アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

少将滋幹の母

2009-06-06 13:37:18 | 
『少将滋幹の母』 谷崎潤一郎   ☆☆☆☆★

 『武州公秘話』が面白かったので続けて本書を購入。「王朝もの」である。私は「王朝もの」にヨワい。新潮文庫でも出ているが、新聞連載時の挿絵がそのまま収録されているというのでこっちの中公文庫版にした。「王朝もの」に挿絵がついたら「王朝絵巻」ではないか。私は「王朝絵巻」にヨワい。

 メインのプロットはとてもシンプルだ。若くして老人の妻となった美女・北の方を傲慢な権力者・時平が酒の席の策略で強引に奪っていく。この北の方が、タイトルにある少将滋幹の母である。そして後年、滋幹は年老いた母と再会する。それだけだ。うーん、シンプル。ただそこに、かつて北の方の愛人だった色男の平中の話(侍従の君に言い寄るがなかなか相手にされず、北の方に未練が出て会おうとし、子供の滋幹の腕に歌を書いたりし、やがて侍従の君のせいで死ぬ)、時平の子孫の話(菅原道真の祟りでみな短命となり、滅んでしまう)、妻を奪われた老人・国経の嘆き、不浄観の話などが加わって膨らんでいる。不浄観というのは、美しい女も一皮剥けば汚物の塊であり、うまい食い物も排泄物と同じであり、つまり世の中すべては不浄である、というどーんと気が滅入るような観念を死人の骸を眺めたりして体得することであるらしい。美しい妻を取られた国経がなんとか妻を忘れよう、諦めようとしてこの不浄観に凝り、まだ幼い滋幹に話して聞かせたりする。

 こういう国経の心理や、若くして母と別れなければならなかった滋幹の心理についての考察もかなりのスペースを割いて展開される。純粋な物語というより、エッセーと融合している感じだ。種本に言及しつつ、あちこちに寄り道をしながら悠然と進むあたりは『武州公秘話』と似ている。それからタイトルは『少将滋幹の母』と要するに北の方のことだが、これは北の方が主人公というより、北の方をめぐる人々の物語、という方が近い。つまりこれは北の方のまわりにいる平中、時平、国経、滋幹たちの物語なのであって、北の方自身のことはあまり語られない。むしろ印象は薄い。

 文章、構成、語りのテクニックはまさに融通無碍、自由自在で、さすが大谷崎というしかない。絶妙である。大体最近の作家とは文体の格調が全然違う。これはやはり漢文の素養とかそういうものだろうか。ただし、個人的には微妙に物足りない読後感があったことも告白せねばならない。なんというか、端整にまとまり過ぎて線が細いような気がしてしまったのである。なんせ『乱菊物語』が好きなので、どこか過剰な伝奇性のようなものを求めてしまう。が、これこそが洗練というものなのだといわれれば一言もない。

 ところで本書中、平中がつれない侍従の君を諦めようとしておまるを盗み、排泄物を見ようとするところがある。変態性欲ではなく、わざとキタナイものを見て幻滅し、恋心を覚まそうというわけである。前述した不浄観に通じる考え方だ。が、平中よりうわての侍従の君はこれを予測し、うっとりするほど香りの良い偽物の「排泄物」を準備し、それを見せて平中を仰天させるが、この部分は『乱菊物語』の中の美女探しのエピソードと良く似ている。美女を探しにやってきた田舎侍の家臣がこの世のものとは思えない芳しい物体を見せられ、ああ高貴な姫君とはかくも天上的な存在なのか、と感じ入るという最高に面白いエピソードだったが、谷崎はこのアイデアが相当気に入っていたようだ。


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