眞壁 陸二
ebakam art studio blog
日食の朝

凄く仕事が忙しく3時過ぎに寝たのに今日は何百年に一度かの金冠日食
眠い目を振り絞って6時からスタンバイ
金沢では金冠にはならないのだが9割以上欠けた日食を快晴の空で見ることができた
半分ぐらい欠けたころから周りの景色が異様な色彩に包まれた
朝なのになんだか茶色い影に染まったのようで夕方とは違う見たことの無い色だった
そして6時代より涼しい風がそよぐ
ピークの7時半に外へ出て木漏れ日や自分の影を観察してみた
木漏れ日のひとつひとつが三日月型で自分の指先や影の隅がこれまた三日月型

爪がにょーんと伸びた悪魔みたいなシルエットになっていたのでびっくりした
それと影そのもののキワが泣いてるように滲んでいたがその理由は不明

眠いのをこらえて起きて良かった
こんなに凄いとは思ってなかった 素晴らしい体験が出来た
地球、宇宙、空間、時間の神秘などが鮮明に感じられる一日だった
宇宙の神秘の話しをしよう!
子供の日は原発ゼロの日
子供の日は原発ゼロの日
唯一運転中だった北海道電力泊原発3号機が五日深夜に停止し、定期検査入りする。
これで国内の商業用原発五十基すべてが止まりの四十二年ぶりの「原発ゼロ」へ
政府は関西電力大飯原発3、4号機の再稼働を目指すが正気の沙汰とは思えない
廃炉にするだけでも膨大な金もかかるしその作業従事者が被曝する。
今後新卒で電力会社に就職したいと考える若者ははたしているのだろうか?
この先何十年もかかる福島第一原子力発電所の廃炉の作業は高齢化の一途だろうし
被曝線量の上限を超えてしまえば技術も経験もある作業員も入れなくなる
一体誰がその作業をやるのか?
未来の「子供達」に負の遺産を押し付けていいのか?
何万年も使用済み核燃料廃棄物を維持管理してくださいと?

photo by Paul Smith(先日出会ったポールスミス氏がウチの息子を撮ってくれたもの)
唯一運転中だった北海道電力泊原発3号機が五日深夜に停止し、定期検査入りする。
これで国内の商業用原発五十基すべてが止まりの四十二年ぶりの「原発ゼロ」へ
政府は関西電力大飯原発3、4号機の再稼働を目指すが正気の沙汰とは思えない
廃炉にするだけでも膨大な金もかかるしその作業従事者が被曝する。
今後新卒で電力会社に就職したいと考える若者ははたしているのだろうか?
この先何十年もかかる福島第一原子力発電所の廃炉の作業は高齢化の一途だろうし
被曝線量の上限を超えてしまえば技術も経験もある作業員も入れなくなる
一体誰がその作業をやるのか?
未来の「子供達」に負の遺産を押し付けていいのか?
何万年も使用済み核燃料廃棄物を維持管理してくださいと?

photo by Paul Smith(先日出会ったポールスミス氏がウチの息子を撮ってくれたもの)
工芸未来派 金沢21c美術館
金沢21世紀美術館で昨日より始まった「工芸未来派」展に同級生(多摩美の)青木克世さんが出品中。
美術館前のバナーと展覧会図録の表紙も飾るスカル(髑髏)イカス作品です。
彼女は同じ油画科に入学しのちに陶芸の道へ
写真の作品は磁器で出来てます。
過剰なまでの装飾性が見るものをギョっとさせます。
繊細さと儚さと美しさと毒、緊張感あります。

彼女自身の言葉に「工芸家という意識あまりない…」という発言もあったが現代における「工芸」のありかたを議論するきっかけにもなるんじゃないかな
伝統や用の美だけが工芸ではなく かつて江戸時代頃の工芸はもっと広く 今で言う美術、装飾、アートも含んでいたはずです
明治以前は「美術」なんて言葉も「アート」なんて言葉も日本にはありません
「かざり」や「書画」なんてテキトーな言葉しかなく、しかし現代よりも生活の中にそれらは食い込んでいた
生活を日常をいきいきとしたものにするもの でいいのではないでしょうか
花を生けるのも壁に絵や軸をかけるのも目的は一緒だと僕は思います
食器に染め付けで絵や文様が描かれてなくても食事は出来るわけです(用は足りる)が、それを無駄だとして生活から排除して行くと連鎖的に生活空間が空虚なものになっていきます
他にも桑田卓郎の「かいらぎ」 だらけのド派手でポップな陶器も素晴らしい
ちなみに先日オープンしたギャラリー、KOGEIまつきち(金沢市安江町12-28)で桑田卓郎らの作品が展示販売されています。
美術館で見てイイなと思った作家の作品が近くのギャラリーで買えるっていうのは とても良い連動です。
美術館前のバナーと展覧会図録の表紙も飾るスカル(髑髏)イカス作品です。
彼女は同じ油画科に入学しのちに陶芸の道へ
写真の作品は磁器で出来てます。
過剰なまでの装飾性が見るものをギョっとさせます。
繊細さと儚さと美しさと毒、緊張感あります。

彼女自身の言葉に「工芸家という意識あまりない…」という発言もあったが現代における「工芸」のありかたを議論するきっかけにもなるんじゃないかな
伝統や用の美だけが工芸ではなく かつて江戸時代頃の工芸はもっと広く 今で言う美術、装飾、アートも含んでいたはずです
明治以前は「美術」なんて言葉も「アート」なんて言葉も日本にはありません
「かざり」や「書画」なんてテキトーな言葉しかなく、しかし現代よりも生活の中にそれらは食い込んでいた
生活を日常をいきいきとしたものにするもの でいいのではないでしょうか
花を生けるのも壁に絵や軸をかけるのも目的は一緒だと僕は思います
食器に染め付けで絵や文様が描かれてなくても食事は出来るわけです(用は足りる)が、それを無駄だとして生活から排除して行くと連鎖的に生活空間が空虚なものになっていきます
他にも桑田卓郎の「かいらぎ」 だらけのド派手でポップな陶器も素晴らしい
ちなみに先日オープンしたギャラリー、KOGEIまつきち(金沢市安江町12-28)で桑田卓郎らの作品が展示販売されています。
美術館で見てイイなと思った作家の作品が近くのギャラリーで買えるっていうのは とても良い連動です。
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