神田 お玉ヶ池

2016年12月10日 | 東京のお散歩
秋葉原の近く、岩本町付近には昔「於玉ヶ池」という池がありました。
その大きさは、現在の不忍池ほどの大きさがありましたが
神田川開削の為に神田台地を削り、駿河台を造成した残土を
この池の埋め立てに使用し、宅地化した事で池は消滅しました。

江戸中期ごろまでは、景勝地とされていましたが、19世紀中頃、
つまり幕末に至る前には、すでに池は消滅していたようです。

「於玉」は、江戸時代に近隣にあった茶屋の娘の名前で、
ある時、性格も見た目も似た二人の男性から恋心を抱かれ
それに悩んだ於玉が池に身を投げ、その亡骸を池の畔に葬ったことから
それまで「桜ヶ池」と呼ばれていたこの池を、誰ともなしに
「於玉ヶ池」と呼ぶようになったという事です。

現在は、繁栄お玉稲荷や、幾つかの雑居ビル、区が設置した標識などに
「お玉」や「お玉ヶ池」の名が遺されています。



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