縁側でちょっと一杯

縁側でのんびりとくつろぐ贅沢な時間。
一杯遣りながらの“お題”は、    
経済、環境、旅、グルメ、そして芸術。

階級社会 ~ タイとイギリス

2010-04-27 00:48:38 | 海外で今
 タイの混乱が治まらない。22日夜には70人以上の死傷者を出した爆発事件があったし、未だにタクシン派による反政府デモ、バンコク中心部での占拠が続き、まさに一触即発の状態である。現に軍が強制排除に出るとの噂もあるようだ。

 もう記憶が薄れているかもしれないが、2006年、タイではちょうど今と逆の動きがあった。当時のタクシン政権への反対デモが起こり空港が占拠された。そして、遂にクーデターでタクシン政権は倒れたのであった。詳しくは、2006.3.16『タクシン政権の行方、更に・・・・』と2006.9.24『タイのクーデターに想う』に書いたのでご覧頂きたい。

 このときはプミポン国王がクーデターを承認し混乱は治まった。以前の政変の際と同じ、国王による調停、いわば鶴の一声である。しかし、今回はそうはいかない。王室は現政府寄り、と見られているからだ。中立な仲裁者にはなれない。現政府と現政府を支持あるいはタクシンを非難する都市の中産階級層に対し、タクシン元首相とそれを支持する農村の貧困層、この対立は根深い。調停役不在で出口が見えない。

 ところで、昨日(4月25日)、イギリスの小説家、アラン・シリトーが亡くなった。『長距離走者の孤独』で知られる作家だ。82歳。また懐かしい作家が一人この世を去った。
 新聞に彼は労働者階級の出身だと書かれていた。地位的にも金銭的にもフラットに近い日本の社会ではあまりピンと来ないが、彼は紛れもなく「労働者階級」の出身であり、そして、これまた紛れもなくイギリスは階級社会なのである。
 僕自身、階級など普段はほとんど意識しないが、タイの中産階級と下層階級の対立を考えていたとき、ふと彼の死亡記事を見たことから、階級について考えさせられた。

 イギリスの階級は大きく、上流、中流、下流=労働者の三つに分かれる。上流は貴族や地主など、地位も名誉もあり、かつお金もある人。必ずしも大金持ちとは限らない。中流は弁護士、医師、大学教授などの専門職やホワイトカラーのイメージ。成功の度合い、裕福さ等により、中流の上・中・下などに細分化される。最後の労働者階級、これはブルーカラー、つまり工場労働者、肉体労働者のイメージ。
 さて、これだけだと別にどこにでもありそうな話に聞こえるが、凄いのはここから。三つの階級間での移動は極めて少ない。いや、移動どころか交流すら少ないのである。階級が違えば、住む場所も、通う学校も、読む雑誌も、良く行くレストランも、服装も、皆違う。そして、工場労働者の子供は工場労働者に、金持ちの子供は金持ちに、ごく当たり前になって行くのである。
 例えば、日本だとこんなケースも考えられる。社長と社長の車の運転手、ともに子供がいる。社長の子供は出来が悪く3流の大学に、運転手の子供は大変優秀で東大に行ったとしよう。とすると、両者の子供の代で立場が逆転することも十分考えられる。子供は親の職業に関わらず社長になるチャンスがあるが、逆に社長の子供だからといって必ず社長になれるわけではない。が、イギリスでは運転手の子供はやっぱり運転手、社長など到底考えられないのである。
 ただ、階級間で強い対立があるわけではない。それなりに居心地の良い生活ができれば他人など関係ないのだろう。ジョン・レノンは“Working Class Hero”という曲でイギリス社会を痛烈に皮肉ったが、イギリス人の多くは“Let It Be”(あるがままに)の境地のようだ。

 翻ってタイの話。愛される王室があるのはイギリスと同じだが、イギリスと違い、階級間の対立が激しい。もっともイギリス人のように大人になれと言っても今はまだ無理であろう。やはり生活の安定がないと民心は安定しない。
 というとタクシン寄りに聞こえないでもないが、タクシン元首相には、まず一族の資産760億バーツ(約2200億円)を貧しい人のために役立てては、と言いたい。タイそしてタイ国民のため、何をすべきかを考えて欲しい。争いでないことだけは確かだ。
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さよなら厚生年金会館、そして将来への不安

2010-04-10 19:03:27 | 最近思うこと
 3月31日、東京厚生年金会館が閉館になった。1961年4月の開館から49年、近年は老朽化が進み、又、新しいホールが随分増えたことから公演の機会が減っていたようだ。経営も赤字だった。
 最後の公演は3月29日の松山千春、10年振り、通算75回目のステージだという。因みに、東京厚生年金での公演回数1位はさだまさしで174回(彼は3月28日に最後のステージを行った)、2位は高橋真梨子で117回、3位がこの松山千春とのこと。
 僕も、主に学生時代、このホールには大変お世話になった。読売日響の会員券を買っていた僕は、毎月演奏を聴きに来ていたのである。貧乏学生だった僕にしてみると、日常から離れられる、月1回のハレの日だった。新宿の厚生年金が僕の文化、芸術の象徴だったのである。そうそう、初めて年末に第九を聴いたのもここだった。
 今回の東京厚生年金会館閉館のニュース、時代の流れといえばそれまでだが、やはり淋しく、感慨深いものがある。

 ところで、これを聞いて、「えっ、私の地元の厚生年金会館も閉館したわ」、「僕の近所の厚生年金は経営が変わったぞ」という方が多くいらっしゃると思う。
 そう、厚生年金会館、年金休暇センター、サンピア等の年金福祉施設は、平成17年10月に「独立行政法人 年金・健康保険福祉施設整理機構(RFO)」に移管されており、そしてこれらの施設は今年9月末までの売却が予定されているのである。全国の厚生年金ホールの売却は、この大方針に沿った動きなのであった。

 この「年金・健康保険福祉施設整理機構」、なかなか優秀である。平成21年3月末の時点、つまり発足後わずか3年半で、既に237施設、278物件処分している。その売却額は 1,330億円、国の出資時の価格を簿価とすれば、その簿価は 1,090億円であり、240億円の売却益を計上している。新たな国民負担を発生させることなく売却が進められている。関係者各位に敬意を表したい。ただ、今月末に平成21年度実績がHPで公開されると思うが、リーマン・ショック後の状況が若干気になる。

 しかし、ここで忘れてならないのは、年金福祉施設の建設を推進し、かつ天下りにより関連団体に多くのOBを送り込んでいた厚生労働省の責任である。
 年金福祉施設の建設や不動産取得のために充てられた金額は1兆4000億円。とすると、まだ1割弱の金額しか回収できていない。国の出資時の価格の算出方法がわからないため両者の単純な比較はできないが、事実は事実である。勿論、これはRFOの責任ではない。おそらく、年金福祉施設の老朽化・償却等による減価と、採算・経済性等を無視して施設を建設した結果なのであろう。
 問題は建設コストだけではない。運営コストも問題だ。RFO設立当時、年金福祉施設の97%が赤字と言われていた。例えば、全国に21か所あった厚生年金会館は全体で25億円の赤字だった。
 そもそも、厚生年金の貴重な積立金の浪費、無駄使いがRFO設立の発端であった。厚生省の役人が自らの職場を確保する、あるいはOBの関与する企業・団体に仕事を回すために、年金の積立金で要らない施設まで作っている。おまけに杜撰な経営によってそうした施設のほとんどは赤字で、厚生年金からの埋め合わせが必要になっている。これが当時の問題意識だった。

 似たような話を聞いた覚えがないだろうか。そう“かんぽの宿”である。かんぽの宿は、事業継続と雇用の維持を条件としたことから売却交渉が難航し、なんとかまとまったオリックスへの一括譲渡も政治の横やりで流れてしまった。(因みに、年金福祉施設の売却には事業継続等の条件はない。実際、東京厚生年金はヨドバシカメラに売却され、カメラ博物館等になる予定である。)

 昨年来かんぽの宿の赤字は更に拡大しているであろうし、今回の民主党政権の郵政見直しで郵政事業の効率化は後退している。これは国民負担増加だけの問題ではない。民業を圧迫する、非効率な郵政が肥大化することを、民主党は日本経済全体にとって良いことだと本当に考えているのだろうか。
 子ども手当などのバラマキを行い、人気取りや選挙対策しか考えない今の政治の現状を見るに、日本という国自体が今の大阪市、更には夕張市になる日が遠くない気がして恐ろしい。
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麻薬、刑務所、『ミッドナイト・エクスプレス』

2010-04-06 23:52:23 | 芸術をひとかけら
 今日、中国で日本人への死刑が執行されたそうだ。赤野光信さんという65歳の方である。ご冥福をお祈りしたい。

 赤野さんの罪状は覚せい剤の密輸。2006年9月、中国・大連空港から日本へ覚せい剤2.5kgを運び込もうとしたところ身柄を拘束され、2009年4月に死刑判決が確定していたとのこと。
 亡くなった赤野さんやご遺族の方には大変申し訳ないが、残念ながら仕方のない結果といえよう。中国の刑法では、覚せい剤50g以上の密輸は懲役15年か無期懲役または死刑となっているそうだ。2.5kgといえば、その50倍。法律に照らし死刑と言われても、あまり文句を言える筋合いではない気がする。日本人の感覚からすると「高々覚せい剤の密輸で・・・」と思わないでもないが、それが中国の法律なのである。
 ましてや、相手は人権よりも体制の維持を優先する中国である。世界で最も死刑を執行している中国である。如何ともし難い。

 死刑を巡る問題については以前書いたので(2007/6/30、『 “ドラえもん”が提起する死刑の問題 』、http://blog.goo.ne.jp/engawadetyotto/e/460cec6ce926ded12f5f5896b0b67ede)、ここでは繰り返さない。以下、この件で思い出した映画のことを少し話したい。

 映画の名前は『ミッドナイト・エクスプレス』。イギリスのアラン・パーカー監督の代表作、1978年の作品である。
 トルコのイスタンブール空港から2kgのハシン(大麻)を密輸しようとして逮捕されたアメリカ人が、当時(1970年頃)の国際情勢に翻弄され、不当に長い刑を宣告される。さらに、収容されたのがとんでもない刑務所で、主人公は言いようのない恐怖を感じ、孤独感にさいなまれ、脱力感を味わう。この刑務所に入ったら最後、廃人にされるか、ミッドナイト・エクスプレスに乗る、つまりは脱獄するか、選択肢は二つに一つ。

 僕がこの映画を見たのはもう25年前、あまり詳しい内容は覚えていない。が、自分ならとても正気でいられない、生きてはいけない、と大きな衝撃を受けたことを覚えている。
 主人公のアメリカ人青年は、言葉の通じない異国、それも異教の地の刑務所で、虫けら同然の扱いを受ける。殴る・蹴るは当たり前、独房や拷問も日常の話、あげくの果てに看守(男性)からレイプされる。コカインのようなハードドラッグならいざ知らず、高々ハシン2kgで、なぜこんな仕打ちを受けないといけないのだろうか。

 この映画は見て楽しい映画ではないので強くお勧めはしないが、今の生活に満足していない方、日々不満を感じている方には是非ご覧頂きたい。たとえ貴方がどんな生活をしていようと、この主人公に比べれば、自らを幸せと思えるに違いないから。何があろうと最後まで希望を持って生きて行こう、と前向きな気持ちになれるから。

 ところで、この映画を見た数年後、僕はトルコに行った。そして、イスタンブールから帰国しようと飛行機に乗ろうとした時、係員の制止を受けた。ちょっと隅に寄れと言う。僕はさほど大きくないバックパックを背負っていた。係員はそのバックパックを指さし、鞄はずっと自分の手元にあったか、誰かから何か預からなかったか、と尋ねた。
 麻薬、刑務所、狂気の世界・・・・。『ミッドナイト・エクスプレス』が頭の中でフラッシュバックし、一瞬にして凍りつく僕。あぁ~、無事日本に帰れるだろうか。
 係員にバックパックを開けるように言われ、素直に従う僕。係員はざっと中を確認し、OKと言った。やれやれ、無罪放免だ(って、もともと無罪だけど)。

 前言撤回。海外でいわれのない恐怖を感じたくない方は、決して『ミッドナイト・エクスプレス』を見ないように。
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