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りんごの日記

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The ハプスブルク (1)

2009-10-11 23:14:43 | 雑感
 東京・六本木の国立新美術館で12月14日まで開催中の「The ハプスブルク」展は、日本がオーストリア=ハンガリー帝国と国交を結んで今年140年になるのを記念してのイベント。テレビや雑誌等で一度は見たことのある有名絵画がたくさん出展されている。絵画もきちんと解説を読みながら鑑賞すると、見方がずいぶん変わってくる。特にこのベラスケスの「皇太子フェリペ・プロスペロ」の肖像画は、王子の生涯を知ると悲しくなる。

 ハプスブルク家が領土を拡大する手段として「政略結婚」を推進していたのは有名な話。女帝マリア・テレジアの子沢山はよく知られている。戦争をするよりは、はるかにダメージの少ない平和的侵略と考えていたのだろう。しかしいとこ同士の結婚や伯父と姪との結婚など、近親婚が多かったのも事実。その結果、時が経つにつれ一族の中に遺伝による病気や、生来虚弱体質に悩まされる人が出て来た。

 スペイン王フェリペ4世待望の跡継ぎとなる皇太子フェリペ・プロスペロが生まれたのは1657年。しかし生まれつき体の弱かった王子は病気を繰り返す。この肖像画は王子が2歳の時、描かれた。王子が立派に成長することを願った大人たちは、王子の体に鈴や護符を付けた。



 鈴は王子の居所がすぐわかるようにするため。その他、薬草などを身につけお守りとしていた。また男児の死亡率は女児よりも高かったため、王子に敢えて女児の服装を着させたりもした。非科学的と言えばそれまでだが、いかに王子が未来のスペイン国王になることを期待されていたかがよくわかる。
 この肖像画を描いた翌年、ベラスケスは世を去る。さらにその翌年、王子はてんかん発作により4歳で夭折。こうしたエピソードを知った上でこの肖像画を見ると、この王子はハプスブルク家の、領土拡大政策の犠牲者だったようにも思えてくる。ベラスケスは、どんな想いでこの絵を描いたのだろう?

 116点もの展示品がある今回のイベント。休日の午後はすごい混み方で、絵の近くへ行って解説を読みながらじっくり鑑賞するには時間と体力がいる。特に近づけなかったのが、明治天皇がフランツ・ヨーゼフに贈った広重らの図画帖。可能なら平日の午前がゆっり鑑賞できそう。


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