アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

松風の門

2006-04-06 23:35:57 | 
『松風の門 』 山本周五郎   ☆☆☆☆

 最近時代小説づいていて、藤沢周平に続き今度は山本周五郎である。山本周五郎は、前読んだ『その木戸を通って』が素晴らしかったので買ってみた。

 本書には13篇の短篇が収録されているが、なかなかバラエティに富んだ作品集だった。いろんなタイプの短篇がある。武士の生き方を描いた短篇もあるし、庶民の思いを描いた短篇もある。しみじみしたものがあるかと思えば、『評釈堪忍記』みたいにユーモラスな話もある。『砦山の十七日』なんてのは砦に閉じ込められた十七人の仲間が、極限状況の中だんだん荒れてきてお互いを信用できなくなるという、まるでタランティーノの『レザボア・ドッグ』のようなスリリングな話だった。意外とエンターテイナーなんだな、という印象。

 藤沢周平がしみじみした情感や人情をダイレクトに描くのに対して、この人は人情も描くけれども、実際はもっと哲学的というか、メタフィジクスを追求しているようなところがあってそこが面白かった。武士の生き方を描く『松前の門』もそうだが、「音楽とはもっと美しいものだ、優劣を競うことなどやめなさい」と不思議な老人が少女に忠告する『鼓くらべ』もそうだ。これはシンプルな筋立ての作品だがなかなか印象深い。

 『ぼろと釵』では、ある男がおつうという美しい娘との悲恋を語り、その後で別の男の口からまったく異なるおつうの実体が明かされる。しかし男は、落ちぶれたおつうの中に思い出の中の面影を見て、娘を連れて行く。人間心理の中の現実と幻想の関係が鮮やかに描写される。
 『夜の蝶』はバーのホステスの話ではなく、屋台店を舞台にした町人達のドラマである。ここでは逆に、店の金を持ち逃げしたと言われる悪党が、実は店を救ったという真実が判明する。ここにも相反する幻想と現実の相克がある。

 こういう作品の肌触りには、個人的には黒澤明に通じるものを感じる。『羅生門』を撮った黒澤明監督は、常に真実というものの不思議さと怖さに注目していたが、山本周五郎にも同じような傾向があるのではないか。

 この系統の見事な一頂点が『醜聞』である。倫理感が強く、折り目正しい主人公にもとへ過去の女房が現れる。このふしだらな女は下男と駆け落ちし、今は乞食同然になっているが、再婚している主人公を脅迫して金をせびる。というのも、醜聞が恐い侍の家はこの女を死んだものとして葬式を出していたからだ。しかし脅迫より、主人公を動揺させるのは女の悪罵である。女は折り目正しい彼を人間の血が通っていない冷血と非難する。しかし、更に異様なのは女の生涯である。下男と逃げたあと人間らしい愛を謳歌できたと女は言うが、実際は乞食に落ちぶれて体を売っている。しかも、連れ添っていた男は別の女と逃げ出し、それを追いかけようとして女は倒れ、そのまま死んでしまう。この短篇の中で起きるあらゆる出来事と口にされる言葉は、異様なまでに多義的である。額面どおりには受け取れない。真実はどこにあるのか、事実と、人間心理の中の真実とははたしてどういう関係にあるのか。この淡々とした短篇には、まるで読者に匕首を突きつけてくるような凄みがある。

 それから『薊』は過去と現在が同時進行し、時系列がわざとシャッフルされている実験的な手法の作品で、映画的な手法の他の作品とは印象が異なる。実験的といっても完成度は高い。内容もミステリアスかつエロティックで、この幻想的な手法とマッチしている。夫婦でありながら妻の真実の姿が見えないという、得意の「真実」テーマがここにも顔を出す。謎を残しつつ終わる短篇で、かなり異様な読後感を与える。

 個人的には、やはり『その木戸を通って』が今のところ一番好きだが、本書も非常に読み応えがあった。


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1 コメント

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とろろ (まり)
2006-04-08 22:55:22
芸能人のヒミツ教えちゃいます♪

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