結婚式おめでとう

2008年02月25日 | Weblog
先日、22日は青年会の会員同士の結婚式を執り行いました。
通称、ヨッシーとゆかちゃんの結婚で、2008年では一番乗りです。
ゆかちゃんは数年前にやさしかったお父さんを亡くし、ヨッシーもお父さんは既に故人です。ちょっとその点は淋しいのですが、同じ境遇という点で気持ちが通い合ったのかも知れません。
私はいつも、結婚式の中で、次のような日蓮聖人のお言葉の一節を引用します。
夫楽しくば妻もさかふべし。夫、盗人ならば妻も盗人なるべし。
是れ偏に今生計りの事にはあらず。‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
比翼と申す鳥は身は一つにて頭二つあり。二つの口より入るもの一身を養ふ。比目と申す魚は一目づつある故に一生が間はなるる事なし 夫と妻とは是の如し。
結婚式はいつもいいなぁ。「とわの愛」の誓いを立てたとおり、いつまでも仲良くしてほしいですね。お二人の幸せを心から祈り、結婚式をつとめました。
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梅か桜か

2008年02月21日 | Weblog
少し、暖かになってきました。
昨日、今日にかけて遠出しました。写真は出先で、「オッ」と思い撮ったもの。
なんと、これは早咲きの桜なのでしょうか。もう花が開いています。
どう見ても梅のようには見えません。
早く、春が来て本格的に動き出さなくては。
人生、やはり基本は明るく、暖かくありたいものですね。
せっかく上行所伝の妙法というもっともすぐれた教えに出値ってご信心させていただいているのに、暗い考え方になったらいけませんね。
日蓮聖人は「冬は必ず春となる」と言われています。春となることを楽しみにして明日からまた、頑張ろう!
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一太郎讃歌

2008年02月16日 | Weblog
およそパソコンとお坊さんほど、そぐわないものはないと思いますが、実際は皆、よく使っています。便利だからです。
私はワープロ専用機を使ったのが、25年前くらいから。その後、NECのVM2というパソコンを購入しました。もう22年ほど前のことで、コンピュータの方が応答速度が格段に速いと現・大阪の円妙寺住職、御牧御導師から教わり、買いました。当時はメチャメチャ高くて、25~30万円近くしたのではないかと思います。パソコン買ったのはいいけれど、電源を入れても、OSというようなモノがインストールされているわけではありません。ベーシック画面が出てきますが、意味不明のコンピュータ用語が画面に出てくるのみ。しかも、英語で。
コンピュータショップに行き直して、聞きますと、「あぁ、アプリケーションソフトを買わなければ、何もできませんよ」という。
「なにっ?機械だけでも高いのに、その上、またソフト?」
とにかく、ワープロなら「一太郎VER2」、表計算なら???(もう名前は忘れました)と言われ、また、大枚?万円を払ったのです。
ところが、その一太郎もフロッピーベースで動かすと、極端に遅いのです。マニュアルなどをよく読みますと、RAMディスクに辞書を置いて動かすと早いと言うのです。
なに、それ?ということで、また、ショップに行き買い求めました。全然、ショップで説明などしてくれそうな雰囲気ではないので、ともかくRAMディスクに付いているソフトのマニュアルを見ました。
ところが、虫眼鏡がいるような小さな字で、専門用語の羅列。
まったく、意味不明。それでも根性で徹夜を何回かしながら試行錯誤。とうとう、ラムディスクを運用して一太郎を動かしました。
「早ッ」と、うまく一太郎を動かせるようになって感動しました。でも、一太郎に搭載されていたATOKは、変換効率は今から比べると、まったく悪く、比較になりません。
私はお寺の住職で、佛立教育専門学校の先生もやっていて、かつて平川彰先生を指導教授として仏教学もかじっていました。だから、古い仏教関係の文書を読んだり、引用したりと、とにかく古文ワープロがほしいと常々、思っていたのです。
何もジャストシステムから頼まれていませんが、今回新発売の一太郎2008に搭載されているATOKは、古文を扱えるので、これは本当に有難い。いつかやってくれるのでは、と思いつつ22年。ジャストシステムは徳島の会社と聞きましたが、今までマイクロソフトに対抗してよくやってきたね、表彰状を出したいくらい。とにかく、仏教学や宗門の教学研究をしている人には朗報ですね。
次は、誰か(故)中村元博士、(故)宇井伯寿博士等の仏教辞典をCD―ROM化してほしいですね。岩波仏教辞典はありますが・・・
仏教興隆に寄与すると、功徳は大きいんだけど、コンピュータ関係の会社の人には分かってもらえないかなぁ。
偉そうなことは言えませんが、日本という国の乱れは、日本語の乱れから来ている面もあるのではないかと思います。大人、子ども、男性、女性、先生や目上の人から生徒や部下に適切な言葉遣いでものを言い、また、反対に生徒が先生に敬語を使ってお話ができるようにするのが本当の勉強だと思いませんか。
品格は言葉と振舞から。ジャストシステムに頑張ってもらいたいですね。
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2008年02月13日 | Weblog
京都は今日、雪ふりです。
東京だと参詣者が安全にお参りできるかどうか心配ですが、京都にいるときは雪を見て心が落ち着きます。
この頃、こたつでゆっくりすることはなくなってしまいましたが、今、炬燵がほしいなぁ。炬燵でミカンをむきながら、本を読む。これ、今は夢のような世界ですね。
今日は、手元に本があるので、ホテルに泊まって司馬遼太郎の「明治という国家」でも読むことにします。ベッドで読むと、すぐ寝てしまいますけれど。それも幸せ、ちょっと寂しいけれどね。

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弘通促進大会

2008年02月12日 | Weblog
昨日はお寺で弘通促進大会が開かれ、中欧布教区の各寺院、えり抜きのご信者が合計300名も集まりました。
私は開催寺院の住職ということで講話を引き受ける羽目になりました。
難しいですねぇ。あまりご信心を知らないご信者に話すのは、しやすいのですが、ベテラン信者となると中には50年以上、ふだんから私たち教務が話す御法門(説法)を聞いているのですから。何でもよく知っている上、実践もしていますから。
そこで、少し、角度を変えて、私たちが信じている法華経という経典の仏教の歴史における位置ということと、菩薩行ということについて話をしました。
結論から言うなら、法華経こそ仏教の中の仏教で、上行所伝の南無妙法蓮華経の御題目を人にすすめて、教化して、お助行して人を助ける人こそ、菩薩の中の菩薩だということです。
要するに、佛立信者は今、いろいろな世の中のボランティア活動をしている方に比べ胸を張って、自信をもって私たちこそ真の菩薩だといえる人が少なくなってしまったと思うのです。なぜかというと、それは法華経という教え、また、本門佛立宗というものをいつしか、相対的な一宗教として、私たち自身がさめた目で見るようになってきてしまったからではないでしょうか。
つまり自分たちのご信心の位置づけとともに、まことの菩薩としての自分自身の位置づけがはっきりしていない方が増えているとおもうのです。
今も、佛立宗では我が目を疑うようなすばらしい現証があらわれ、不思議な体験をされている方が続出しています。にもかかわらず、その現証体験をキッカケにして絶対的信仰まで昇華させる人が少ないのです。
これは私たち教務の責任です。世の中に情報があふれ、何でも客観視する癖がつき、熱くならない・・・私たち自身に燃えるような情熱がなくなっていないか、己に厳しく問いかけなくてはならないと思います。
(写真は本堂内の様子、有里さん提供)

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蛤(はまぐり)御門

2008年02月06日 | Weblog
今朝はなんと、朝4時に目が覚めてしまいました。
残念、せっかくホテルに泊まった時くらいは、6時か6時半か、ぎりぎりまで寝ていてもいいのに。せっかく早く目が覚めたので本山・宥清寺に開門参詣させていただきました。
京都は思いのほか、暖かで、寒さに対してしっかり武装していたのに拍子抜け。
でも歩いているうちは良かったのですが、本堂の中はさすがに寒ッという感じでした。先日も、今回もご披露を聞いていますと参詣数があまり多くないよう。33年前、私が本山で学生時代、参詣人数は寒参詣で1000人を超えている日が多かった気がします。それからしますと、今は6割くらいかな。ちょっと、寂しい。寒中を参詣するような強信(ごうしん)の人がどんどん減っているんですね。
その帰り道、京都御所のあたりにさしかかったので、携帯で写真でもと思って入ったところ、この門に「蛤御門」と表示されていました。
蛤御門というと、「蛤御門の変」とか「禁門の変」とか、歴史の授業で昔、習ったことを想い出しました。
でも、どういう事情で、誰がどうしたなどということなど、ほとんど記憶にありません。調べたら尊皇攘夷の論に傾いていた長州藩の藩士たちが会津や薩摩、桑名と対立して、蛤御門の付近で衝突して戦いが繰り広げられ、その時にあがった火によって京都市中が丸焼けになったとあります。
その火事を「どんどん焼け」「どんど焼け」「鉄砲焼け」などといい、わが開導日扇聖人もその時代の方ですから重大な被害をこうむられました。そこで開導日扇聖人の御教歌の中にも
「信心の うまき味ひ 知ったなら 京の丸やき いもの?ぢゃわい」
と、痛手をこうむりながら、そんなことに負けまいと、どんど焼けのことを詠まれています。確か以前からこの門を通っていたのですが蛤御門とは知りませんでした。
けさ、この門の表札を見て、「あぁ、これがあの有名な門なの」と初めて思いました。
当時、京都を舞台に活躍していた人たちは、その後、明治時代の政治を牛耳るようになったのだけど、この時、ずいぶん、文化遺産が失われたのだなぁと少し、悲しい気持ちになりました。何でも創り上げるのには時間がかかりますが、破壊するのは一瞬ですよね。
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BSEの牛と食料

2008年02月04日 | Weblog
この間、アメリカでBSEかもしれない弱った牛が殺された後、いまだに食料として出荷されているのではないかというニュースを見ました。
BSEというより、その映像には驚きました。
生きている牛の頭部を殴って殺すシーンを見たのです。
また、生きているままマシーンに入れられミンチにされて出荷される牛もいます。
人間ってなんと残酷なんだろう。
お釈迦様は、必ずしも肉食を全否定されたわけではないと、もう亡くなった東大教授・中村元博士から聞きました。目の前で殺されたような動物の肉は食べることを禁止されたが、それ以外は禁止されなかったというのです。でも、もともと肉を食べることがインドでは今よりずっと少なかったのではないでしょうか。また、それを他の人に食事として供養することもあまりなかったのでは?
私は丑年ということもあり、牛がかわいそうになり、それからは肉はチョット遠慮しています。まだベジタリアンになったわけではありませんが。
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