7日の朝、七草粥を作ったのだが、大失敗をやらかしてしまった。去年は6日の夕方遅くに七草を買いに行ったら、七草が売り切れていて、乾燥した七草を入れて作る羽目になったので、今年は、前日に購入し、用意しておいたまでは良かったのだが、7日の朝、パックを開けてみて、中身を見たら、蕪のようなものと大根みたいなものは分かったのだが、そのほかの草はどれがどれだか検討がつかず、本当に七草が全部揃っているのか、分からなくなった。まあ、取り敢えず適当に入れれば良いだろうとそこはいい加減に済ませることにした。
子どもの頃、七草粥を食べていたが、本当に七草粥だったのだろうか?だいたい我が家の近辺には、この時期、青物らしきものは見当たらなかったはず。正月7日に七草などというものは存在するはずはないのだ。せいぜいあっても蓬だろうが、それも、時期的にはもう少し後のことだろう。旧正月のころ、日当たりの良いところには、若葉が見られるようになる。七草というものは、その頃に生えるものの筈だと思う。母は自転車にも乗れず、買い物にはいけなかった。父親がバイクを走らせ、七草を買いに行ったとも思えない。適当に、道端に生えている草を入れただけだったのだろう、そうに違いないと考えはめぐった。
本題の七草粥に戻ろう。鍋で粥を作れば良かったのだが、それも面倒と思い、炊飯器の粥モードで作ることにしたのだが、米を洗って、炊飯器に仕掛け、そして、七草を投入、スイッチを押した。それがまずかった。
妻を起こし、朝の薬を飲ませた後も、炊飯器はまだ炊飯中だった。そうか、粥は時間が掛かるのだろうかと妻に言うと、妻は怪訝そうな顔をしたこちらを見る。ようやく炊飯が終わって、妻の前に、出来上がった粥を出した。できた粥は、七草がどうも煮えすぎていてべたっとなっていて、粥もねばねば状態。イメージしていた七草粥とはどうみても思えない。「炊く前に七草を入れてしまったの?」と非難の顔。そして、一口食べて、がっかり、呆れたような顔。作った私も、とても七草粥とは思えなかった。さらに、「餅が入っていないよ!」と一言。これには自分自身も驚いた。「そうだよ、七草粥には餅が入っていたんだった!」と自分自身で呆れてしまった。
来年は、ちゃんとした七草粥を作ります!でも、来年まで、この失敗を思えているかどうか?私のぼけは来年はもっと進んでいることだろう。ああ、嫌だ嫌だ!