アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

競売ナンバー49の叫び

2006-08-19 21:59:49 | 
『競売ナンバー49の叫び』 トマス・ピンチョン  ☆☆☆☆☆

 大長編が多いピンチョンの、唯一手ごろな長さの長編。昔読んだことがあるが久しぶりに読みたくなって購入した。

 ピンチョンの小説はいつも混沌としているが、本書も例外ではない。カリフォルニアに住むエディパという女性が不動産王ピアス・インヴェラリティの遺言執行人に指名され、仕方なくサン・ナルシソ市に行って弁護士に会ったり書類を見たりしているうち、色んな偶然や暗合などによってトライステロという秘密結社の存在を知る。これはラッパのマークが目印の、中世の昔から存在する恐るべき私設郵便組織なのであった……。

 という、冗談なのかまじめなのかよく分からないプロットである。ピンチョンというのは私が知っている限り、大体いつもそういう小説を書く。かなり奇妙な作家だ。そしてプロットはどんどん錯綜していく。エディパは元俳優のイケメン弁護士と不倫の関係を持ち、モーテルにはバンドマン達が出没し、エディパの夫であるDJムーチョはLSDのせいで人格が分裂していき、百面相を得意とする精神分析医は頭がおかしくなって元ナチの研究者であったと告白する。方や、ラッパのマークの秘密結社<トライステロ>の探索もどんどんわけわからなくなっていく。希少価値のある切手、マックスウェルの悪魔、謎めいた『急使の悲劇』の戯曲、などが錯綜し、やがてこれらの鍵を握る人物が死んだり失踪したりする。

 最後にエディパは、これらの陰謀や秘密結社が本当に存在するのか、自分の妄想なのか、それともすべては死んだ大富豪ピアス・インヴェラリティの仕組んだイタズラなのか、まったく分からなくなる。そして絶望的な思いで<トライステロ>ゆかりの切手の競売に出かけ、競売ナンバー49の叫びを待つ、というところで小説は終わる。何も結論は出ないまま。

 このように、ピンチョンの世界にはスラップスティック風の軽さ、ドタバタ喜劇のようなファルス性がある。文体は軽快で歯切れ良く、きびきびしている。固有名詞の氾濫も特徴の一つ。ということはディテールが豊富である。というより、増殖するディテールの中に本筋が埋もれていく。それからピンチョンといえば「多義性」だが、本書でも見かけ上ドタバタ喜劇的な物語の中に透かし絵のように様々な世界観が織り込まれている。それはエディパという名前が示すようにギリシャ神話的な世界であったり、エントロピーやマクスウェルの悪魔が登場する科学的SF的世界であったり、絵画や演劇や戯曲が登場する文芸的世界であったり(レメディオス・バロの幻想絵画はフルカラーで巻頭に掲載されていて、本書の重要なモチーフになっている)、宗教的であったりサブカルチャー的であったり神秘的だったり即物的だったりする。読者の視点によってカメレオンのようにその色合いを変えてしまう。ある意味、探索すればするほどつかみどころがなくなっていく謎の<トライステロ>は本書そのものとも言える。本書の帯に「隠喩と多義性に満ちた問題作」と書かれているのはそういう意味だ。と私は思う。

 それからこの人は発想はどこかフィリップ・K・ディックに似たところがある。エディパの妻ムーチョの人格が分裂してだんだん大勢の人間の集合体みたいになっていき、「彼が打ち合わせに加わるとその部屋が急に人でいっぱいになっちまうんですよ。一人なのに、人の集まりなんです」なんて言われるところとか、すべてが死せる大富豪インヴェラリティの陰謀ではないかとほのめかされるところとか。舞台がカリフォルニアなのも似た印象を与える理由の一つかも知れない。ただしディックのように破綻していく感じはなく、ピンチョンの世界は混沌としていながらもあまねくコントロールされている。

 謎の<トライステロ>が本書そのものだ、と先に書いたが、それはつまりこの世界そのものでもある。世界を巨大な謎として、また迷宮として描き出した作家といえばカフカだが、ナンセンス性、ディテールへのこだわり、メカニックなものへの偏愛など、ピンチョンにもどこか共通するものがあるような気がする。ただし全体の印象とか読後感は全然違う。陰りを帯びた不安な寓話であるカフカに比べ、ピンチョンのこの小説は明るい精密機械のようだ。冷静に淡々と世界を謎で埋め尽くす精密機械である。


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Vendita Levitra Generico (DavFultide)
2017-07-09 19:47:05
Trouver Levitra Sans Ordonnance viagra cialis Expert Clinic Cialis
返信する

コメントを投稿