地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。
ゆうゆう職場





猛暑の今年、盆を過ぎても暑い。秋(田舎では稲のこと)が進み、稲の色があころむ。大型と騒ぐ台風も近いようで、稲刈りを急ぐ気持ちが入道雲のように沸く。
例年になく24日の地蔵盆を待たず、21日に田刈りをはじめた。
 田植えは一日で終わるが、田刈りは1週間以上はかかる。たとえば、我が家の2条刈りコンバインでは一日3反弱の刈り取りで精一杯。もっとも乾燥機の容量も3反分は無理。21日に上の3反まちの大部分、翌日には残りと下の3反まちの大方を刈り取って、2枚の写真状況に。隣の田圃ではYさんも刈り取っていました。23日も朝遅くコンバインのカバーを外して、作業再開。上に戻って2反まちを仕上げる。(稲草の露がなくなる頃を見計り刈り取り作業を始める ため、やや朝は遅くなる)
これで乾燥済み籾をストックする籾ホッパーと乾燥機が(最終日の2反分で)それぞれ1杯。これ以上の刈り取り作業は無理。・・・・毎年最後となる川沿いの

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




連休の頃からか、BS放送でドキュメンタリーシリーズ「もうひとつのアメリカ史」を観た。
この8月に広島、長崎、沖縄を初訪問する米映画監督のオリバー・ストーン氏(66)が手がけている。
氏はプラトーンや7月4日に生まれても制作とのこと。
【ある記事の抜粋から】
今回の訪日で、当時の米政権内では多くの反対論を押し切って原爆投下が実行されたことなど
「憂慮すべき史実の数々を多くの日本人に知らせたい」としている。

 ストーン監督は昨年、第2次世界大戦前夜の1930年代からオバマ大統領登場に至る米国現代史を
独自の視点で描くドキュメンタリーシリーズ「もうひとつのアメリカ史」(全10本)を制作した。
脚本はアメリカン大学歴史学科のピーター・カズニック准教授(65)と共同執筆。
特に原爆投下には1本を充て、当時の米政権内には反対する声が多く、原爆を使わずに日本を降伏させることが
できたにもかかわらず、最終的にあえて原爆投下に踏み切った経緯を明らかにした。

の、内容を居間で寝そべりながらTV録画画面で見てしまう、ぐぅたらな自身。
今朝8/5の紙面には、米国の資料公開により
1945.7月には英チャーチルが米の日本への原爆投下に合意しておった のが明らかになった と。
このことに関わらず、
「もうひとつのアメリカ史」によるとチャーチルは名政治家でなく
悪い商人のように見ることが出来る。
そして,独を降伏させたのは連合軍ではなく日露不可侵にもとづいて
兵力を西部に終結させて粘り強く戦ったスターリンの功によることを 今になって知る。
(昼下がりの職場にて)



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





土曜の午後。畑の野菜(もどき)周りの雑草取りに汗を流した後の、
少し眠い疲れた午後。山の緑に逢いたい。

が、TVの前でゴロゴロしておると2時になんなんと・・・
近場の山に行くしか無く、名阪沿いのS杖岳へと軽トラ出勤。
林道から登山道へ一歩踏み込むと、よく整備されたクーラーの中の道。
汗を覚悟していたのに、もう秋か知らん。
700mに届かないのに、前山のようだから360°の好展望。
眼下には水枯れしたダム、遠く伊勢湾口には神島。南には風力発電機。
下りるのが勿体ない遅い午後。あすは検定試験。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )