東日本大震災が起こった日から数えて今日は九十九日目。明日が百日、その日亡くなった方は百か日ということになります。
今も、遺体さえ見つからない方が八千人以上という事態で、お気の毒というしかありません。わが遠妙寺では毎日、大塔婆を建立して、ご回向をさせていただいていますが、亡くなった方々の霊が安らかにと思う気持ちでいっぱいになります。
地層の調査をすると、今まで五、六百年の周期で大津波が起こっていたという報告が震災後になって、いろいろな学者により報告されました。今頃になってそんなことをいってもという気がしますが、しかし、今後を考える上では重要です。建物を建てる場所も、建て方も変えなければ元の木阿弥です。
また、震災後に変わらなくてはいけないのは、私たちの考え方、生き方です。震災後、結婚する女性が多くなったというニュースもありますが、毎日何気なくおっとりした生活をしていた昔と違い、不安を覚えるようになったのは事実で、誰でも同じです。
その不安をただ一過性のものとしてはならないと思います。いかに私たち人間は無力で、原発は最新の科学技術による万全の対策を施しているから、絶対安全だと言われていた神話が崩れ去ったことには大きな意味があります。
結局、私たち現代人が安心を得ていたのは、科学技術神話、原発神話という一種の信仰によってであって、それが外されてしまったのですから、その先を考えなくてはならないと思います。
今回の震災をきっかけに、不遜な現代人のあり方が変わってくるなら、それがある意味で一万三千五百人に及ぶであろう被災犠牲者の方々へのせめてもの供養となるのではないでしょうか。
6月5日(日)、第10回目の子ども御会式が奉修されました。
子どもの参加が今年は、野球やクラブや勉強などで、ずいぶん少なくなるという予想でした。
せっかく、遠妙寺の子ども御会式を中央布教区の教養参与の高野師など4人の教務さん、13名の子どもと13名の父兄で30人も大々的に見学に来られるとのお話。
あせりましたね。
それが4日前の6月1日での話です。
何とか、大人の意識が低いのが原因なのだから、もう一度、子ども御会式の意義を伝えて、何が何でも目標の50名以上になるよう、誘い合わせてにぎやかな御会式にしましょう。赤ちゃんでもいい、お腹の中にいる子は人数には入らないけれど、お母さんに声をかけましょう。
そのようにいって、大号令です。
その結果、寺内は49名、他寺院13名の子どもで、目標の合計50名を上回りました。
大人も180名集まり、楽しく、にぎやかな御会式ができました。
アンパンマンのアンパン館や青年会の人達によるゲーム、大道芸人の得意技ご披露など、楽しく皆、喜んで帰っていきました。
お寺は子どもにとって、楽しいところでなきゃ。とにかく、思い出に残り、大きくなっても親しみを感じるようにしてあげようという「くんげ育成会」のお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんのご奉公で、10回目の御会式も無事につとまりました。
ありがとね。
日にちが経ってしまいましたが、遅ればせながらご報告です。
マニラから飛行機で約1時間。船なら24時間もかかりますが、ネグロス島という島があります。
昔、小中学校で習ったのは、ルソン島とミンダナオ島。でも、そのほかに7,100余りの島々フィリピンにはあります。
ジャネット・黒柳さんの出身がネグロス。
その中でも一番賑やかなバコロド市に、70人あまりのご信者ができ、ついに遠妙寺の親会場(別院)ができました。
さいわい、土地をご有志(寄付)くださった方が東京・遠妙寺に二人。
家付きでしたので、ジャネットさん、テディーさんたちが中心になって急遽、修理してくださいました。
去る5月20日(金)からわが遠妙寺の教務長、河野彰国講師が11日間にわたってご奉公。
マニラでの御講、お助行から始まり、ネグロス島でのお助行、20数軒を終えて5月29日(日)にオープン。
開所式、入信式、そして初の御講をつとめました。
名前が難しいですね。
とりあえず、The Buddhist Communication Center Of HBS Onmyoji としておきます。
親会場というのは、開導日扇聖人がお寺と言わずに、ご信者の皆さんが集まるところという意味で名付けられたものです。
Meeting Center というのもあるでしょうが、これから考えます。要するに遠妙寺ネグロス親会場。
狭いところに、83名もの参詣者があり、子どもも大人も喜んで、入信の誓いをたてて、御講にお参りしました。
クーラーもない、扇風機もなく、32度から35度くらいの温度のようです。でも当日は、過ごしやすかったとのこと。
貧乏な人ばかりだけれど、貧困ではなかったというのが昔の日本です。日本を訪れた外国人が言っていたとお茶の水女子大の藤原先生の本に書いてありました。
フィリピンは貧乏な人が多く、貧困ですが、心豊かな人が多いという印象です。
御本尊を奉安に教務さんが参りますと、竹編み細工のお厨子(仏さまが入られる入れ物。まぁ御戒壇、仏壇みたいなもの)をちゃんと自分で作って心待ちにしているのです。
日本には、あまりそんな人はいないですね。そういうものは用意できなくても、周囲を片付けて、綺麗な敷物をしいたり、壁に綺麗な布を貼り付けて御本尊をお迎えしようと待っているのです。
そして、日本語も漢字も、インドの言葉ももちろんわかりませんが、一所懸命に南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と御題目をお唱えします。
それで、驚くような御利益をほんとに頂いてしまいます。
まぁ、そのうち、お披露目の開筵式などもさせてもらわなくては。となりの島が有名なセブ島。
そっちに行く人は多いのですが、ネグロス島を訪れる人は少ないのです。
でも、水が綺麗で最近は、ダイバーはネグロスを目指すとのことです。
ネグロス島には、昔、太平洋戦争で大勢の何万人という日本人とフィリピン人の人びとが亡くなっています。
その中には、不軽寺の建部御導師、乗泉寺の碓井御講師等の方もいます。慰霊碑は日本人により、昔、建てられていますが、慰霊に訪れる人はありません。
このたび、初めて現地において、そういう方々の御回向が上行所伝の御題目によって行われた意義はたいへんに大きいと思います。
遠妙寺のご奉公もインターナショナルになりました。
テキサスにもご信者がいるし、サントニオにも。サンフランシスコにもご弘通の種があります。
一天四海皆帰妙法を、単なる理想におわらしてはなりません。