アブソリュート・エゴ・レビュー

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生きるべきか死ぬべきか

2012-12-10 22:04:41 | 映画
『生きるべきか死ぬべきか 』 エルンスト・ルビッチ監督   ☆☆☆☆★

 詳しくは知らないが、エルンスト・ルビッチはベルリン生まれの映画監督で、20世紀前半にハリウッドで活躍した人らしい。コメディが得意で、あのビリー・ワイルダーの師匠である。ということは三谷幸喜の大師匠ということになるのかも知れないけれども、まあそれはそれとして、本作がいわゆるシチュエーション・コメディの傑作であることは間違いない。1942年発表、もちろんモノクロ。

 「生きるべきか死ぬべきか」なんていうと深刻な映画みたいだが、これはハムレットの有名なセリフ「To be, or not to be」のことで、主要登場人物の多くが劇団の俳優たちなのである。戦争、しかもナチスがテーマになっているにもかかわらず、内容は非常に軽やか、瀟洒、きわめて洗練されたコメディになっているところがすごい。単純に面白おかしく笑える話なのだが、実はそれだけでなく、その底に真摯な反戦への祈りが隠されている。声高に叫ぶのではなく、シャレのめしつつさりげなく訴えるという、これぞ大人のエスプリである。

 さすが名作だけあって、古い映画であるにもかかわらずギャグが面白く、今観てもシャレている。はやりすたりと関係ない、本物の輝きがあるのだ。それから笑わせるための状況設定が非常に精緻で、巧みである。たとえば繰り返しの使い方。舞台上の俳優が「To be, or not to be」と言うと、観客席にいる中尉が必ず席を立つというギャグがあって、これはそのセリフが逢引きの合図になっているからなのだが、それを知らない俳優はショックを受ける。このギャグは繰り返されるたびに面白くなる。もっと大掛かりな繰り返しでは、「収容所のエアハルト」のギャグがある。まず、俳優がナチスのエアハルトに化けてスパイを騙そうとする。非常に不自然で、これだけでおかしいけれども、これは実は前フリで、その後本物のエアハルトが登場して偽者のエアハルトとそっくり同じリアクションをする。これには大笑いした。こういうところは本当にうまい。

 とにかく緻密に計算された笑いのアイデアがてんこ盛りで、たとえば俳優が教授に化けてナチスの拠点に乗り込む、ところが本物の教授がすでに死んでいることをナチスは知っている。正体はもうバレているのだ。ナチスはニセ教授を部屋で待たせ、わざとそこに本物の教授の死体を置いておく。ニセ教授はそこで自分の正体がバレたことを知るのだが、頭をひねり、あるトリックを使って窮地を脱する。そのトリックが非常にクレバーで、しかも笑える。

 もちろんギャグだけでなく脚本全体が緻密なのであり、だからこの映画のプロットはかなり込み入っているにもかかわらず観客にそうと思わせない。ややこしい状況を整理してすんなり見せたり、あるいはわざと混乱させたり、自由自在だ。ルビッチ監督の映画はこれともう一本ぐらいしか観たことがないが、相当頭がいい人なのだろうと思わせる作風だ。力任せのどつき漫才ではなく、計算と緻密な伏線で魅せる知性派である。

 映画の雰囲気は戦争がテーマであるにもかからわず泥臭さや血なまぐささとはまったく無縁で、ひたすら軽やかだが、ある俳優が何度か口にする「ベニスの商人」の中のシャイロックのセリフ、「…同じものを食べ、同じ武器で傷つき、病気になり癒される。刺せば血が流れ、くすぐれば笑う。毒をのめば死ぬ…」という言葉が、この映画が隠し持ったメッセージである。みんな同じ人間なのに、なぜ殺し合わねばならないのか、という嘆きと祈り。実は反戦、そしてヒューマニズムの映画だったのだ。

 というわけで、本作は知的に作りこまれた見事なシチュエーション・コメディであり、また真摯なメッセージを隠し持ったヒューマニズム映画でもある。役者たちがナチスの鼻をあかすためにトラップを仕掛けるというワクワク感も魅力だ。ただしアクションものではないので、クライマックスの劇場シーンとそれに続く逃亡シーンはさほどスリリングではなく、盛り上がりに欠けるかも知れない。しかしこういうところをあっさり済ませてしまうのがルビッチ流の粋というものなのだろう。最後を締める「To be, or not to be」のお約束のギャグがまたいい。70年前に作られたとは信じられない、今もって鮮やかな映画である。


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