1978年の3月だから50系の導入直後。
一筆書きのコースとしては、接続がよろしくなく筑豊本線の桂川~原田のルートは使いづらかった。
が、客車に揺られて乗れる路線としては冷水越えはそれなりの乗りでがある。
高校の写真部仲間3人でこの日のコースに夜の冷水越えとなる2747レに飯塚辺りから乗車。
博多からの篠栗線と合流する桂川は、利用客が多い。
キハ17がまだ老骨に鞭打ちながら活躍していた。
桂川を過ぎると、上穂波、筑前内野とだんだん峠の径へと分け入る。
すっかり夜の帳が下りた冷水峠のトンネルを抜け筑前山家では唯一の優等列車待ち。
ディーゼルと違い駅に止まった客車の静寂を破り、4044レが峠道を駆け上がっていく。
闇に紛れる4044レは映し出されるこちらの列車姿と一本の白い帯だけを残して。
山間の小さな駅に浮かび上がる二筋のテールライトとサインの光跡が妖しい。
1978年春 筑豊本線 桂川・筑前山家
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2枚目は何とも不思議な絵で、こんな表現方法は初めて見ました。
これは特許申請ものですね。
キハのアイドリングや夜の冷気も伝わって、その場に居るような気がしてきます。
ちょうど、外の暗さや待避線と通過線の距離など様々な条件が揃って、14系の流れる窓が鏡代わりになったんでしょうね!
この3枚、一度も日の目を見ずにネガケースに収まってました。
ちょうど一筆書きネタで冷水峠に引っ掛けた話を書きたくてぼんやりネガを見ていてスキャンしました。
日の目を見ていないコマって、結構発見がありそうな感じですね。
ちょっと風太郎さんに嗾けられたこともあり、
もう一度、銀塩時代の自分の足跡を見つめなおしてます。
さんべ3号、電関人がちどり3号とともに山陰入りした常套手段の一つで、
12+20の組み合わせになるまで、ゴーマルサン以降も暫く
旧型客車で頑張っていた好きな列車の一つです。
デジタル化して日の目を見たのが随分あります。
特に、人が写ったコマや罐位置が遠いコマ、そして電気機関車や気動車を撮影したコマなど。高校生当時と現在では好みも変化してますね。
嗜好が変わったりで、ふと今までプリントすることが無かったコマに目が留まったり。
その時に自分が何を考えていたのかなど土日の休みを大半使って懐古に耽ったりしてます。。。
コメントありがとうございます。
そして、もったいないお言葉で光栄です。