アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

聖母の贈り物

2007-06-07 18:25:49 | 
『聖母の贈り物』 ウィリアム・トレヴァー   ☆☆☆☆

 アイルランドの作家、ウィリアム・トレヴァーの短篇集。有名な人らしいがほとんど知らなかった。村上春樹の『バースデイ・ストーリーズ』の中に一篇収録されているらしいので読んでいるはずだが、全然覚えていない。

 綿密な描写と悠揚迫らぬ柔らかな筆致で描かれる物語の数々は、人間ドラマと品格と微妙な神秘性を湛えて実に芳醇。死角のない高品質の文学作品、って感じである。といっても難解とか晦渋さは微塵もない。とても読みやすい。これは翻訳者の作為だろうが、「ウレシーっす」「ピート・マレーってクソ」とかそういう会話文もある(これは不良少年の会話)。何より、一通り読んでぱっと全体像が腑に落ちない、「なんだったんだこの話は」という底の知れない感じが残るストーリーがすごい。多義性のカタマリ。

 タイトルからして、何となくヒューマニスティックな話を書く人かと思ってたら、最初の『トリッジ』『こわれた家庭』でもうイメージが壊れる。かなり底意地の悪い、残酷な話だ。しかも、なんだか不思議なところで終わる。でもちゃんと終わっている。次の『イエスタデイの恋人たち』は変な邦題だが不倫の恋人の話。やっぱりどこか底意地が悪く、しかし結末はリリカルな余韻を残す。『ミス・エルヴィラ・トレムレット、享年十八歳』は想像上の亡霊を呼び出しているうちに正気を失った少年の話。『アイルランド通り』はアイルランドの名家にやってきたイギリス人の家庭教師と、使用人達の話。どれもこれも一筋縄ではいかない、どこか意地が悪いが、ブラックなだけじゃなくて優しさもあるという、不思議な世界が展開する。

 『マティルダのイングランド』は三部に別れていて中篇といってもいいボリュームの物語だが、長編的な悠然とした展開と匂い立つような文学性を発散しながら、最後には度肝を抜く異様な展開となる。うーん、一体この作家はどういう風に物語を組み立てているのだろう。
 終盤に入り、『丘を耕す独り身の男たち』『聖母の贈り物』の短い二篇は寓話的で、この作家にしては分かりやすい。特に表題作の『聖母の贈り物』は分かりやすく、ヒューマニスティックな感動を与える一般受けしそうな短篇である。しかし神秘性をはらむテーマは決して甘くない。聖母のお告げを受けてアイルランド中を旅した男が荒涼とした島に住み着き、なんとか生き延びる。59歳になり、ようやくこの地で死んでいけると思えるようになった頃、最後の聖母をお告げを受ける。お前はこの地を出て行かねばならない、と。何という理不尽なお告げだろうか。男は絶望する。この歳で再び放浪の旅に出なければならないのか。しかし彼はやはりお告げに従う。そして……。
 最後の『雨上がり』はこの短篇集のラストにふさわしい、すっきりした透明な美しさのある話。傷心の女性が旅先で『受胎告知』の絵を見て、天使について思いをめぐらす。哀しみが描かれている小説であるにもかかわらず、世界を讃える明るいまなざしに満ちている。

 ところでこの本は国書刊行会の「短篇小説の快楽」というシリーズの第一弾らしいが、今後予定されているラインナップを見ると超豪華メンバーで、どれもこれも面白そうだ。ビオイ=カサーレス、エムシュウィラー、レーモン・クノー、そしてカルヴィーノ。これは楽しみ。
 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿