邪馬台国・奇跡の解法

古代中国の知見と価値観で読む『倭人伝』解読の新境地

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

●くまモンの地元が邪馬台国だった

2013-11-04 | ●トップページ
<お知らせ> 当該サイト制作者(通称.伊作)は、2014年1月8日病いのため永眠いたしました。 生前のご高配とご親交に、遺族一同感謝申し上げます。 なお、当該サイトは個人の遺志により、皆様の研究の一助になればということで、 未完成の部分もありますが、このまま公開を継続してまいります。 なお、感想やご質問などに対して制作者が回答する事はできません。 また、いただいたコメント等は一定期間を置いて削 . . . 本文を読む

●このブログに関する特記事項

2012-08-21 | ●トップページ
開設以来3度目の大規模改装が終りました。(2012年8月完了) 構成を組み替え、可能なかぎり見やすく・分かりやすくまとめました。 ●このサイトの見方について。 日ごとに書き込む日記形式のブログではなく、一つの論考作品を一気アップしたものです。本を読むように読み下げていくように構成を組み替えてありますので、先へ読み続けるにはページ左下部にある「次ページのタイトル」をクリックしてください。 ●この . . . 本文を読む

●良く使われる用語

2012-05-28 | ●『倭人伝』を読むための基礎情報
 『倭人伝』はむろん、これを収録した『三国志』は、古代中国の王朝制度下にあって、中国の知識人を読者対象として書かれた歴史書である。『倭人伝』の記録内容をよく理解するためには、中国王朝の儀礼・制度などをを知ることが不可欠になる。とくに文脈や行間のいうところ(書かないで告げている意味)を読むためにも非常に重要なことなので、これらについて簡単に解説する。 ●中原  中国の文明の中心。転じて天下中央の . . . 本文を読む

●冊封体制という用語の誤解

2012-05-28 | ●『倭人伝』を読むための基礎情報
●冊封体制という用語の誤解  朝貢外交に関連して誤解されやすいのが冊封(さくほう)という言葉である。誤解したまま、倭国が中国王朝に臣従していたという逆さまの歴史を語る傾向が強いので、誤解をなくすために特にこの件について触れておく。  1962年に西嶋定生氏が唱えた冊封体制とは、「中国の皇帝とその周辺諸国の君主とが名目的な君臣関係を結ぶこと。これによって作られる国際秩序」をいう。  「名目的な君臣 . . . 本文を読む

●歴史書の歴史

2012-05-28 | ●『倭人伝』を読むための基礎情報
●歴史記録の書かれ方  天子は神聖な存在であり聖人君子だから、オープンで公明正大を旨とする。そうしたことから、天子や高官らの周辺には張りつきの史官(書記官)がいて、その公式発言や行動を逐一記録した。これが歴史記録のはじまりである。歴史記録は天子の周囲だけに限らない、高位にある諸将・諸官に至るまで張りつきの史官が配されていたし、中国全土の諸王・諸侯が史官を抱えて個々の歴史を記録した。そうすることが、 . . . 本文を読む

●中国人のいう倭と倭人

2012-05-28 | ●『倭人伝』を読むための基礎情報
●倭人の定義  倭人については姉妹編の『倭人の来た道』で詳しく論証しているが、私は縄文後期から継続的に長江流域から渡来した非漢多系民族がその主流を占めていたとみている。ここではそれとは別に、そもそも中国人のいう倭・倭人とは何だったのかを確認するために、これらに関する文献記録を中心に、時代とともに倭と倭人の定義が変化した経緯を確認する。  「漢語としての倭人は、背が低く、猫背で、かがみ腰の人を意 . . . 本文を読む

●朝鮮半島の倭と日本列島の倭

2011-07-28 | ●『倭人伝』を読むための基礎情報
 中国歴史書のいうところによると、朝鮮半島南部の沿岸部と島嶼部一帯には、紀元前のかなり早期から倭人が住みついていようである。3世紀に現地調査した記録による『三国志』韓伝によれば、倭人は辰韓で産出する鉄を韓人やワイ人に混じって採掘していたという。また、朝鮮半島の倭人居住地帯に近いところでは、辰韓人の男女は倭人と同じ文身をしており、馬韓人にも文身をする者がいたという。  ※『倭人の来た道』でも触れてい . . . 本文を読む

●倭国の実像

2011-07-28 | ●『倭人伝』を読むための基礎情報
 歴史探求に求められる条件の一つは、歴史に対して畏敬の念をもち、歴史と、その時代を生きた人びとを正当に評価することである。数多の古代史論の中には、3世紀の倭国は原始社会に毛が生えた程度のクニの集合体というかと思えば、その中枢機能は2世紀から畿内にあって瀬戸内海も九州諸国も遠隔支配していたという具合に、論旨に併せてまちまちである。巷間の邪馬台国論争を観測すると、個々が抱く時代観や倭国像のバラつきが議 . . . 本文を読む

●鬼道の実態

2011-07-28 | ●『倭人伝』を読むための基礎情報
 『三国志』魏書・倭人伝によると、卑弥呼が女王になる以前は鬼道をやっていたという。  次の項で詳しく触れることになるが、卑弥呼の鬼道については、天師道の創始者・張陵と同じく「衆を惑わす」と書かれたことや、張陵の後継者たる張魯と同じく「鬼道」と書かれたこと。さらには、鏡と剣を神宝とする一方で二者を重要な呪具とする様式がそのまま伝わっている事実からみて、天師道(もしくはこれと根を一つにする太平道)だっ . . . 本文を読む

●鬼道が古墳時代をもたらした

2011-07-28 | ●『倭人伝』を読むための基礎情報
●二種の神器から三種の神器へ  卑弥呼の位置づけと評価は、ひとえに鬼道の解釈にかかっている。それはとりもなおさず、彼女の評価と時代の評価とも関連するし、『倭人伝』解読の行方を大きく左右する。時代の成熟度を無視した形で、卑弥呼を怪しげな個人レベルのシャーマンに見立てる意見もあるが、彼女が国家の政の根幹をなす存在だった事実は揺るがない。女王となった彼女は、あくまでも国家規模の祭祀を施行したというのが私 . . . 本文を読む

●やってはならない不当な文献批判

2011-07-28 | ●『倭人伝』を読むための基礎情報
 わが国の邪馬台国論には、実にいろんな方法がある。よくみかける『倭人伝』への責任転嫁法とはまた違って、『倭人伝』の信憑性を懐疑して文献の資料価値を無に帰そうとする手法もある。以下に、「やってはならない不当な批判」の見本として、幾つかの『倭人伝』批判をながめてみる。 ①『三国志』の編纂者・陳寿の人となりを批判する。  『三国志』編纂者の陳寿は、三国時代の233年に四川の安漢(当時は蜀領)に生まれ . . . 本文を読む

1・皇帝の詔書は軍事支援承諾宣言書

2011-07-28 | ●『倭人伝』を読むための必須条件
 冒頭で「『倭人伝』を読むための必須条件」を提示したが、それら個々の説明に入る前に、『倭人伝』全体を理解するためにぜひとも確認しておきいことがある。それが私の主張する「皇帝の詔書は軍事支援承諾宣言書」である。 ●皇帝の詔書の文言  「親魏倭王卑弥呼に詔を下す。帯方郡太守・劉夏が、部下に命じて汝の大夫難升米、次なる使者の都巿牛利を送り、汝が献じるところの男生口4人、女生口6人、班布2匹2丈を奉じて . . . 本文を読む

2・里程・行程読みの鉄則

2011-07-28 | ●『倭人伝』を読むための必須条件
 冒頭で、以下の通り『倭人伝』を素直に読むための条件を提示した。 ①最もかんじんな女王の都に至る「日程・方角・行程手段・距離」の4つの要素のうち、どれかがどこかで不明になるような行程説明はあり得ない。(すべてが出そろう読み方は一つしかない)。 ②海路航行距離は正しい距離測定ができない。測定不可能なものを正しく表記しようがない。そこで中国の数多の歴史書は、実際の距離とは無関係に1航海を1日単位表記、 . . . 本文を読む

・やってはならない行程読み

2011-07-28 | ●『倭人伝』を読むための必須条件
●やってはならない行程読み「順次読み」  不弥国から投馬国まで水行二十日、投馬国から水行十日と陸行一月で邪馬台国。  これが『倭人伝』の行程説明を順次読みする典型例なのだが、まさに、私が滅茶苦茶だと酷評する『梁書』の倭伝とまったく同じ読みである。  先に提示した『倭人伝』の文章構成分析図を、もう一度みていただきたい。たて線で分割したブロックはそれぞれに説明手順が異なる。これを漫然と続け読みしてはた . . . 本文を読む

3・陸路距離表記の実態

2011-07-28 | ●『倭人伝』を読むための必須条件
●陸路距離尺度の実態  『三国志』魏書・明帝紀は、司馬懿軍が公孫淵討伐に向かうときの洛陽から遼東までの陸路行軍距離を、執拗に4000里としている。帝紀の距離表記だからこれが魏代の公式尺度とみなされる。厳密には当事者たちの口頭発言だから、端数を切り上げた大まかなな数値である。地理情報として信頼のおける数値は、『後漢書』郡国史・幽州の記録が参考になる。 ・遼東郡:洛陽の東北三千六百里。 ・玄菟郡:洛 . . . 本文を読む