黒い瞳のジプシー生活

生来のさすらい者と思われた私もまさかの定住。。。

信長の画期はどこにある

2011-01-13 23:52:57 | 歴史系
昨日、「歴史秘話ヒストリア」で織田信長の
「桶狭間の戦い」と「美濃攻め」が取りあげられた。
時代劇が、信長を最もイキイキと描く時代の話だ。
江姫も取って付けたように番組に登場したが、
もちろん江などまだまだ産まれてない頃のこと――


『別冊歴史読本 天下布武 織田信長』
(新人物往来社 2007)の「信長は時代をどう
変えたのか」の項によると、
最近の学界での信長の評価は戦後のそれと比べて
相対的に低くなっているという。
それまで信長の「革命政策」と思われてきたものが
他の戦国大名たちの間でも大なり小なり
実施されていたと判明したこと、また天皇家という
「中世的権威」に対する信長の態度が
一貫してなかったとみなすのが主な理由らしい。
また、同項の投稿者は信長の施策の先進性を
ある程度認めつつも、その不徹底の多さと
チクハグさを指摘しているように読める。
昨日の「ヒストリア」では、信長軍の鉄砲の活用や
「楽市・楽座」の導入がそれぞれ駿河の今川義元と
美濃の斎藤道三の政策からヒントを得たものである
ことを説明していた。よしんばこれらの政策が
単なる他大名のモノマネではなかったにせよ、
一から信長一人でひねりあげたアイディアでは
なかったことが「ヒストリア」でも説明された。
なお、同書の同項では「楽市令ほかは戦国大名
六角氏等を踏襲したもの」であるとしている。

もう一つ、昨日の「ヒストリア」では
「天下布武」の意味するところを
「武をもって天下を制す」と説明していた。
このような説明を聞くと「軍事力で全国を平定する」
という意味に解釈できなくもないが、
以前も述べたように
NHK教育の「高校講座 日本史」では
この「天下布武」の意味を「寺家でも公家でもない、
武家こそが天下の実権をにぎるのだ」というもので
あると説明していた。
先ほど引用した「信長は時代をどう変えたのか」の
項でも、信長がほどこした真に画期的な政策として
検地・刀狩、関所の廃止と城破り(これは徳川政権の
「一国一城令」の先駆)の他に、
寺社勢力や宗教一揆の徹底的な弾圧を挙げており、
信長はそうすることで宗教勢力が「二度と政治に
口も手も出せぬようにした」という。
ということは、それまでの宗教勢力は武家勢力の
執政に対し多少なりとも手出し・口出しが
できていたと考えていいことになるし、
宗教勢力に対する徹底的な弾圧行為こそが
「天下布武」の実現化の象徴的行為の一つと
みなしていいはずなのである。
信長がこのように宗教勢力を弾圧した理由は、
(これは私の解釈にすぎないが――)
彼らが神しか敬わない(そしてそのスタンスは
封建制度の原則と相容れない)からであり、
信長の弾圧の仕方が過酷だったのは
彼らが理屈や打算を超えたところで結束し
死をも恐れず向かってくるからではないかと
考えている。
以上より、信長時代劇にありがちなシーンのうち
信長の先進性を最もよく表しているものは
あの容赦ない「叡山攻め」のシーンということ
なのかもしれない。


ちなみに、昨日の「ヒストリア」では
桶狭間の戦いで信長に敗死した今川義元が
実は優れた戦国大名だったことも力説されていた。
今川義元についてはまだまだ勉強不足なので
まずは番組を信じてみたいが、その力説ぶりは
彼が昔は過小評価されていたことを物語っている。
私の感じるところでは、
たとえ桶狭間で信長に敗れたとしても
せめてそこで死なずに逃げ帰ることができていれば
(たとえ最終的には今川家が衰退したとしても)
義元が後世であれほど過小評価されることは
なかったのかもしれない。


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