アブソリュート・エゴ・レビュー

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極楽特急

2015-02-21 22:29:00 | 映画
『極楽特急』 エルンスト・ルビッチ監督   ☆☆☆☆

 日本版DVDで『極楽特急』を再見。私はルビッチ映画では今のところ『街角 桃色の店』が一番好きで、次点が『生きるべきか死ぬべきか』だけれども、この二つより初期の『極楽特急』(1932年)も『生きるべきか死ぬべきか』と同じくらい好きで、良い出来だと思う。プロットはシンプルで小粒感があるが、ルビッチならではのエレガンスと瀟洒とウィットがたっぷりで、極上の絹のような映画の愉悦が味わえる。当然モノクロ映画。年代を考えれば、DVDの画質は充分きれいだ。

 泥棒カップルのお話である。物語の始まりはヴェニスの夜。貴族的な青年紳士と美しく着飾った若い女が、いましもロマンティックな晩餐を始めようとしているところ。女はこれでもう噂が広まり自分の破滅は時間の問題だと嘆き、青年は明日を忘れて今に生きようとくどく。ところが実はこの二人、上流階級どころか泥棒で、お互いに相手を騙そうとしているのだった。それを知った二人の泥棒ことガストンとリリーはお互いに惚れこんでしまい、ともに生きることを誓う。

 約1年後、富豪のコレ夫人のバッグ紛失が社交界で話題になる。夫人はバッグを見つけてくれた人に大金を払うというので、そのバッグを盗んだ男ガストンは金をもらいにバッグを持参し、ついでに口八丁でコレ夫人を丸め込み、彼女の秘書におさまってしまう。その如才なさで有能な秘書として采配を振るうガストンはコレ夫人のお気に入りとなり、二人の仲は急速に進展。一方、やはりタイピストとしてコレ夫人の屋敷にもぐりこんだリリーはこのなりゆきが面白くない。そこにコレ夫人の二人の求婚者もまじえ、人間関係がややこしくなったところでガストンの正体がバレそうになる。果たしてこの恋の顛末は?

 コメディ風味のロマンティックなお話だけれども、ルビッチの映画をコメディと言ってしまうのはどうも違和感がある。『街角 桃色の店』のレビューでも書いたが、情感があまりにも豊かなのである。といってももちろん、いわゆる「ドラマ」ほどシリアスでもリアルでもない。この映画も泥棒カップルと上流階級の婦人の三角関係という無茶な設定だし、もちろんあちこちにギャグがあり、笑わせてくれる。しかしルビッチにおいて「笑わせる」というのは、観客を夢見心地にさせるマジックのほんのひとつに過ぎない気がする。この映画でも洒脱なセリフの連発だが、それは必ずしも「笑える」ことを意味しない。しかしガストンが口八丁でコレ夫人をケムに巻く時、あるいはリリーと喧嘩する時、その洒落たやりとりは観客を笑わせずとも、酔わせる。愉しませ、夢見心地にする。

 それからまたセリフに限らず数々のウィットに富んだ演出。たとえば有名な、画面に映る時計の動きだけで物語の進展を暗示する演出や、コレ夫人とガストンの部屋の鍵がかかる音の順番だけで二人の気持ちを表現してしまう演出などでも、必ずしも観客を「笑わせる」わけではないが、そのウィットで愉しませるのがルビッチ流なのである。いわばルビッチの映画は機智とエレガンスの集合体であり、洒落た会話、洒落た演出、洒落た物語で観客を酔わせようとする。その中の一部に、笑いもある。これは私たちが通常コメディと呼ぶものとはいささか異なっていないだろうか。しかしこれがまさにルビッチの映画であって、ルビッチ・タッチの真髄はここにある。

 だからルビッチ作品は、大笑いしたいだけの観客には向かない。上質で繊細な工芸品に似て、それは最終的には美しさで観客を魅了するフィルムなのである。この『極楽特急』も例外ではない。冒頭の夢見るようなヴェニスの夜からパリの豪邸まで、まさにオペラ的といいたくなるほど非日常をきわめた舞台設定、そしてその中を口八丁で泳ぎ回るガストンとリリーの恋と冒険の物語。ほとんど『ルパン三世』と同じくらい荒唐無稽な、人工的な世界だ。

 この大人の御伽噺において特筆すべきは、やはりガストンを演じるハーバート・マーシャルのエレガンスだろう。冒頭、ガストンに宝石を盗まれた被害者が「なんとも魅力的な物腰の、好感の持てる男だったのでつい…」と言うのが良く分かる。このキャラクターを成立させ得たのはハーバート・マーシャルのお手柄だと思う。それからまたコレ夫人を演じたケイ・フランシスの妖艶さ。黒髪のミステリアスな上流婦人を、魅力たっぷりに演じている。リリー役のミリアム・ホプキンスは個人的には少し落ちるが、ハーバート・マーシャルと息のあったところを見せてくれる。

 軽やかでお洒落な、唯一無二のルビッチ・タッチを堪能できる傑作である。



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