縁側でちょっと一杯

縁側でのんびりとくつろぐ贅沢な時間。
一杯遣りながらの“お題”は、    
経済、環境、旅、グルメ、そして芸術。

東京の憂鬱

2007-12-18 20:06:52 | 最近思うこと
 先日、仕事で大阪に行った。言葉や食べ物など関東と関西の違いは多く、たまに大阪に行くとなかなか新鮮である。最近、言葉の方はテレビでお馴染みだが、食べ物は実際に行って食べて見ないとわからないし、ほかにも習慣というか文化の違いがあっておもしろい。

 エスカレーターに乗るとき、急ぐ人のために右側を空けるか、左側を空けるか、はたまた全く気にしないか。東京は右側を空け、大阪は左側を空ける、そして他の多くの地方ではあまり気にしない、というのが、その回答ではなかろうか。
 事情というか経緯をよく知らない東京の人は、大阪の人はマナーを知らない、なぜ東京に合わせてエスカレーターの右側を空けないのか、と思っているかもしれないが、これはまったく逆。欧米ではエスカレーターの右側に立ち、急ぐ人のために左側を空ける、つまり大阪スタイルの方が主流である。東京の方が亜流なのである。

 そもそも大阪では、1970年の大阪万博の時に会場内の動く歩道や駅のエスカレーターで、欧米に倣い、右側に立って急ぐ人のために左側を空けるよう促したのが、その始まりと言われる。が、日本に動く歩道や長いエスカレーターが珍しかったせいか、その後なかなか普及しなかったようだ。
 僕が初めてロンドンに行った1985年、人が皆エスカレーターの右側に立ち、上までスーッと空いた左側を人が足早に通り過ぎていくのを見て、これは画期的なシステムだ、なぜ日本にはないのだろう、と思ったのを覚えている。

 ところで、なぜ東京は左側に立って右側を空けるようになったのであろう。
 車の追越車線と同じだ、という説が有力のようである。ご存知のように、車が左側通行のわが国では、追い越す車は右側を通ることになっている。が、同じく左側通行のイギリスでは、立っている人は右で、急ぐ人は左側を通って追い越している。どうも車の追越車線説だけでは説明できない。
 人間の本能に起因するとの説もある。即ち、心臓が左側にあるため人は無意識に左側を守るようにできていて、よってエスカレーターでも手すりを左側にして立つ、との説である。確かに、地下街を見ると大抵左側通行になっており、人間は左に壁のある方が心地よいのかもしれない。が、この論理で行くと、欧米には心臓が右にある人が多いことになってしまい、やはり辻褄が合わない。ウーン、謎は深まるばかり。

 もう一つ、では、いつから東京で人はエスカレーターの左側に立って右側を空けるようになったのか。
 記憶が定かではないが、90年代の前半、バブルの最盛期から崩壊に掛けてではなかったか。海外旅行に行く人が増えたのが背景にあったのかもしれない。
 あと、全体に人に心の余裕、ゆとりのなくなったことも理由ではないかと思う。アナログからデジタルへと変わり、物事の変化のスピードは一段と早くなった。地価も株価も下げ続け景気は悪化の一途。早く何かしないといけない、急いで対応しないといけない、そんな焦りの思いからエスカレーターすら急ぐ人が増えたのではないだろうか。

 20年以上前になるが、初めて大阪に行った時、人が電車の中を列をなして移動するのを見て大変驚いた。この“車内乗客大移動”、理由はよくわかる。自分の降りる駅の改札や階段に近い車両に移りたいというのである。が、見栄の文化というか人目を気にする東京では、同じ思いはあるものの、以前は“車内乗客大移動”はほとんど見られなかった。東京で見掛けるようになったのは、ほんの数年前からだと思う。
 エスカレーターを歩く人に電車の車両から車両へと歩く人、大阪の“いらち”の文化とは違い、東京の場合は人々の余裕のなさ、ゆとりのなさに思えてしまう。本当に寂しいことだ。

コメント
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