謗法その5

2009年08月31日 | Weblog
7月21日の続き

前回は、久遠本仏と絶対神の間には区別があり、それを同一視することが謗法となると説きました。

次に、仏教といっても日蓮聖人門下である法印とは何かといえば、いくつか挙げられるでしょう。
その代表的なものをいくつかあげますと、第一に南無妙法蓮華経の御題目を御本尊とされたこと。これについては、日蓮聖人のお書きものの中では、観心本尊抄や本尊問答抄、法華取要抄などに解説を日蓮聖人がされています。
第二に、凡位の成仏。成仏は特別な人に限らず、ふつうの人が信心さえ起こして、本門八品所顕上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経とお唱えして、信心の位(名字即位・・みょうじそくい)に入れば可能であること。これは四信五品抄(ししんごほんしょう)に出ています。
また、第三には、折伏行(しゃくぶくぎょう)。その実践修行は、折伏行(しゃくぶくぎょう)で他の人にも正法のご信心を弘めることである、今の時代に人里離れた山の中で、一人静かに瞑想にふけり坐禅するようなことは摂受(しょうじゅ・・消極的修行)で、それではダメだといわれています。これは如説修行抄(にょせつしゅぎょうしょう)に出ています。
以上の三つの事柄が日蓮聖人門下の法印で、基準です。この基準の枠内に収まっているかどうかによって、真実に日蓮聖人の教えを継承しているか否かを判定できます。これから外れたら謗法となり、ただしく教えを受け継いでいるとは言えません。
そのほかの特徴として前記の三つと関連していますが、経典中心主義、現証(経力)中心主義、反権力志向、そして現実改革志向ということもあわせて挙げることができます。
最後の現実改革志向というのは、日蓮聖人ご出現以前の仏教者は現実の社会からかけ離れた環境で修行することをもっぱらとしていたのに対して、日蓮聖人は現実社会のあり方にも目を向けて、社会的弱者の救済に心を砕いておられたことをいいます。
日蓮聖人は
 涅槃経(ねはんぎょう)に云く、「一切衆生の異(い)の苦を受くるは、悉く(ことごとく)これ如来一人(いちにん)の苦なり」等と云云。日蓮云く、「一切衆生の同一の苦は、悉くこれ日蓮一人の苦なり」と申すべし
と、おっしゃっています。異の苦とは、それぞれの個人が背負っている苦しみ。同一の苦とは、同時代に生きている人々が背負っている共通の苦しみ、また、共業(ぐうごう)というものです。
釈尊は、それぞれの人の内部的な苦しみを取り除くことを課題としておられたが、日蓮聖人はそれだけでなく、皆の共通の苦しみを取り除くことを使命とされるということです。
少し話が中心テーマからそれますが、いま、フィリピンではご信者が30人となりました。その中心となってご奉公されているテディーさん、ジャネットさん夫妻がいま日本に来ておられます。テディーさんのお話を聞きますと、フィリピンには少数の富裕層と圧倒的多数の一般国民とが生活していますが、その貧富の差は相当なものだといいます。すべての社会的システムは、依然としてわずかな富裕層を支えるために機能し、一般の人々は安い賃金で働いているとのことです。
このあり方を変えていかなくては、なかなかフィリピンを今以上に発展させ、国力を付け、国民が皆しあわせな生活を送ることはできないのではないでしょうか。
これを良い方に変えていくには、仏教をさかんにする必要があります。
仏教、特に法華経の思想の一大特徴は平等思想です。一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょう・しつうぶっしょう)。これも誰でも仏性を具えているという涅槃経の御経文です。これよりも、さらに法華経は平等を徹底化しています。仏性とは、言い換えれば無限の可能性です。フィリピンに限らず、人々に無限の可能性があることを教え、夢を実現していくことができると説くのが法華経のご信心です。
特定の人の利権を認め、その支配を後押しするような宗教は社会の発展を阻害します。
つい、先日、シンガポール在住のゆかさんという方から遠妙寺にメールを頂いたそうです。シンガポールにおられるフィリピンの方を教化されている最中であるとのこと。彼女が教化できたらフィリピンの家族も教化できるかもしれないとのことでした。ありがたいですね。
私は彼女のご主人が子どもの時、清風寺の西淀の薫化会を担当していましたから、古い知り合いのはず。記憶もありますよ。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

政治に期待しない若者

2009年08月29日 | Weblog
選挙がいよいよ何時間後かに迫りました。
今度は、政権をかけた選挙になると言われています。いまのままでは、民主が圧勝という予測ですが、結果はどうなるでしょうか。
政治と宗教とは、昔から微妙な関係にありました。ずっと昔は祭政一致でしたが、近代に至るとともに政教分離の原則がうち立てられ、この原則を守って政治が行われる社会が望ましいとされるようになっています。
しかし、日本での実態はどうかと言えば、いま連立政権にあるマイナーな方の政党は、つい最近までこの原則を踏み外していました。今も、政教分離は表向きだけで実際はその関係は完全に密着しているように思えます。
当宗は、政治とは距離を置くことを原則としていますが、わが宗の教えと相反する宗教団体の傀儡となっている政党には当然、宗教的信条から投票するわけにはいかないと思います。
とにかく、もし単独で政権を握れば、人々から政治的自由を奪い、人々の宗教上の自由を束縛する恐れがある政党には投票したくありませんよね。
若者が政治や選挙に関心がないということが喧伝されています。その理由として、何党が政権を取ろうととるまいと、まず世の中は変わらないよという思い込みがあります。また、圧倒的に高齢者の数が多くなってきている今、政党は高齢者の意向を先取りして、高齢者におもねる政策を打ち出してくると言われています。
ですから、どんなに若者の投票率が高くなったところで、おじいさん、おばあさんの圧力にはかなわないし、高齢者に都合の良い政策をされるという現実があるので、あきらめてしまっているのではないかとも言われています。
確かに、年金でも高齢者に都合の良いやり方をして、そのツケを若者に回すというやり方で最初からきています。
こういうことからいいますと、若者の利益を守り、若者の立場に立ち、若者を支援する党ができても良いのではないかと思います。
ところで、テレビの宣伝で、20世紀少年の原作と映画で結末や展開が食い違っていることを公言して、なおかつビデオを買ってほしいといわんばかりの宣伝をしていました。これは、どういう意味なのでしょうか。誰が原作を曲げて、筋書きが異なる映画を作ったのでしょうか。
本当に恐ろしくなってきました。せめて日本においては、いつまでも、人々の政治的、宗教的な自由と権利が守られるよう願いたいですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛は奪うもの、愛は与えるもの

2009年08月27日 | Weblog
どれほど深く愛しても振り返らせることはできなかった
貴方の目はいつも私の外に注がれていた
あなたは限りなく愛を奪い
あなたに限りない愛を感じさせた
さくらはフーミンだけ愛していたね
私も妻もひとみも、ようこも、みゆきも家族だったよね
私が顔を近づけると、向こう向いたけど
フーミン(ようこの夫)には自分からキスしにいったね

きのう、少し元気になって安心していたけど
ついに、けさ、9歳を前にして旅立ってしまったね

うちの愛犬さくらが、一週間前から体調が悪くなり
水も飲まなくなりました
いっしょに御助行すると元気になり、もう大丈夫かなと何度も思いました。
でも、日に日に体力がなくなり、熱が高かったので昨日、注射してもらいました。
帰ってきて、いっぺんに水を飲み、御看経の後、少し元気になり肉を食べました
でも、気持ち悪くなって戻し、そのあと、急に体力を消耗してしまいました
苦しい息をする声が聞こえ、ずっと付き添っていました
唱題の中、息を引き取りました
今日は朝からみな、泣きました
正直、こんなに悲しいとは思いませんでした
家族として過ごした9年間、楽しいこと、愉快なこと、たくさんありました
いつも明るくしてくれみなに元気を与えてくれました
さくら、ありがとう。
御看経の時は、まっさきに飛んできて御題目を聞きながらジッと座っていました
誰よりも早くきて、私が座っているイスの後ろ半分が君の席
来世は必ず佛立信者と生まれ、幸せな一生を送ってね
どうか、みほとけよ。さくらからすべての苦しみを抜き去り、この上ない楽をお与えください
さくら・・・・・さようなら

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佛立研究所より「祖師のまなざし」発刊 千円で頒布

2009年08月26日 | Weblog
とうとう出ました。
「祖師のまなざし」というタイトルで佛立研究所からすばらしい斬新な本が発刊されました。
着想が違うというか、すごく良いアイデアです。
祖師・・・日蓮聖人のご一生の出来事を追って、そのときそのときの人物相関図、つまり人間関係が劇画的な絵で分かるようになっています。
よく芸能界の相関図などが週刊誌に掲載されることがありますが、この「祖師のまなざし」は絵が入っていて非常にわかりやすいのです。
さすがに植田日事所長のもと、若い研究員が集まっている研究所はすばらしいですね。特に、この本については神戸香風寺の局良鳳講師が力を入れて執筆、絵の方は専門家に依頼して本格的なものが描かれています。
最近はコンピュータや電子機器などのマニュアルが漫画や図解によってわかりやすく説明されています。今後は、難しい教学の解説書も図解式が主流になるかもしれません。実は、漫画を使って説明したり、アニメーションによって説明したり図解するには執筆者が全体をきっちり理解していなくては無理です。そういう意味では、本当の実力を問われ、ごまかしのきかない手法だといえます。
そのほか、この本には「日蓮聖人へのご供養一覧」や「日蓮聖人の書簡、御本尊下附一覧」も掲載されていて、これも図表化されています。
この内容で千円は価格破壊かも。
もし分けていただきたい方は佛立研究所にお問い合わせください。
佛立研究所
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十年後を見よ

2009年08月23日 | Weblog
先日、もと遠妙寺に所属していたご信者で、今は他のお寺に所属されているSさんにある御講席でお会いしました。
この方は、以前は他県に住んでおられ2時間の道のりを毎朝、遠妙寺まで通って朝参詣に励んでおられました。
もう10年も前に医師から、「貴方はもう幾ばくも寿命がない」と宣告されたそうですが、どっこい今も元気で暮らし、相変わらずよく参詣されています。ですから、毎日、朝参詣して本門八品所顕上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱える功徳は非常に深いのです。
このSさんに対して、知り合いの裕福なご婦人、Yさんは見下したように、また、「Sさんはおかしな格好をされているのねぇ」と言わんばかりに、もう一人の方と冷ややかに笑っていました。
もちろんこのYさんは本当のご信心、正法のご信心をなさってない方ですが、よく電車の中で会ったそうです。二人がいかにも悪口をささやき合っている様子で、Sさんの頭からつま先まで見ている、その冷たい視線はSさんの心に矢のように突き刺さりました。
ところがどうでしょう。10年経った今、Sさんは大変元気に明るく暮らしておられ、一方、Yさんとそのお友達は急に老け込み、寝たきりに近い生活をされているそうです。
まなほなる よき信者をば 軽しめて 無智とあざける ものしらずかな
と、開導日扇聖人は御教歌をお示しです。
「まなほ」とは「真直」。素直正直に生きる者。教えを素直に守る法華経の信者という意味です。そういう人を軽め、無智な者よと嘲笑し、見下す人こそ、真実の意味で「ものしらず」の馬鹿者であるという意味です。
法華経によれば、その昔、不軽菩薩というみすぼらしい身なりのお坊さんがいて、会う人ごとに、その人の持つ「仏性」(仏としての徳性)を礼拝して歩かれたと伝えられています。もし、拝まれた人自身が自らの仏性があることを知り、自らの足で起ち上がり、真実の信仰に目覚めて上行所伝の南無妙法蓮華経の御題目をお唱えすると、知らないうちに、その人も周囲も変わってきます。それまでのインドの雑多な信仰をしていた人々、また、仏教徒でも大多数の人は、人に仏性があることを教えられても、拒否して、不軽菩薩を異端者としてあざけり罵り、杖でうちつけ、石ころや瓦礫を投げつけたと言います。
それでも、なおかつ不軽菩薩は自らの信念を曲げることなく、仏性礼拝の修行を続け、大勢の人を真実の信仰にめざめさせ、たくさんの人を救ったのです。
人は見かけや身なりでもなく、身分でも学歴でもありません。その心がいかに気高く、いかに真剣に、真摯に、真実の御法をたもっているか、いないか。それが問題です。また、他の人を思いやり、本当の人助けとなることをなさっているか、どうか。それが菩薩と、それ以外の人の分かれ目です。
十年後に、本当に心の底から喜べるのは誰か、それを見極めなくてはなりません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いよいよ第三回 青少年の一座 福岡で開催

2009年08月22日 | Weblog
今日と明日、福岡で第三回・青少年の一座が開催されます。
内容は、参加している人に聞くしかありません(別にひがんでいるわけではありませんが)。私は今回は宗門から出席せよと言っていただいていないので、みんなが帰ってきて報告を受けるのを楽しみにしています。
前回は東京・乗泉寺に1800名くらいの人が集まったと思いますが、今回は最初が1000名の募集。会場の関係で少ない募集でしたが申込数が1700名にのぼり、困っていました。ところが2000名収容可能な隣のホールがキャンセルによってあいたので、2000名まで参加OKとなりました。
お計らいですね。でも、福岡はいま、どこのホテルも満杯。また、飛行機も満席の状態とのこと。
遠妙寺からは56名の参加となりました。そのうち当山の若い教務さん5名が含まれています。最年少の19歳の彰隆師は宇都宮の開導会のご奉公。
明朝は、おかげで私と、ロートルと言っても私より3歳若い彰信師、そしてそれよりさらに20歳近く若い彰孝師と合計3名だけで朝参詣のお給仕ご奉公をさせていただくこととなりました。
休業するわけにもいきませんし(たまには良いと思いますが)、何とか乗り切りましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本山大屋根の瓦葺き替え

2009年08月18日 | Weblog
本日、会議があり京都までまいりました。
京都は東京より、やはり暑かったですが、夏らしい夏とも言えます。
しかし、京都の人は我慢強いと思いました。
本山に参りますと、ほぼ大屋根の瓦葺き替えが終了していて、真新しい瓦がブルーの真夏の空に輝き、美しく感じました。
もう少しで、全体の修復が完了してリニューアルというところまでこぎ着けました。
古さと新しさが調和した本堂がお目見えするのも間近で、9月末までにできるそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦没者慰霊法要

2009年08月16日 | Weblog
毎年、このことについては書いている気がします。
今から64年前の8月6日には広島に、9日には長崎に原爆が投下され、幾千幾万もの尊い命が奪われました。そして、それから数日後の15日、終戦となりました。
遠妙寺では毎年、戦没者慰霊法要を行い、戦争で尊い命を失った兵士として出征した方々、また、戦地には行かなくても空襲にあったり、原爆で亡くなられた方々の御回向を行っています。また、第2次世界大戦に限らず、世界のあらゆる戦争犠牲死者の方々の追善回向を行っています。
旧盆で帰省したり、旅行に出かけられるご信者も多くおられますが、それでもそこそこの人数のご信者方が集まり、心を込めて塔婆建立、唱題してお焼香をさせていただきました。
原爆の後遺症を抱えて亡くなる方は今も毎年かなりの人数ですが、それ以外の戦時中になくなった方は、もう64年以上前のことになります。したがって、亡くなった方に対して鮮明な記憶がある遺族の方々もずいぶん、減ってきています。
ですから、あまり関心がある方は少なくなっていますが、大切なことは語り継ぎ、次代の人々にその体験を伝えていく必要があります。
仏教はもともと、平和志向の教えで、釈尊自身が五戒の一つとして「不殺生戒」を制定されています。不殺生とはいうまでもなく、他者の命を奪ってはならないということです。これは動物の肉を食べるなということより、戦争等によっても他のいかなる理由によっても人の命を奪い、殺してはならないということです。
この単純な戒律を守ることが大切で、聖なる戦いであるからといって殺人してはならないということになります。
どうか、世界が永久に平和でありますよう、核兵器が廃絶されますよう、世界中の人々が国を超え、人種を越え、言葉の壁を越え、また、宗教の違いを超えて連帯して心から願い、一歩一歩、努力していくことが大事だと思います。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不思議なお計らい 作次さんの頂いた現証

2009年08月12日 | Weblog
8月は教区御講が合同で開催されることが多く、すこし時間に余裕があります。
また、京都の佛立教育専門学校も休み、宗務本庁もあまり、用事がありません。
このチャンスに各教区の教化成就を願って、御助行にいささか回っています。
昨日は、西武線沿線の教区を回りました。さいわい豪雨の予報が外れ、天気が回復。暑い中、みな、必死に御題目を唱えて教化成就を願いました。
1時間の口唱が終わって振り返ったとき、青年会の由香さんのお父さん、作次さんがおられました。あまり、このような場に出られたことがないので、見間違えてしまいました。また、私が見間違えたのは、昔から比べたら、作次さんがずいぶん若々しくなっていたためです。
それもそのはず、最近は体調が良くなったとのこと。聞けば、ちょっと前ですが、痩せてきて調子が悪いし、調べてもらったら膀胱ガンの診断。ガンのマーカーの数値が22位だったので、手術を勧められたのだそう。
ところが、手術をやめて、もっぱら遠妙寺の御宝前(み仏)にお供えしたお水(御供水・・「おこうすい」或いは「おこうずい」)を頂いたとのこと。もちろん、一所懸命、御題目口唱されたのでしょう。
みるみる数値が下がって、現在は0.02ということで、まもなくゼロになるだろうと医師より言われています。
もう、理屈はいらない、御供水だけで教化はできそうですね。ただし、持って行って、頂いてもらい、御利益が現れたところでジックリ説明することだけは必要です。
たびたび、実際に起こった現証について、きちんと記録してデータを残すことが大切です。いま、覚えているうちはいいのですが、時間がたつと「あれは勘違い」「そのように感じただけ」「本当に最初、病気だったの?」などと、人に言われたり、自分でもそう感じ始める人がいるからたちが悪い。
聖なる御供水を変な容器に入れていくのも考え物。最近、わが遠妙寺でもお寺専用の御供水ラベルを作成して、ペットボトルに貼って、その中に御供水をいれたり、最初から買ったままの飲料水のペットボトルのラベルだけ貼り替えて先方に届けてあげています。
開導日扇聖人は御指南に
「御供水は水と見ゆれ共(みゆれども)、水にあらず、御題目なり。諸(もろもろ)の薬の中には南無妙法蓮華経、第一の良薬なり」
と、御供水はただの水ではなく、実体は「南無妙法蓮華経の御題目」そのもの。だから、精神、肉体に働きかけて妙不可思議なほど、絶大な力を発揮するとお示しです。
ふつうなら、これを売り物にして値段を付けて儲けようとするでしょうが、お寺にお参りしてお願いすれば、希望するだけ自由に頂けるというのが佛立宗の伝統です。どうなっているのという感じ!
ただし、ありがたいという思い、お敬いを以て頂かなくてはもったいないことは言うまでもありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絆 きずな コミュニケーション

2009年08月08日 | Weblog
今年の夏期参詣御法門の中で、印象的だったのは第4日目の御法門です。
種子島の最初ご弘通をされた日典上人及び日良上人という方のお話です。
日典上人も日良上人も、門祖日隆聖人(1385~1464)の御弟子で、前後して種子島に渡ったお二人の連携によって全島が上行所伝の御題目のご信者となったという経緯についてのお話です。
特に日典上人は、ご弘通のために殉死を遂げられた方で、その壮絶な生きざまは時代を超えて、私たちの胸を打ちます。
もともと、日典上人は律宗の僧侶。林応と称し、種子島で生まれ育ち、優秀なため、故郷の期待を担い、奈良で遊学。その帰り道、盲目の法華宗信徒に教化され、堺・顕本寺の日浄上人(門祖日隆聖人のお弟子)の教えを受けられました。そして、門祖日隆聖人のお膝元、尼崎本興寺にある勧学院の学頭となりました。
そして、兄弟弟子の日良上人とあいはからい、故郷種子島の弘通を決意。諸事情で先に日典上人が先に渡島して、盛んにお折伏、最初は誰も振り向くものもなく、夜は松の根を枕とし、食べるものもなく海中に潜り、海草を食べて飢えをしのぐ日々でした。ところが、その死身弘法(ししんぐほう・・身をころして、法を弘めること)の姿が仏天に通じて、ついに次々に教化ができ、一時は領主や有力な家臣までも法華経本門の御題目に帰依しました。ところがそれが周囲の猛反発を買い、島民その他の迫害にあいます。ついに、浜辺で生き埋めにされ(石子詰め)尊い殉死を遂げられました。
その後をうけて、種子島に渡った日良上人は、そのままではいつ殺されるか分からない状況の中、茶人の姿で茶道を教えつつ、島民に近づき一人一人の教化を始められました。そして地元に根を張りつつ、ついに領主はじめ、島の主立った人々を教化して、全島及び種子島時氏の領地であった永良部島、屋久島三島の教化を果たしたのです。
こうしてみると、まるで最初に種子島弘通をこころざし、強い勢いで進めた日典上人のようなやり方は、反発をまねくだけで効果が薄かったように感じられます。しかし、この日典上人の尊い殉死があったからこそ、また、日典上人に対する島民の仕打ちに対する反省があったからこそ、日良上人の穏やかな進め方が受け容れられたと思われます。
つまり、二人は心の底からの同志として、日典上人が種子島に渡ってからは話はまったくできなかったでしょうが深いきずなで結ばれていました。そして、見事な連携のもとに一つの目的に向かって進んでいったのです。
本当のコミュニケーションはただ、会っているからとか、話をしているから成り立つのではなく、人間と人間が真実の出会いをして互いが互いを了解してこそ成り立つのではないかと思います。
(写真は種子島のホームページより 日典上人殉教地の石碑)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする