2009年5月25日以降、お父様が選択された生涯最後の茨の道を行かれた理由 「逆理の道」 金容成のブログから(5)
<父子協助時代において再びお父様を逆理の道に送った反逆勢力>
亨進様と國進様、お母様を前面に立てた教権勢力は、父子協助時代においてお父様を逆理の摂理へと送った反逆勢力である。お父様は、彼らの反逆を見ながらも、聖和されるその日まで一人も審判されず、彼らの信仰を取り戻そうとされる中、聖和された。
2009年5月25日、お父様は、石俊昊、梁昌植、金孝律、黃善祚、ソン・ヨンソク、お母様と全羅北道の食口がいる場で、次のようなみ言を悲痛な心情で語られた。
.これは呆れた話です。<中略・・・・・・> 峠、峠において、順理の法を通さない逆理の法を越えなければらない峠を越えて来たという事実を「遠い将来、歴史が証明し、記録することでしょう」というのです。 資料:「み言選集」612巻234ページ 2009.05.25
<天の権の中で統治する一つの世界>
お父様自らが歩んで来られたみ旨の道が、お父様の動脈を切り静脈を切る苦痛の中で、血の涙を流し、息の詰まるような位置を耐えなければならない道であり、そのような中で明日を準備しなければならない月日を生きてこられたと、お父様の悲痛な心情を語られた。
それが分かりますか?いたずらにそうしたと思いますか?血の涙を流しがら、息の詰まる位置で、この道を歩んで来ました。全て汚れてしまって、息のできる所がどこにもありません。私が私の手で私の足の動脈を切断しなければならず、手の静脈を切らずには行けない道です。その道を整え、また明日の準備をしなければならない歴史を経てきたというのが事実です。それが分かりますか? 資料:「み言選集」612巻235ページ2009.05.25 <天の権の中で統治する一つの世界>
お父様がこのみ言を語られてから7年が過ぎた。
2009年5月25日以降、お父様が選択された生涯最後の茨の道を行かれた理由はたった一つ、神様の摂理の為であり、2000年からお父様が聖和されるまで、最も心配された対象がお母様だった。
以上、金容成のブログ引用終わり
2009年5月25日に語られたお父様のみ言、その中の一節
「私が私の手で私の足の動脈を切断しなければならず、手の静脈を切らずには行けない道です・・・」
あまりにも壮絶なみ言ではないでしょうか!イエス様の十字架の苦痛を彷彿とさせる表現です。それほどまでに、何故真のお父様は悲痛な叫びのような心境を吐露されたのでしょうか。2009年5月25日 束草事件の悲痛な選択は何を意味していたのか?我々食口たるものは真のお父様のこの悲痛な心を知らなければならないし、我々自身がお父様をそうさせてきたと考えてみなければならないのではないだろうか!お父様のその心情を理解せずして、摂理も、み旨も教会もありえない。
お父様が最も心配された対象がお母様だった。このことを深く理解しなければ今日の統一家の分裂を回避し、統一を取り戻す道は見えてこない。
「逆理の道」を選択せざるを得なかった真のお父様の悲痛な心情を理解する者こそが、統一家に引き起こされた様々な矛盾と葛藤を収拾し再び希望の日(HOPE)を取り戻す資格がある者なのではなかろうか。
今回、金容成のブログから記事を引用させていただきました。このブログ記事に対する感想やHOPEの見解は引き続き記事とさせていただきます。(Y)
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