地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。
ゆうゆう職場



いよいよ野良作業本番の春がはじまった。

水稲苗の育苗ハウスのビニール張りを始めた。昨日は腰一周張り終え、夜が明け(今の私にしては超早朝作業で)妻と二人して天井側のシートを広げ、パッチンとビニールを留める”パッカー”で固定した。そこで雨が少々本降り気味となり、また、一時中断。強風さえなければこれで十分持ちこたえるが、一両日中にはハウスの骨組み間隔毎にプラ製の黒テープを張り、天井部からハウス全体を押さえこむ必要がある。

 ビニールハウスに風は大敵。昨年3月のある夜、強風がハウス全体を揺すぶったので戸口を抑えていたつっかえ棒が外れてしまった。ここぞとばかり?風がハウス内に吹き込み、内部に風を孕んだハウスは無力なもので、天井部のビニールシートはズタズタに引き裂かれてしまった。パイプ骨組みが大丈夫であったのがせめてもの幸い。ただ新品シートの張替えなど、甲斐のない仕事が情けなかった。注意しよう。とりあえず、今日のハウスには過剰なほどのパッカーを打ち込んでおく。

   (おっと、リンクした昨年3/28の日記には燕さんが登場してある。こちら待ち遠しい)

 いつもより20日ほども早くハウス準備したのは、水稲育苗前の3月期に保温が効くハウス内で野菜苗やサツマイモ苗を試したいがため。今まで田植えが終わったGW前後に夏野菜苗を購入して植えておったが、一度は自宅で苗を育てるのも経験かな と。もちろんサツマイモ苗も作りたい。

 

そのⅡ  逆順記載になったが、上旬にはJAから籾種が届いている。3/20過ぎたら10日間ほどの水浸で催芽準備。代わってジャガイモ種、1週間以上になる小屋の窓際で目出し中。そろそろカットして種芋を植えこむかな、が、今日の小雨で畑の準備ができていない。ぽちぽちエンジン始動だな。

 

 



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ふと、両親が生前に口にした言葉を思い出し(幸いに父・母揃って思い出したので)記しておく。

 

・母=ことわざ的 『さきぶれに もろたためし なし』

  ある人から(お世話になり・よくしてくだすったので)今度、お礼に貴女にコレコレのものを差し上げ ましょう と言われても当てにしてはいけない。そういった人に限って、なぁにもしてくれないものだ とのいましめ。

 

・父=時折の言葉で妙に響きが好い 『ぼんまい かわく』

   忙しくって あれやこれやてんてこ舞い の様子を述べるおりに使っておりました。

   ぼんまい?は意味不明です。かわく はなんとなく分かり、念のためのWEB辞典で「好ましくない物事をすることをののしっていう語。」・・・・音が「吠え面をかく」にも似てますなぁ 

 



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午前は畑作業と理髪で、午後はNSIP治療薬の処方のため四日市市の県立病院へ向かった。主治医に最近のだるさ・体力の衰えを訴えるも、そのような病気ですから と慰められる。気長に行くしかないだろうが、野良に出ることができる期間はどれほどだろうと欲を出すと、落ち着かん。いかん。

 

HCなどへ寄り道し帰宅したら、つもりをした畑の耕耘がなぜか面倒になった。ま、いいだろう。その代わり、昨日の砂糖漬けにしてしまったキムチ白菜だけでも作り直そう。当たり前だが、慣れない作業も昨日の下地があるからはかどって、少し前に終えることができた。素手で塩をいぢったから野良で荒れた皮膚に滲みる。都合、1個と半分の白菜球(6kg)を刻んで300gの塩漬けにするだけだから、朝飯後にでも済ましておくべきだな・・・ま、よろしい。

JAが配送してくれた稲作籾種(4kg×8袋)と一緒に塩漬けをパチリ。好い重し板がなく皿で代用、直方体の石が重すぎないかしら・・・妻の指導を待つ。日記していたら外は夕闇、今日は(も)散策は止めだな。



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昨年の畑、おかげで白菜が沢山できた。

食べきれない分は畑に隣接の団地の若夫婦さん達、あるいは妻の知り合い方々に貰っていただいて居るが、それでも畑に立ち残っている。今頃になって恥ずかしいことだが、白菜消費?のためにキムチを作ろうとした。妻は危惧しておる。台所に立たないこととは別に、数年前にも作ってあげた!のに保存ママであったではないか と。それでも言い出したら聞かない連れ合いには慣れっこで、諦め放置してくれる。

いつもどおり妻不在の午後となり、WEBレシピでできる限り簡単な作り方を探す。最初から一口大にカットして一晩塩漬け法がよさそうである。たしか、妻に作り方を尋ねた折の答えに近い。よしっ と、ひと玉の重さを量ろとしたが、2kgーmax.の電子秤ではオーバーロードとなり、半割で2kg弱であった。

不器用な包丁さばきでひと玉4kgをカット、レシピとおり5%の塩200gとをプラ樽内で混ぜ合わせ、あとは重しだけだなぁ と手を洗おうとして驚いた;驚愕というのかな・・・。塩でなく砂糖200gをまぶしておった。・・・・・・・

(ここまでを夕食前に書いて居ったら、妻帰宅で謝りました・・・・いつものように笑われました。

 以下、娘の誕生日のシャンペンと焼酎にぼんやりしてしまったけど書き続けます)

一気に嫌気がさし、水洗したら との娘の助言を振り切って?砂糖白菜を畑に捨て、気分直しに夕暮れの散策に向かう。逃げ出す。鈴鹿川の左岸を歩きながら亡父の戒め言葉を思い出す。小さいころから前後を考えもせずに手足を動かす息子を心配してくれたのか『ワレも、よぉカンコ;勘考 せぇ』と。手先も器用だった父のことだから、一時は「勧工業」のことをカンコと言ってると思い込んだこともあった。

その甲斐もなく、踏み出す道々を踏み外してばかり、砂糖白菜など日常茶飯事の私。『仕損ない・しぞこない=父が言うと私の耳には「ひぞこない」でしたが・・』するなよ と父は何事にも心配してくれたのでしょうが、おとうさん&おかあさん、幸い佳い/好い妻がそばにいてくれますので何とか生きておりますぞ。

 

チョイ寂しいので、写真をもぉ一枚。

一昨日の夕刻に安楽川右岸の堤防内に細竹をもとめていたところ、発泡スチロール製のラジコン機の古い残骸らしきものを見つけた。踏み跡の濃い竹藪だから、何人かが見つけたはず。きっと対岸河川敷のゲートボール場らしい均平な場から飛ばされたモノと思う。時々、ラジコンに興じる人々を観る。ラジコンには興味がないので、私もママ放置。現職時代に同じGで過ごし、水道事務所の所長となったN谷君なら、喜んで蘊蓄をしゃべってくれるだろうなぁ~ラジヘリのことなどうるさかったなぁ~ドローンなんて脳裏に浮かばなかったなぁ~



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宿痾と書くと大げさだが、芳しい治療法が無い肺炎が愚図つくのか、息が続かない身体をもてあそびダラダラした生活が続く。時間を失してブログすら書けない。ただ体力をすこしでも維持しようと、散策だけは続けておる。ここ数日のウォーキングはまとめてブログ別項にUPしよう。毎日とはいかずとも、少しでも家から出んといかん貧乏性がドライビングフォースのウォーキングだろうな。せっかくのブログ日記も思い付いたらメモつもりで簡単に記しておこう。時折書き込む5chレスでは「チラシの裏にでも書き込んでおけっ」と叱られるほどのものにもならんだろう。

ここしばらく市立図書館で借りだす本のほとんどが女流作家もの である。そのことを意識するようになってしまった。先にも記したとおり、ガラクタ相当であろう手持ちの書籍ほとんどを廃品出荷した。ま、書籍とはいえない文庫本の容量がほとんどであったが。このパソに向かう机の棚に今あるのは、「アラン・ブース;津軽、飛騨白川郷へ、西郷隆盛の道そして日本縦断日記 計4冊」、「中上健次;枯れ木灘と風景の向こうへ 計2冊」、「イー・オリョン;縮思考の日本人」、「太宰治集;新潮社54」(そして近く古本で入手・並べたい「梶井基次郎」)くらいである。ほかの作家の文庫本程度は20冊ほどあるが(街道シリーズなど司馬さん作品も捨ててしまった。つげ義春は捨てることができない などなど)、これくらいが今の私に素直に読めるものらしい と判断して残した。

振り返れば男性作家のモノが大半だった。時間潰しが大事であった海外推理・警察物などでは女性作家が少ないし、女性作家にはなじみがなかった。あ、警察物では「笑う警官」のマイ・シューヴァル&ペール・バール夫妻を忘れていた。角川文庫でしか読んだことがなく、「エド・マクベィン;警官嫌い・87分署シリーズ」に紛れて捨ててしまった。

 さて文庫本では木山捷平さん井上光晴さん等々めちゃに読んだはずが、書名もなにも出てこんし、図書館で借りる気もしない。その頃の、おそらく職場での&家庭での我が想いとのすれ違いの一つ一つが苦い思いで湧き出すのを避けるのだろう。いや、正しくはゴチャゴチャした思考はもぉ沢山なのだろう。張り切った男性思考に飽きたのかしら・・・正直なとこ、私の脳内ではついていけなかったし、今後もダメなのだろう。

そんなこんなで(訳の分からん理由だが)つい女性作家モノを借り出す。そして、大事なことだが、読める。現在の枕もとの5冊。どれも宜しいぞ。



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前の前、2/2節分の記事では『節』が気になりながら書き終わった。節分のことから、勝手に、十干十二支のこと等々へ発散してしまった。区切り目をつけることに苦手な生活をして居るからこそ、節目にこだわってみたかった。

その節分の頃、ミニ団地に接してしまった竹藪で竹切爺さんになった。何十年も前に換地処理で入手した僅かな山林だが、当時から放置ママで竹が生い茂り最近造成された団地住民に迷惑かな と、要らん気遣いをしておる。同じ村落の大地主のK宅が周りの山林を所有するが、同じく竹原生林状況。冬のうちに高さ1mで切れば竹の根が弱るとのことで、我が家分だけでもと数日間はせっせ切りだして、主幹は適当な長さで積み重ね、鉈で払った枝だけは軽トラに満載してギリギリの赤道から市の環境センターへ持ち込んだ。

さてその作業で、恥ずかしながらこの歳になって竹も節で折ることができると気づいた。もちろん、先端の細くなった部分や枝の節部分のことではあるが。小学校にあがる前から、自宅東の竹藪から切り出した竹を切り刻んで時間をつぶしたものだが、竹を折ることは試したことがなかった。ほとんどの植生は成長方向に繊維質が揃って、曲げることはできても折ることはできない(高い抗折力)。なのに、節の部分では何故か折れる・・・少し調べたくなった。もぉ手元にないミクロ顕微鏡でなく、この眼をつかってマクロ観察かな~

節で変わる竹の性質に気づいて、竹藪ではなぜか岩にできた柱状節理の割れ目を思い出したが、節理を知らなかった自分の人生にも気がつき、節目で変わる人生 もあるだろうし。



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温暖化問題を何故かセクシーと言った、K大臣のことは無視。が、NHK-BSで流れた『薄氷のシベリア=』ALTAYFILM(ドイツ 2020年)制作 は、無視できない。Kも観ただろうか、育児に忙しく観る暇がないかな?

スタート画面は、暖かさでツンドラが溶け、大地が大きく崩落した場所から。表出した氷断面から、埋もれていたマンモスの骨(牙も?)を集めて金にする若者たち。長老は彼らに、恐ろしい場所に近づくな と言う。

続いて、オビ川河口に移る。トナカイを飼う遊牧民たちが困惑している。北の海岸沿いの夏の牧草地の餌が少なくなる頃、トナカイの群れとともに     冬の草をもとめて南下したい遊牧民たち。しかし、河口に張った氷が薄くて渡河できない。厳しい寒さ・トナカイの餌不足に群れの統率 など困惑だらけの状況下に置かれてしまった。

最後の画面はスタート画面に似ていたが、ちょいと違う。きれいな形状のクレーターが映る。上空ヘリコプターで観察すると、亀甲模様をした表面をもつ円墳状の丘がある。おおよそ300個ほど確認した らしい。クラックが深くなり、ついに内部から破裂、砲弾弾着でできたようなクレーターとなる。地表を持ち上げて裂け目を造り、ついに破裂(爆発?)させる そのエネルギーはツンドラに溜め込まれたメタンガスとのこと。ツンドラ内部には莫大な量の炭素が蓄えられている と科学者が説明(CO?CO2?・・・は、私の理解力では不明)。これらC由来のガス・物質が放出されたら、温暖化のスピードは想像もつきにくい。

 

よくWEBでも見かける未知ウィルスも含め、ゾンビのようにツンドラからワラワラなんやかやと出てくる と思う。温暖化がママ進めば、数十年ほどでツンドラの75%ほどが消滅する らしい。

             
    

 

 



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春分の一日前にあたる節分の日は2/3であることが多いのに、124年ぶりに今日2/2となった(らしい)。太陽を回る地球の公転が正確に365日でないために生じるズレとのことで、25年にも2/2が節分であるらしい。恵方巻を食べるでなく、豆まきもしなくなったのでどうでも好い節分だが、間違いなく春が近づく。田圃と畑の用意もボチボチ。予約品が届いたと近くのコメリから知らせがあったので、お昼前に田圃の土質改良剤=ケイカル を引き取りに行く。20kg袋を40個で800kgもあり、軽トラ積み込みを面倒に思ったが、女子職員さんがフォークリフトでパレットのママ積み込んでくれた。自宅には既にJA購入の育苗培土が やはり40袋近く置いてある。ケイカル用のスペースが苦しく、空き地に作ったパイプハウスに置いておく。雨で緩くなった田圃が乾いたら、トラクター耕耘のついでに散布しよう。夕刻の散策では安楽川右岸沿いの田は麦の緑が広がり始めている。春はすぐそこ。

閑話休題;節分のことを書きたかったのでなく、124年の数字並びと節という文字から、脳内が50年以上も前に教養で選択した日本史の授業に跳んでしまった。『讖緯(シンイ)説』である。あるいは『辛酉思想(革命?)』である。理系に進むはずなのに、なぜかこの日本史の授業が好きであった。サン・チン・セイ・コ・ブ と覚えた倭の五王のこと、くだっては法隆寺のこと等々がよみがえる。あ、当時珍しく自家用車を持った〇橋君のドライブで豊中から法隆寺まで4,5名で行ったのだったなぁ~これも授業のはずみで、はずみすぎて1年後くらいにはデモにまで行ってしまったのだなぁ~

 イカン、脳がいつものように発散拡散しておる。さらに閑話休題する。十干十二支(ジュッカン×ジュウニシ=甲乙丙丁・・・×子丑寅・・・)が一巡りで60年であるが(=10&12の最小公倍数60)、なにか佳きことはこれの21倍=1260年ごとに起きる との思想のことである。大化の改新・天智天皇即位?の1260年前を神武皇紀 とした(らしい)とその授業で習った。なお、溶け始めた脳内のためウィキなどで確認したところ(どだい、シンイ説の読みも字も出てこないし、シン絡みで辛酉思想とごちゃごちゃになっていた)21回分の1260でなく22回分の1320年ごとに佳きことが との説もあるらしい。佳いことの節目節目にあたる・・・詳しくはそれこそ分かりませんし、私には以上で十分です=教授が教えて下すったはずの1260年にしておきますわ。

 

 〆るにあたり、春が近い写真だけでは寂しいので、もう3回ほどは観た六角精児さん「呑み鉄の旅」青森編から、六角さんが『鉄人28号』と言った自家走行はしない黒色の鉄の塊ラッセル車の写真を揚げておく。うまいこと言いますな、六角さん。

なお『節』では書き足らんことがあるので、明日元気なら書きます=竹のこと。

 

 



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