平成18年10月27日(金)
熊本市の内坪井という町にある漱石の旧居に行ってきました。漱石は熊本の旧制第五高等学校の英語教師として明治29年4月に赴任しています。4年3ヶ月の期間熊本に住んでいました。この住まいは5番目の、漱石に言わせれば「一番いい家」だったそうです。庭から見た閑静な住居です。
実は私も学生時代、3回下宿などを移りましたが、この内坪井の町が一番長く2年弱を過ごした懐かしい町です。
正面の門です。結構訪ねる人の姿がありました。
「吾輩ハ猫デアル」の初版本も展示してあります。感激でした。
俳誌「ホトトギス」に連載された「吾輩ハ猫デアル」です。貴重な資料とされています。
漱石が執筆している座敷を覗きました。思わず襟を正したくなりました。
再び庭に出ました。長女筆子が産湯をつかったとされる井戸や句碑があります。ホトトギスの花があるのはさすが漱石の庭だと感慨深い思いがしました。
安々と海鼠の如き子を生めり 漱石 筆者注:海鼠はナマコと読む
漱石の「草枕」「二百十日」は熊本にゆかりの作品で、今年は発表後百年を迎えています。同じゆかりのある松山と熱いアピールをたたかわせている。
漱石旧居は ここ
熊本市の内坪井という町にある漱石の旧居に行ってきました。漱石は熊本の旧制第五高等学校の英語教師として明治29年4月に赴任しています。4年3ヶ月の期間熊本に住んでいました。この住まいは5番目の、漱石に言わせれば「一番いい家」だったそうです。庭から見た閑静な住居です。
実は私も学生時代、3回下宿などを移りましたが、この内坪井の町が一番長く2年弱を過ごした懐かしい町です。
正面の門です。結構訪ねる人の姿がありました。
「吾輩ハ猫デアル」の初版本も展示してあります。感激でした。
俳誌「ホトトギス」に連載された「吾輩ハ猫デアル」です。貴重な資料とされています。
漱石が執筆している座敷を覗きました。思わず襟を正したくなりました。
再び庭に出ました。長女筆子が産湯をつかったとされる井戸や句碑があります。ホトトギスの花があるのはさすが漱石の庭だと感慨深い思いがしました。
安々と海鼠の如き子を生めり 漱石 筆者注:海鼠はナマコと読む
漱石の「草枕」「二百十日」は熊本にゆかりの作品で、今年は発表後百年を迎えています。同じゆかりのある松山と熱いアピールをたたかわせている。
漱石旧居は ここ
漱石が生まれた地に仕事で通った事があり、興味をいだいて眺めた事があります。
『吾輩は猫である』は教科書にも載り、あまりにも有名です。
一躍脚光を浴びた漱石・・・・です。
聞きかじり、読みかじりを・・・・
・近くの主婦から貰い乳で育ち、塩原家の養子になる。養父母が離婚、夏目家に戻る。
・漱石の生地に公園がある。『我輩は猫・・・』の猫でなく漱石が飼っていた猫の事である。
・漱石の頭脳ハ逸品だった。東大の医学部に漱石の脳が保管してあると思いました。見学したのが古で・・・・詳しい事は忘れた。頭の好い人は目方が重い。
・漱石は、胃が悪く胃潰瘍が元で死去。
・漱石は金之助と言い、少年時代は東京・神楽坂を根城に遊び歩いた。浅草にもよく通った。
「智に働けば角が立ち、情に竿を差せば流される・・・・・・・・・」
どんこさん有難う。
漱石の事について又ジックリ読み返してみよう。
漱石についてのエピソードの数々、ありがとうございました。
漱石が熊本の地に初めて降り立った駅は池田停車場(現JR上熊本駅)えdした。その駅舎は明治の名残を留めてつい最近までありましたが、改築のため取り壊されました。駅前広場には漱石の銅像が建っています。
「二百十日」の舞台になった阿蘇ではあそしの内牧温泉の各旅館が温泉入浴料を12月9日まで二百十円にするサービスもあります。
お隣の玉名市(旧天水町)には「草枕」ゆかりの「那古井旅館」が現存し、人気があります。
はるばる愛媛からいらっしゃいました。四国からのご訪問は初めてです。
私の近くの娘さんが愛媛に嫁いでいらっしゃると聞いています。先日愛媛ナンバーの車を見ましたので、里帰りされていたのでしょうね。
子規は好きな俳人(歌人)の独りです。記念館も見てみたいです。
もう何度も行っていますが、こんな街中に、こんなに立派なまま
漱石の家が残されていたとは知りませんでした!
今度熊本に行ったら訪ねてみます(^^)
ホトトギスって花もあるんですね。鳥しか知りませんでした。
無知なもので・・・(笑)
この辺り、ちょっと入りくんでいるので探しにくいかも知れませんが有名な場所なので聞けばすぐ教えてくれると思います。是非、お訪ねになってください。事前に依頼しておくと女性館長の中川さんが親切に説明してくれます。
電話:0966-325-9127
(休館日 月曜と年末年始)
今年は漱石に因んだイベントが目白押しです。こういう機会に文豪を見直してみるのもいいことだと思います。
私は現職中に奮発して岩波の漱石全集全15巻を買っておいて良かったと思います。
チドリです。多分ここで見られます。
朝のhttp://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/de/e124373bd990af4afc3db25fbb58d4ff.jpg
私は初版本がとても懐かしいです。
むかしほるぷ社から出版された 初版本の復刻版というのを買ったんですがそのなかにありました。
日本文学と児童文学とがあって随分高かったと思います。
巻末には当時の金額が書いてありました。
役に立ちそうな人に順々にあげてしまって、今残っているのは「風の又三郎」昭和14年12月20日2円
「三つの寶」芥川龍之介 昭和3年6月20日 5円
「とんぼの眼玉」北原白秋 大正8年10月15日 1円90銭 などです。
ほるぷ社からの初版本の復刻版。覚えています。生協が取り扱っていました。確か昔の教科書の復刻版も手がけたのではなかったでしょうか。
いい本を手に入れられていたのですね。
漱石夫人が長女に筆子と言う名前を付けられたのは、自分が字が下手であったため、この子には字が上手になってもらいたという願いがあったそうです。
いつの時代でも親の願いは切なるものがありますね。
私、高校時代、文芸部だったのですよ。
才能はないので、作品づくりはだめですが
恩師が松尾芭蕉、高浜虚子に傾倒していたので
『奥の細道』を訪ねて歩いたり
正岡子規、樋口一葉を訪ねて
台東区を歩いたりしていました。
だから、文学散歩大好きなのです。
そちらを、ぜひ訪ねてみたいです。
今度行ってみます。
昨日新聞社が発刊した「熊本県万能地図」を購入しましたのであちこち眺めているところです。