「誰の中にも」
【STORY】(goo映画様より引用させていただきました。)
長崎在住の清水祐一は、博多で働く石橋佳乃と待ち合わせをしていた。
しかし、待ち合わせ場所で佳乃は他の男の車に乗って行ってしまった。
佳乃を追いかけた祐一は、福岡県の三瀬峠で彼女を殺してしまう。
その後、長崎でいつも通りの日常を送っていた祐一は、以前出会い系サイトでメールをやりとりしていた馬込光代という女性と会うことに。
ホテルでお互いを求めあった後で、祐一は光代に佳乃を殺したことを告白するのだが…。
吉田修一のベストセラー小説を『フラガール』の李相日監督が映画化。
原作者の吉田修一は李相日と共同で脚本も手掛けるほどの意欲作。
この作品で描かれるのは、他人と理解しあうことなく、孤独な日々を生きている人間たち。
彼らは他者との触れ合いを拒絶しながらも渇望しており、ちょっとしたきっかけで犯罪に巻き込まれていく。
彼らは善人でも悪人でもなく、善人でも悪人でもあるのだ。
そんな二つの顔を持つ主人公・清水祐一を演じるのは、妻夫木聡。髪を金髪にし、これまでの爽やかなイメージとは違った一面を見せる。
馬込光代役の深津絵里も、清純派のイメージをかなぐり捨て、性欲やエゴイズムを持った生身の女性の姿をリアルに演じている。
「goo 映画」こちらから
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なんとも、重たい。
よく、悪人がいない作品はある。
「悪にも悪の理念があり!」
しかし、本作品は善人がいない。
善人も悪人もない。
人は人。それぞれの価値観で生きていて、決して悪いことをしようとは、決して思っていないのである。
世紀の大悪党アルカポネ。
アルカトラズ刑務所に収監されるほどの罪人ではあるが、彼もまた、自分を悪人とはいわないであろう。
彼も、彼の価値観や守るべき物のためによかれと思い事を成してきた。
結果的にそれは法に触れることであった。
という事ではなかろうか。
我々もまた、一つ方向性が異なるだけで何時、悪人と呼ばれるか分からない。
誰もいない灯台にこもり、北風にさらされ。
そんな寂しい景色の中に、身をおく可能性。
ゼロといえる方、いかほどいらっしゃるか。
そんな怖さを持った作品だったと思う。
とにもかくにも、心の殺伐さと、風景の殺伐さが印象深い映画に出会ってしまった。
だから映画好きはやめられない。
【STORY】(goo映画様より引用させていただきました。)
長崎在住の清水祐一は、博多で働く石橋佳乃と待ち合わせをしていた。
しかし、待ち合わせ場所で佳乃は他の男の車に乗って行ってしまった。
佳乃を追いかけた祐一は、福岡県の三瀬峠で彼女を殺してしまう。
その後、長崎でいつも通りの日常を送っていた祐一は、以前出会い系サイトでメールをやりとりしていた馬込光代という女性と会うことに。
ホテルでお互いを求めあった後で、祐一は光代に佳乃を殺したことを告白するのだが…。
吉田修一のベストセラー小説を『フラガール』の李相日監督が映画化。
原作者の吉田修一は李相日と共同で脚本も手掛けるほどの意欲作。
この作品で描かれるのは、他人と理解しあうことなく、孤独な日々を生きている人間たち。
彼らは他者との触れ合いを拒絶しながらも渇望しており、ちょっとしたきっかけで犯罪に巻き込まれていく。
彼らは善人でも悪人でもなく、善人でも悪人でもあるのだ。
そんな二つの顔を持つ主人公・清水祐一を演じるのは、妻夫木聡。髪を金髪にし、これまでの爽やかなイメージとは違った一面を見せる。
馬込光代役の深津絵里も、清純派のイメージをかなぐり捨て、性欲やエゴイズムを持った生身の女性の姿をリアルに演じている。
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なんとも、重たい。
よく、悪人がいない作品はある。
「悪にも悪の理念があり!」
しかし、本作品は善人がいない。
善人も悪人もない。
人は人。それぞれの価値観で生きていて、決して悪いことをしようとは、決して思っていないのである。
世紀の大悪党アルカポネ。
アルカトラズ刑務所に収監されるほどの罪人ではあるが、彼もまた、自分を悪人とはいわないであろう。
彼も、彼の価値観や守るべき物のためによかれと思い事を成してきた。
結果的にそれは法に触れることであった。
という事ではなかろうか。
我々もまた、一つ方向性が異なるだけで何時、悪人と呼ばれるか分からない。
誰もいない灯台にこもり、北風にさらされ。
そんな寂しい景色の中に、身をおく可能性。
ゼロといえる方、いかほどいらっしゃるか。
そんな怖さを持った作品だったと思う。
とにもかくにも、心の殺伐さと、風景の殺伐さが印象深い映画に出会ってしまった。
だから映画好きはやめられない。
この作品は期待外れでした。
妻夫木聡にとって意欲作だったようですが、深いものは感じられませんでした。
いろいろな解釈を当てはめられるという要素を持っていますが、悪人を相対的に曖昧にさせるテーマは被害者を貶めているようにもとれて、すっきりしませんでした。
いつもながら、erabuさんの見方は、私とは違う見方をされるので、楽しませてもらってますよ。
確かに悪を曖昧にすることは、被害者を苦しめることにもなりますよね。
先日も、耳掻きの女の子が殺された事件の判決が出ていました。
無期懲役でしたね。
被害者側はすぐに控訴したようです。
犯人の反省の色がかなり濃く、陪審員へのインパクトが強かったようですね。
だけど、殺された親御さんからすれば、自分で殺してやりたいくらいでしょうに。
微妙な位置に立つ作品かもしれません。
悪人って何でしょうね。
どこか一方向から見た定義ですよね。
一般的な方向。被害者の方向。加害者の方向……。
どこから見ても悪。
そんなことあるのでしょうか?
この作品で、そんなことが解決を見るわけではないでしょう。
難しいですね。