布施弁天界隈の自然と歴史情報

関東三弁天の一つである柏市布施弁天界隈の城跡、神社、仏閣等の歴史的遺産の紹介とあけぼの山近辺の花情報の提供

沼南大井の准四国八十八ヶ所霊場

2007-03-18 | 歴史
市内では珍しい天台宗のお寺というので、以前から気に掛かっていた旧沼南の大井地区にある福満寺を訪ねてみました。このお寺の正式名称は教永山福満寺積善寺で、ご本尊は阿弥陀如来。奈良時代に尊慶によって開山された、大変由緒正しい古刹なのです。
享保13年(1728年)に建てられた鐘つき堂を兼ねた楼門造り山門は、香取神社の隣にある。昔は一体だったらしいが、現在は舗装された道路によって真ん中を分断されている。さて、この香取神社の鳥居の前に駐車場らしきところに車を止め、この山門をくぐり、坂を下って歩いて行くと、お墓の奥の左手奥に、異様なほど数が多い、小さなお堂らしきものがいくつもいくつも並んで建っているのが見えて来る。最初はわからなかったが、近づくにつれ、どうもそれがやはりお堂であることがわかった。よく見ていくと、これが、噂に聞く准四国八十八ヶ所霊場のお堂(写真)だったのです。明治11年(1878年)、福満寺の40世徳順和尚が創建した大師堂・准四国八十八ヶ所霊場のお堂だったのです。これより20年以上前に柏市の酒井根に創られた88ヶ所霊場は、なにもない広場にポッリ、ポッリと単なる石像だけが置かれ、敬虔な気持ちに浸るにはいまいちですが、ここはそこと違い、鬱蒼まではいかないが、一応木立に囲まれ、後ろに墓場も控え、それなりに味わい深いものを醸し出している。徳順和尚が四国巡拝の際、各霊場にて、一握りの砂を持ち帰り、その砂を敷いて大師堂を建立し、その後、昭和47年に現住職44世の慧純和尚が改修をしたものだそうです。ひな壇のように並んで各霊場が置かれ、設けられた石段を登った、一番奥の山肌には金比羅様もありました。
この88ケ所の霊場のお堂めぐりに夢中になり、当初の目的であった天台宗の本堂がどんなものかをみたいという気持ちは吹っ飛んでしまいました。観音堂はちょっと古さを感じましたが、本堂自体は真新しいように見え、すっかり興味を失せてしまったこともありますが。度々、戦禍に見舞われ、創建当時の建物は、失われているらしいとのこと。
この周辺には、先の香取神社や平将門にまつわる妙見堂や車御前の五輪塔等が興味深いものが多々ありますが、その話は後日。なお、この福満寺は、送り大師の霊場でもあり、境内の観音堂の脇には、結願碑が建っていました。また、山門の上にある鐘楼堂は手賀沼八景の一つである「大井の晩鐘」に含まれております。いずれにしても、時間をかけてゆっくりみたいところのひとつに入るお寺です。念のため、福満寺の大駐車場は、坂を下った右側にあります。
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