アブソリュート・エゴ・レビュー

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カーテン―7部構成の小説論

2006-04-19 19:27:53 | 
『カーテン―7部構成の小説論』 ミラン・クンデラ   ☆☆☆☆☆

 ミラン・クンデラは大好きな作家で、翻訳されているものはすべて読んでいる。本書は小説でなく評論集だが、Amazonで発見してあわてて入手、むさぼるように読了した。

 クンデラの評論というと他に『小説の精神』『裏切られた遺言』があるが、もともとこの人の小説は「小説的思考」のせめぎあう場であり、ストーリーの中でエッセーや考察がどんどん展開されるので、そういう意味では評論でも小説とほとんど同じ愉しみを味わえる。普通に物語作家のように、小説と評論(エッセー)が明確に分かれていないのだ。特に『裏切られた遺言』はカフカの遺言を全体を貫くモチーフとしていて、読み通すと長編小説を読んだ時と同種の感動を味わえるという、とても小説的な傑作評論集であった。

 本書でもそのスタイルは引き継がれている。音楽のように反復されるいくつかのモチーフ、お得意の7部構成、そして軽やかな思考がポエジーをまとうクンデラ・マジック。核となるモチーフは、『小説の精神』『裏切られた遺言』の流れに沿っていて、おなじみのものも多い。小説の反抒情性、キッチュ、大コンテクストと小コンテクスト、相対性のカーニバル、などなどである。全体を束ねるメインテーマとしては、タイトルにもあるように「カーテン」という観念が導入されている。第六章「引き裂かれたカーテン」でクンデラは書く。

 …。とはいえ、偉大であれ群小であれ、彼は真の小説家だったのであり、予備解釈というカーテンのうえに刺繍された真実を転写したのではなかった。彼はそのカーテンを引き裂くというセルバンテス的な勇気を持っていたのだ。

 つまりカーテンというのは世界の「予備解釈」であり、世間一般に(欺瞞的に)真実とされていることであり、人間の実存を私達の目から隠してキッチュの中に埋没させてしまうものである。真の小説家とはそのカーテンを引き裂く者である、というわけだ。クンデラにとって、かつて言われなかったことを言おうとしていない小説(芸術)は真の小説(芸術)ではない。反復や単なる再生産は、いかに巧緻に出来ていても芸術ではないのだ。非常に厳しい。

 本書の中でクンデラは色んな作家の作品に言及しているが、セルバンテスの『ドン・キホーテ』、カフカの『城』、トルストイの『アンナ・カレーニナ』、フローベールの『ボヴァリー夫人』など、彼のエッセーの常連達に加え、ガルシア・マルケスやフエンテスのラテン・アメリカ作家陣や日本の大江健三郎などにも言及している。マルケスの『百年の孤独』については「私が知るもっとも偉大な詩作品の一つ」と呼び、さらに(『百年の孤独』には)場面がないのだ!と驚きの声を上げている。

 クンデラはドストエフスキーよりトルストイの方が好きらしい。名作『存在の耐えられない軽さ』の中でも『アンナ・カレーニナ』は重要な役割を担っている(テレザはこの本を持ってトマーシュのところへやってくるし、二人が飼う犬はカレーニンと名づけられる)し、過去のエッセーでも常に取り上げ、賞賛しているが、本書でもまた最大級の賛辞を送っている。アンナが自殺を決意するシーンの素晴らしさを詳細に分析している部分はとても読み応えがある。本書を読むと必ず『アンナ・カレーニナ』を読みたくなるだろう。

 クンデラのエッセーは鋭い考察に満ちているが、ユーモアや皮肉も忘れられていない。時々声を上げて笑ってしまう部分がある。『裏切られた遺言』でもそうだったが、小説を教条主義的に「解釈」してしまおうとする大学の教授連中に対しては特に手厳しい。大コンテクストと小コンテクストの章で、クンデラは「では、外国文学の教授たちはどうなのか? 世界文学というコンテクストのなかで作品を研究することが、彼らのごく自然な使命なのではないか? そんな見込みは一切ない。彼らは専門家としての能力を示すため、自分が教える諸文学の国民的な小さなコンテクストにこれみよがしに同化し、小さなコンテクストに固有の意見、趣味、偏見を採用するのだ。望みはまったくない。芸術作品がその出生地のなかにもっとも深く引きずり込まれるのは、まさに外国の大学においてなのだ」と書く。

 この大コンテクスト(=世界文学)という考え方はクンデラを読むとごく当たり前のことに思えるが、確かにアカデミズムの世界では地域でくくってしまう(スラブ文学、東欧文学、ドイツ文学、など)のが普通かも知れない。こういう常套の中に潜む欺瞞を鋭く暴きつつ、柔軟に展開していくクンデラの思考は実にエレガントで魅力的だ。ちなみにこの「大コンテクストと小コンテクスト」のモチーフは、『裏切られた遺言』の中でカフカと絡めて更に見事に展開されている。

 また、例によってカフカの素晴らしさにも存分に触れられている。私はクンデラがカフカについて語るのを読むと、ほとんど恍惚としてしまうくらいの快感を覚えるのだが、本書でも例外ではない。また、本書では未完の『城』の想定されていた結末が紹介されていて、これは初耳だった。

 とにかくいつもの通り、面白くて刺激的な評論であることは間違いない。小説好きは必読である。小説もはやく書いて欲しい。


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