『死者の百科事典』 ダニロ・キシュ ☆☆☆★
ユーゴスラビアの作家の短篇集。昔中途半端に読んで放り出していたのをあらためて通読してみた。全体の印象はなんとなくボルヘスを思わせる。形而上学的、幻想的、迷宮的で、精緻な短篇の書き手だ。文体や手法にも凝る人のようで、それぞれの短篇は微妙に異なる文体と叙述形式で書かれている。
冒頭の『魔術師シモン』はイエスの死から17年後の話で、シモンという魔術師がペテロと対立し、イエスの神性に異議を唱えて奇跡を行うという話。面白いのは空に上るエピソードを語ったあと、異説として地面に埋められるエピソードを紹介している。こういう凝った仕掛けがこの作者らしい。作者は『ポスト・スクリプトゥム』(つまりあとがき)の中でこの作品を「グノーシス派の主題による変奏」と書いている。
『死者の百科事典』は、無名の死者すべての人生が記載されている百科事典で父親の記録を読む女の話。この百科事典のアイデアはボルヘス的だが、形而上学的な記述が父親の人生の回想とミックスされていて、そういう家族小説的テイストはこの作家特有のものだ。家中に花の絵を描き始める父親などのエピソードは結構面白い。
『未知を映す鏡』は、森の中で殺される父親達の姿を鏡で見る少女の話。なかなか精緻な幻想小説になっている。ボルヘスと比べると、キシュの方が小説的なディテールを書き込む人のようだ。しかしこの人の文体は簡潔さとまわりくどさが入り混じったかなり技巧的なもので、あんまりスラスラとは読めない。ほのめかしや暗示、省略を多用してあり、注意深く読んでいかないと意味が分からなくなる。
『祖国のために死ぬことは名誉』も良かった。ある青年が処刑されるというだけの話だが、これも巧緻な短篇だ。母親が面会にやってきて、彼を助けるために上に掛け合うという。白い服を着ていたら成功、黒い服を着ていたら失敗。当日、青年は白い服を着てバルコニーに立つ母を見る。彼は最後の最後まで処刑が中断されるものと信じる。青年が処刑されたあと、人々は彼の勇気と落ち着きをたたえる。さて、青年は本当に勇敢だったのか、あるいはすべては誇り高い母の演出だったのか。人々はそれぞれの立場によって異なる説を唱える。最後の文章はこうだ。「歴史は勝者が書く。伝承は民衆が紡ぎ出す。文学者たちは空想する。確かなものは、死だけである」
全部で9篇収録されているが、私が好きなのは上の4篇。この人の書く短篇は寓話的、物語的なものもあるが、架空の学術論文的なものもあり、そういうところもボルヘス的なのだが、ボルヘスより遊戯性、幻想性は薄い。『王と愚者の書』なんてのはヨーロッパに全体主義をもたらした『謀略』という架空の書物の話だが、延々と詳細に書物とその遍歴を説明していく。まあ面白いといえば面白いが、結局だからどうしたという気がしないでもない。おそらく、作者はこういう学術的な詳細説明そのものを楽しんでるのである。だから、この本の読者には多少そういう気質が要求されると思う。
ユーゴスラビアの作家の短篇集。昔中途半端に読んで放り出していたのをあらためて通読してみた。全体の印象はなんとなくボルヘスを思わせる。形而上学的、幻想的、迷宮的で、精緻な短篇の書き手だ。文体や手法にも凝る人のようで、それぞれの短篇は微妙に異なる文体と叙述形式で書かれている。
冒頭の『魔術師シモン』はイエスの死から17年後の話で、シモンという魔術師がペテロと対立し、イエスの神性に異議を唱えて奇跡を行うという話。面白いのは空に上るエピソードを語ったあと、異説として地面に埋められるエピソードを紹介している。こういう凝った仕掛けがこの作者らしい。作者は『ポスト・スクリプトゥム』(つまりあとがき)の中でこの作品を「グノーシス派の主題による変奏」と書いている。
『死者の百科事典』は、無名の死者すべての人生が記載されている百科事典で父親の記録を読む女の話。この百科事典のアイデアはボルヘス的だが、形而上学的な記述が父親の人生の回想とミックスされていて、そういう家族小説的テイストはこの作家特有のものだ。家中に花の絵を描き始める父親などのエピソードは結構面白い。
『未知を映す鏡』は、森の中で殺される父親達の姿を鏡で見る少女の話。なかなか精緻な幻想小説になっている。ボルヘスと比べると、キシュの方が小説的なディテールを書き込む人のようだ。しかしこの人の文体は簡潔さとまわりくどさが入り混じったかなり技巧的なもので、あんまりスラスラとは読めない。ほのめかしや暗示、省略を多用してあり、注意深く読んでいかないと意味が分からなくなる。
『祖国のために死ぬことは名誉』も良かった。ある青年が処刑されるというだけの話だが、これも巧緻な短篇だ。母親が面会にやってきて、彼を助けるために上に掛け合うという。白い服を着ていたら成功、黒い服を着ていたら失敗。当日、青年は白い服を着てバルコニーに立つ母を見る。彼は最後の最後まで処刑が中断されるものと信じる。青年が処刑されたあと、人々は彼の勇気と落ち着きをたたえる。さて、青年は本当に勇敢だったのか、あるいはすべては誇り高い母の演出だったのか。人々はそれぞれの立場によって異なる説を唱える。最後の文章はこうだ。「歴史は勝者が書く。伝承は民衆が紡ぎ出す。文学者たちは空想する。確かなものは、死だけである」
全部で9篇収録されているが、私が好きなのは上の4篇。この人の書く短篇は寓話的、物語的なものもあるが、架空の学術論文的なものもあり、そういうところもボルヘス的なのだが、ボルヘスより遊戯性、幻想性は薄い。『王と愚者の書』なんてのはヨーロッパに全体主義をもたらした『謀略』という架空の書物の話だが、延々と詳細に書物とその遍歴を説明していく。まあ面白いといえば面白いが、結局だからどうしたという気がしないでもない。おそらく、作者はこういう学術的な詳細説明そのものを楽しんでるのである。だから、この本の読者には多少そういう気質が要求されると思う。
この本を読んだのはもう何年も前ですが、ぼくがいま覚えているのは、ここで紹介されている作品5つのうち4つです。
確かにボルヘス的なものを感じました。特に「王と愚者の書」には、書物やら何やらの物凄い列挙があったと記憶していますが、ボルヘスにもそういうのありましたよね、たしか。まあ他の作家もやっていると思いますが(よく知りません)。
このコメントを探す過程で『シュルツ全小説』のレビューを見つけました。刊行されたとき慌てて買った本で、持っているだけで、まだ読んでいなかったのですが、このレビューを読んでおもしろそうだと思い、読んでみる気になりました。ありがとうございます。ちなみに、ブラザーズ・クエイがアニメ化してますね、シュルツの小説は。
キシュはまたぱらぱらめくって見ましたが、手ごわそうな印象は相変わらずでした。「王と愚者の書」には確かに書物の列挙がありますね。この人、目録が好きみたいですね。手稿とか翻訳とか。ボルヘスもそうですが、とにかくブッキッシュな作家だと思いました。
シュルツはもうとんでもなく素晴らしいです。ぜひ読んでみて下さい。アニメ化は知りませんでした。見てみたいですが、きっと妙なアニメなんでしょうね。
さて、シュルツの本ですが、ちらっと見てみた感じ、少し難しそうな、というか、読みにくそうな印象を受けました。工藤幸雄の訳は、言葉使いは上手なのですが、『パン・タデウシュ』でもそうだったように、ちょっと懲りすぎていて、どうかな、と思うときがあります(『ハザール事典』は最高でしたが)。読むとしたら腰を据えて読まないといけないかもしれませんね。比喩に浸りつつ。
ぼくはアニメーションが好きなので監督のブラザーズ・クエイのことも知っていたのですが、この監督は一部でカルト的な人気のある人です。物へのフェティッシュなこだわりを持った映像を撮るようです(実は観たことがありません)。基本は人形アニメのはずです。写真を見る限り、かなり不気味なアニメーションですね。
アメリカでもレンタルできるのではないかと思いますよ。「ストリート・オブ・クロコダイル」という題名です(邦訳は「大鰐通り」)。
シュルツの翻訳文は確かに凝りまくってますね。なぜか私は意外と読みやすかったですが。