こんにちは。
大学のゼミの方でクルアーン(コーラン)の章句に関する発表される方がおられるので、
以前人を介して頂いた神戸モスク旧蔵書のタタル語クルアーン注釈書(al-Shaykh Nu’umān bin Amīr bin Uthmān, Kalām Sharīf al-Qur’ān al-Karīm Tafsīr Nu’umānī, al-Dūha, 1989(Qazān, 1911. Hīlsīnkī, 1958))を先日久方振りに見ていますと、附録としてテュルク諸語による注釈書のビブリオグラフィーなんてのが収められいるのを見つけました。
同ビブリオグラフィーでは、アラビア文字表記によるものを中心に、ウイグル語・アゼリー語・トルコ語・タタル語などの諸注釈書の名が幾つか挙げられており、「こんな本も出てるのね」などと、今更ながら感心させられることしきりだったのですが。
KazanやIstanbulで出版された書籍に混ざって、一つだけ東京で出されたタタル語による注釈書が紹介されていました。
Ibn Asad al-Hamīdī(Shaykh al-Islām), Qur’ān Tafsīrī[Kur’an Tefsire], Tūkyū, 1950(Qazān, 1905).というのが、その本なのですけれども。
個人的に大変興味深く感じられたのが、この本が日本が未だ敗戦による傷から立ち直っていなかった1950年代の初めに出されている、ということです。
ビブリオグラフィーには同著者による同名書籍が1905年にKazanで出版された旨が記されていることから、同書は日本において1から編集されたものではないのでしょうけど、戦後の混乱未だ冷め遣らざる時期においても、異教徒の地で信仰生活を営むタタル人ムスリムたちが存在した、ということを示す1つの証拠となるかもしれませんね。
個人的には何か面白そうな本ですので、
今度東京へ行く際には、代々木のモスクへも行って、話を聞いてみようと思います。
それでは。
大学のゼミの方でクルアーン(コーラン)の章句に関する発表される方がおられるので、
以前人を介して頂いた神戸モスク旧蔵書のタタル語クルアーン注釈書(al-Shaykh Nu’umān bin Amīr bin Uthmān, Kalām Sharīf al-Qur’ān al-Karīm Tafsīr Nu’umānī, al-Dūha, 1989(Qazān, 1911. Hīlsīnkī, 1958))を先日久方振りに見ていますと、附録としてテュルク諸語による注釈書のビブリオグラフィーなんてのが収められいるのを見つけました。
同ビブリオグラフィーでは、アラビア文字表記によるものを中心に、ウイグル語・アゼリー語・トルコ語・タタル語などの諸注釈書の名が幾つか挙げられており、「こんな本も出てるのね」などと、今更ながら感心させられることしきりだったのですが。
KazanやIstanbulで出版された書籍に混ざって、一つだけ東京で出されたタタル語による注釈書が紹介されていました。
Ibn Asad al-Hamīdī(Shaykh al-Islām), Qur’ān Tafsīrī[Kur’an Tefsire], Tūkyū, 1950(Qazān, 1905).というのが、その本なのですけれども。
個人的に大変興味深く感じられたのが、この本が日本が未だ敗戦による傷から立ち直っていなかった1950年代の初めに出されている、ということです。
ビブリオグラフィーには同著者による同名書籍が1905年にKazanで出版された旨が記されていることから、同書は日本において1から編集されたものではないのでしょうけど、戦後の混乱未だ冷め遣らざる時期においても、異教徒の地で信仰生活を営むタタル人ムスリムたちが存在した、ということを示す1つの証拠となるかもしれませんね。
個人的には何か面白そうな本ですので、
今度東京へ行く際には、代々木のモスクへも行って、話を聞いてみようと思います。
それでは。