こんにちは。
今回は「言語」に関することですこし。
以前の記事でモンゴル語の学習を始めた旨を書かせて頂きましたが、
日本ではどちらかといえば学習者が少ない言語の勉強などしておりますと、
「それってどんな言語/言葉?」なんてことを聞かれることもあります。
で、「語句の並び方で言えば日本語や朝鮮語に近い」とか、
「トルコ語なんかにも文法がよく似ている」などと言いますと、
「何ヶ国語やってるの?」なんて返事を呉れる人がいたりします。
「何ヶ国語やってるの?」「何ヶ国語できますか?」
日本においては、学習する(した)言語の数を聞く際、よく聞かれる表現ですね。
しかしながら、この「何ヶ国語」という、ある言語はそのままある「国家」と結び付けられるという前提を元にしたような表現には、少し違和感を覚えます。
例えば、「私は(現代)ウイグル語とサラル語とサリグ・ウイグル語を勉強しています」などと言った場合、言語の数から言えば三つですが、使われている「国家」の数は一つでしかないわけです。
ウイグル語も、サラル語も、サリグ・ウイグル語も、それぞれ「中華人民共和国」に居住する「少数民族」の言語ですので。
(もっとも、ウイグル人は旧ソ連領に逃亡・移住した人々も結構いますが)
「国家」を持たざる「民族」言語の存在や、
「公用語」が多数存在する「国家」というものが現実に多数存在する以上、
「一民族・一国家・一言語」といった認識に結びつきやすい表現は、余り使わない方が妥当ではないでしょうか。
考えすぎなのかもしれませんけれどね。
それでは。
今回は「言語」に関することですこし。
以前の記事でモンゴル語の学習を始めた旨を書かせて頂きましたが、
日本ではどちらかといえば学習者が少ない言語の勉強などしておりますと、
「それってどんな言語/言葉?」なんてことを聞かれることもあります。
で、「語句の並び方で言えば日本語や朝鮮語に近い」とか、
「トルコ語なんかにも文法がよく似ている」などと言いますと、
「何ヶ国語やってるの?」なんて返事を呉れる人がいたりします。
「何ヶ国語やってるの?」「何ヶ国語できますか?」
日本においては、学習する(した)言語の数を聞く際、よく聞かれる表現ですね。
しかしながら、この「何ヶ国語」という、ある言語はそのままある「国家」と結び付けられるという前提を元にしたような表現には、少し違和感を覚えます。
例えば、「私は(現代)ウイグル語とサラル語とサリグ・ウイグル語を勉強しています」などと言った場合、言語の数から言えば三つですが、使われている「国家」の数は一つでしかないわけです。
ウイグル語も、サラル語も、サリグ・ウイグル語も、それぞれ「中華人民共和国」に居住する「少数民族」の言語ですので。
(もっとも、ウイグル人は旧ソ連領に逃亡・移住した人々も結構いますが)
「国家」を持たざる「民族」言語の存在や、
「公用語」が多数存在する「国家」というものが現実に多数存在する以上、
「一民族・一国家・一言語」といった認識に結びつきやすい表現は、余り使わない方が妥当ではないでしょうか。
考えすぎなのかもしれませんけれどね。
それでは。