狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

「生命倫理」について・・・(3)尊厳死・安楽死に関わる告知・延命処置についての私の考え方

2013-02-08 21:44:54 | 予防医療の危険性と生命倫理
 尊厳死・安楽死の問題が有りますが、告知・延命処置について私は以下の様に考えます。
 私は、キリスト者であるが故に、聖書の指針を根拠とします。故に、例え痛みが強く、身体的・精神的に苦しくなろうとも、其の様な状態に置かれる事に神様の考え・目的が有る事を悟り、又、其の目的が何であるかを考え、神様が決める其の時(死)が来るまでは生きなければなりません生命の誕生や死は神様が決める事であり、人によって人の生命を操作する事(死期を直接決める事)は出来ません。よって、意識が消失して回復する見込みが全く無くなるまでは安楽死は間違いで、行ってはならないと考えます。殺人・自殺・自殺幇助に値する尊厳死・安楽死は間違いと考えます。
 人の命万物の創造主である神様によって造られ、又、神様によって人には他の動物と異り尊厳が与えられています人の命は其の人の持ちものでは無く神様の所有するもので、其の命を神様から託されている人間は、其の責任を持って生を全うしなければなりません。
 癌等の末期症状でのターミナルケアにおいて、を使用しての疼痛の緩和によるQOLの向上を図った場合に、それが結果的に生命を縮める事に繋がっても、其れは仕方がないと考えます。
 人は神様によって神様の役に立つ様にと造られた為に、死期をも含めた神様の立てた計画に乗っ取って、神様の考えに従って生きなければなりません。他人の考えは勿論、自分の考えで死期を決めるのは間違いです。
 命・自分自身は神様の所有するものである為に、普段以上に特に末期症状においては、神様に全てを委ねる事、つまり勿論、死期をも委ねる事が必要です。
 大脳の機能の消失で、且つ回復の可能性が全く無く、脳幹の機能のみが働く植物人間の状態においては、人工呼吸器等の生命維持装置を外しても構わないと、私の場合には思っています。