、ヤンという男が百万長者のホテル王になることを夢み、田舎町のレストランを振り出しに高級娼館、プラハの最高級ホテル、ドイツ軍の研究所(ナチ親衛隊向けの娼館?)と渡り歩き、そして遂にホテルのオーナーになるが、それも束の間、今度は投獄され、果ては国のはずれの廃村に追いやられる、という話である。
 これだけ聞くと限りなく暗い話のように聞こえるかもしれないが、それは違う。人間の愚かさや醜さをユーモラスに描き、そして富も名誉も気にしない人生が最高だと教えてくれる映画なのである。「邯鄲の夢」とは違い、ヤンは自らの数奇な人生、幸運と不幸のどんでん返しの続く人生により、一生の栄枯盛衰のはかなさを教えてくれるのであった。

 「英国王の給仕人」というのは、ヤンが師と仰ぐ最高級ホテルの給仕長が、英国王に給仕したことがあると自慢していたことに由る。彼はチェコスロヴァキア人であり、ドイツ軍に反抗して捕らえられてしまう。ドイツ人の女性と結婚したヤンとは違い、筋金入りの愛国者。このタイトルは彼に敬意を表したものである。
 この映画は我々になじみの薄いチェコスロヴァキアという国のことを知るのにも役立つ。当時のイギリス首相チェンバレンが、チェコスロヴァキアを渡せばヒトラーもおとなしくなるだろうと、ドイツにチェコスロヴァキアとの併合を認めたと世界史で習った。それが実際にどういうものだったのか、チェコスロヴァキア人とズデーテン地方に住むドイツ系住民との関係がわかっておもしろかった。因みに、この映画ではドイツ人と金持ちが極めて愚かに描かれている。

 最後に、なぜ英国王か、について。

 映画を見た時は、ヒトラーの属国、占領下のチェコスロヴァキアにあって、自由の国、ヒトラーと戦う国であるがゆえの憧れから、あるいはエールを送る意味で英国かと思った。一方のヤンは英国王に給仕したことなど勿論なく、同じ王は王でも給仕したのは、ムッソリーニのイタリアに支配されたエチオピアの国王である。ドイツ人の女性と結婚する彼の将来を暗示していたのかもしれない。この映画には風刺と、その伏線が多く用意されている。
 が、とすると、英国王にも違う意味があるのかも知れない。「あんたのせいでドイツの属国となり本当に散々な目にあったが、それで漸く人生というものがわかったよ。やっぱりあんたには礼を言った方が良いのかな、まあ乾杯でもしとくか・・・・。」
 もしこれが本当だったら、チェコスロヴァキア人のユーモアの奥深さというかシニカルさに脱帽、それこそ乾杯(完敗?)である。
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遠いアフリカ ~ アフリカの貧困について

2009-02-03 00:43:42 | 海外で今
 昨年の夏、初めてアフリカ大陸を見た。スペインの最南端の町、タリファから、アフリカ大陸、そうモロッコを遠く眺めたのであった。距離にしてわずか15km。アフリカは遠いが、いつか海の向こう側に行ってみたい、と思った。
 近代的な都市になったカサブランカにイングリッド・バーグマンの『カサブランカ』の面影はないという。が、マレーネ・ディートリッヒの『モロッコ』の印象もあってモロッコはじめ北アフリカには異国情緒は勿論、どこか哀愁やロマンチックな思いを感じてしまう。

 しかし、現実のアフリカは厳しい。特にサハラ以南のアフリカの状況は目を覆うばかりである。貧困、飢餓、疫病そして内戦。国連の定める「後発開発途上国(LDP : Least Developed Countries )、即ち開発途上国の中で特に発展の遅れている国は世界で49カ国ある。内33カ国がアフリカ、それもサハラ以南にある。確かに厳しい暑さや乾季・雨季の存在など農業には不向きかもしれないが、アフリカにはダイアモンドやプラチナ等貴金属、コバルト、マンガン、バナジウム等レアメタルなどの鉱物資源が豊富にある。いずれも世界有数の埋蔵量を誇る。なのに、なぜアフリカは貧困から脱出できないのだろう。

 「欧米の植民地から独立したとはいえ未だに欧米資本の支配下にあるせいだ」、「長く植民地だったため優秀な人材が育っていなかった、教育が十分ではなかった」、「厳しい気候や自然環境のせいだ」、「独裁が悪い」、「共産主義が悪い」、「エイズのせいだ」等々、様々な理由をアフリカの貧困の理由として聞く。おそらくどれも正しいのだろう。
 が、理由はそれだけだろうか。既に多くのアフリカ諸国が独立して50年になろうとしている。それだけの時間があれば解決できた問題も多いはずだ。とすると「国づくり」の根本に何か問題があったのではないだろうか。

 実はそう思ったのはシンガポールに行ったときだった。シンガポールは、1965年の独立、ご存じのようにほぼ赤道直下に位置し、熱帯雨林気候である。多くのアフリカ諸国と条件は変わらない。それが一方は先進国の仲間入りをし、他方は多くが後発開発途上国のまま。この違いはどこから来るのだろう。
 無政府状態で海賊の横行するソマリアが特別なのではなく、ジンバブエ、コンゴ、ルワンダ、スーダンなどもさして状況は変わらない。そもそもこれらの国では、指導者が(大抵は独裁者であるが)自らのことしか考えず、国全体のこと、国づくりに何ら関心のないように見える。リー・クアンユーも自らの一族の利権を重視しているが、彼の場合、国の発展が最優先であった。シンガポールの発展があってこその、自らの繁栄であった。彼は国をないがしろにして自らの利権を求めるアフリカの独裁者とは一線を画している。

 優れた指導者の存在の有無、シンガポールと多くのアフリカ諸国の違いはそれだけだろうか。華人とアフリカ人の違い?それもあるかもしれない。もっとも、どちらが優秀だというのではなく、華人の方が長い歴史の中で商売に長けていた、慣れていた、という意味である。
 アフリカは部族間の対立が激しく、それが内戦に繋がったというが、シンガポールには民族間の対立がある。華人、マレー人、インド人と民族が違うほか宗教も違う。では、何が両者の決定的な違いなのであろう。

 それは「危機感」の有無ではないかと思う。シンガポールに天然資源はなく、更には水もない。水は対立する隣国マレーシアに依存していた。そんな小国がどう生き延びて行くか、そこからリー・クアンユーの国づくりが始まったのである。インフラの整備、外国資本の誘致、そして外交的には非同盟・武装中立でマレーシアの脅威に備えた。
 これに対し、独立後のアフリカ諸国に危機感は乏しかった。東西冷戦の中、米ソどちらかの陣営に与すれば他の侵略を受けることはないし、相応の支援も受けられた。つまり、内戦が起きようと国としては安泰だったのである。資源や農産物を売れば金も入ってくる。それを自らの懐に入れれば良い。おおよそこんな感じであろう。

 ゴルゴ13でも送ってアフリカの独裁者を暗殺すればアフリカの貧困問題は解決するだろうか。否。新たな独裁者が出てくるだけであろう。問題は変わらない。
 やはり教育により、人々の意識を変えるしかないと思う。最低限の生活を保証する一方で、無償での義務教育、留学生の受け入れ、あるいは教育者・指導者の派遣など、何年掛かるかわからないが、地道に努力するしかないであろう。
 僕は無力であるが、日本の皆が同じように考え、一歩、いや半歩でも踏み出せば、アフリカも何か変わるかもしれない。そう信じたい。
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「かんぽの宿」を政争に使うな!

2009-02-01 14:57:35 | 最近思うこと
 日本郵政は、29日、「かんぽの宿」の売却を凍結する旨発表した。簡単に折れてしまった日本郵政も日本郵政だが、私は鳩山総務相の責任というか見識を問いたい。

 まずは経緯をおさらいしよう。昨年の12月26日、日本郵政は「かんぽの宿」70施設と社宅9施設をオリックスに一括譲渡すると発表した。「かんぽの宿」は年間40億円の赤字事業である。民営化から5年以内の譲渡か廃止が法律で義務付けられていた。日本郵政は赤字事業からの早期撤退を図るべく、昨年4月より売却先の公募を行い、2度の入札を経てオリックスへの一括譲渡を決めたという。価格は108億8600万円、簿価126億円から負債を差し引いた純資産は93億円であり、それを上回る価格であった。
 加えて日本郵政は、譲渡の条件としてオリックスに640人の正社員の雇用継続と1年間の全施設の運営継続をのませたという。70施設のうち赤字の施設が59施設もあり、雇用継続が条件とあっては、オリックスといえども年間40億円の赤字縮小は難しいであろう。又、老朽化している施設も多いだろうし、黒字化のための追加投資は相当額に及ぶであろう。
 即ち、本件、日本郵政が民間企業であれば何の問題もない話である。いや、赤字事業を利益の出る形でよくぞ売り切った、といって褒められる話である。にも拘わらず、鳩山総務相が噛みついたのであった。

 次に、鳩山総務相が「どう考えてもおかしな話」、「納得の可能性ゼロ」とする論点を整理する。一つは手続き論。年末のオリックスへの譲渡発表について、所管大臣である自分は何も知らされていなかった。二つ目は売却時期と売却方法について。つまり、なぜ100年に一度ともいわれる不況の今売却するのか、なぜ地元資本に個別に売却するのではなく一括で売却するのか、という点である。三つ目はなぜオリックスなのか。相手が郵政民営化に係わった宮内会長のオリックスでは、国民は「出来レース」だと思うのではないか。最後は価格の問題。2400億円も掛けて建設した「かんぽの宿」がなぜ108億円なのか、安すぎるのではないか。

 一つ目は総務省の中の問題である。日本郵政は数日前に総務省に報告していたのだから、それを大臣に伝えなかった総務省内部の問題といえよう。
 二つ目の判断は難しい。確かに今売るより、もう少し後に売った方が高く売れるかもしれない。が、「かんぽの宿」は2012年9月までに売却しなくてはならず、それまでに不動産市況が回復する保証はない。又、その間、年40億円の赤字(不況の中でもっと拡大するかもしれないが)が続くのである。そう考えると今売ることがおかしいとは必ずしも言えない。
 一括売却か個別売却かについて。売却に要する事務負担やコストを考えると一括売却の方が楽である。事業の継続を前提としなければ、個別売却の方が高く売れるだろう。赤字の施設の多くは清算価値で評価され、建物はゼロ評価としても土地代では売れるからだ。が、この場合、正社員640人やパート従業員の雇用はどうなるだろう。ごく1部しか黒字の施設がないことを思えば、ほとんどの人が解雇されるであろう。売却価格の嵩上げを取るか、雇用の継続を取るか、の判断である。一括売却を選択した日本郵政を一概に責めることはできない。

 三つ目、逆に、なぜオリックスだといけないのであろうか。鳩山総務相の「直感」を信じろと言われてもそれは無理な話。しっかりした根拠を示してもらわないと困る。政治家の「直感」で入札手続きが否定されては、何を信じて良いのかわからなくなってしまうし、入札制度自体が歪められてしまうであろう。国民はバカではない。小泉-中川の改革路線を否定しようとする、鳩山-麻生のオリックスはずしこそが「出来レース」なのではないだろうか。
 最後に至っては論外である。まずは2400億円も掛けて儲からない施設を作ってしまった、更には赤字の運営しかできなかった、官のあり方こそ反省すべきであろう。多額の血税を無駄にしたのは郵政省・総務省に他ならないのである。

 この売却凍結により、郵政のリストラ、更に郵政民営化は大きく後退するであろう。果たして、それで良いのだろうか。郵政民営化が誤った選択だったというのであれば、それに代わる郵政事業のヴィジョンを示して欲しい。2400億円の建設費を無駄に使った、その二の舞はしないという確証が欲しい。
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